龍神様も惚れ込んだ名勝の地・・・【近江八幡 藤ヶ崎龍神】

日曜日を利用して、再び滋賀県に遠征してきました。今回からしばらく、そのときの
様子をお届けします。第一回は、琵琶湖岸に佇む小さな神社をご紹介します。



琵琶湖に沿って走る「湖岸道路」は、信号が少なく景色もいい快走路です。湖東側の
湖岸道路を北に向かって走ります。日野川を渡って野洲市から近江八幡市に入ると、
正面に小さな山が見えてきます。標高187メートルの「岡山」と、そこから北西に
延びるもう一つの標高150メートルほどの山です。湖岸道路は二つの山の間を通り
抜けていきます。峠を過ぎて少し進むと、左側に湖岸へ向かう細い道が分岐します。
そこを左折して細い道へ入ります。





細い道を少し進むと砂利道に変わり、やがて広い駐車スペースが現れます。この先は
車では少々狭いので、車を停めて砂利道を先に進みます。岬のように突き出た場所に
鳥居が立っています。ここが目指す場所です。





湖に向かって岩が突き出しているところに、小さなお社が建てられています。境内は
とても綺麗に整備されています。早速お参りしましょう。





「藤ヶ崎龍神」です。その名の通り、龍神様をお祀りしているのでしょう。ここだけ
でも、すでに神的な力を感じます。





お社には小さな扉が付いており、開けて献灯することができます。このお社の中には
ご神体と思われるものが見当たらず、後ろにある注連縄が張られた大きな岩(磐座)、
もしくは琵琶湖そのものがご神体であると推測されます。





こちらが磐座の様子です。大きな岩が二つあるのが分かります。ここに水の神である
龍神様が眠っているのでしょう。



藤ヶ崎龍神の由緒等は、由緒書がないため詳しくは分かりませんが、駐車スペースの
近くに地名の由来を説明する案内板が立っています。



それによると、平安時代に宮廷の画家として活躍した巨勢金岡(こせのかなおか)が
この地を訪れて風景を描こうとしたが、そのあまりの雄大な絶景のために描くことが
できず筆を折ってしまったことから、この地を「筆ヶ崎」と呼ぶのだそうです。



また、この地は「水茎の岡」とも呼ばれています。「水茎(みずくき)」とは、筆や
筆跡のことです。万葉集新古今和歌集等にはここ水茎の岡を詠んだ歌が多数あり、
この地が名勝であったことがうかがわれます。巨勢金岡が筆を折ってしまった話も、
水茎の岡という地名に通じてきますよね。





穏やかな表情の琵琶湖と、緩やかな稜線を持つ対岸の山々。昔の画人や歌人は、この
美しい景色に感動し、筆を執ったのでしょう。



藤ヶ崎という地名は、筆ヶ崎が転じたものかもしれませんね。近くの岡山も、水茎の
岡が山名の由来となっているのかもしれません。



さて、龍神のすぐ近くにもう一基鳥居が立っています。そちらに行ってみましょう。





右側の灯篭の柱に「妙得滝神」とありますので、こちらも同じく龍神様をお祀りして
いるのでしょう。





鳥居をくぐると、奥に洞窟のようなものが見えてきます。一見すると中には入れない
ようですが、金網に「御参拝の折りは金網をどけて・・・」と案内書きがあるので、
早速金網を外して中でお参りしましょう。



ちなみに、金網の案内には「内宮御参拝なさる方へ」と書いてありますので、ここが
藤ヶ崎龍神の「内宮」ということになるのでしょう。ということは、先ほど参拝した
外のお社が「外宮」ということでしょうか。





中はとても狭く、人一人がやっと入れるほどの空間です。時折、岩の裂け目から水が
滴り落ちてきます。ご覧のように小さなお社と、神の使いとされる陶器の蛇がお祀り
されています。こちらでも献灯ができ、薄暗い洞内がロウソクの明かりで照らされ、
とても神秘的な空気に包まれます。





洞内には神秘的な空気が漂い、龍神様の強い力を体感することができます。その力は
少しずつ外へも放たれているように感じます。



一通りお参りを終えると、心が落ち着いて鎮まっていました。龍神様の力をいただく
ことができたようです。





名勝の地、水茎の岡に鎮座する藤ヶ崎龍神。今もその景勝美を失うことなく、ここに
住まう龍神様は訪れる人を優しく迎えてくださっているのです。



「藤ヶ崎龍神」(赤マーク)
滋賀県近江八幡市牧町(番地不明)

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