イタイ話

痛い話を書く。と言っても読者にではなく自分にとってだ。だからこれを読まれるかたはおおいにわらってほしい。


仕事上であるミスをした。例えていうならば、基礎工事の一部の工程を忘れそこに支柱を立ててしまったようなものだ。2ステップぐらい手順をとばしてしまったのだ。

そのことに気づいたのは職場を離れ最寄の駅に向かって歩いている時だ。なぜかその道のその場所(四つ角)を歩いている最中に、「はっ」と気づくことが多々ある。歩く道々、そのときの状況をこと細かに逐一思い出す。あーして。こーして。こーなって。。。。。。

……うん!やっぱり自分はミスした。やってはいけないミスをー。


そう確信するのに時間はかからなかった。明日は休みだ。どうしよう?どうしたらいい?悪いことに、手元になんの資料もない。報告するにしても次なる手立てを明示できない。

……仕方なく一日待った。その間気持ちはブルー。落ち込んでいてもなんの解決にもならないと思っていても気が晴れない。


そして翌出勤日ー。


関係者にそのことを報告した。隠したい事ほど早い段階で自分の口から話したほうがいい。逆にいえば、人づてにミスを聞かされることほど腹の立つことはない。とにかく謝りに謝った。


すると、そのかたはそのことを受けとめてくれ大丈夫。。。と励ましてくれさえした。不機嫌な顔をされるまたは注意を受けることを覚悟していた自分にとってかなり意外なことだった。そのかたとは1年半以上つきあってきたのである程度信頼関係ができていたからかもしれない。もしくは相手にとってはそれほど大きなことと思っていないのかもしれない。もしかしたら言いたいことをおさえてくれていたのかもしれないー。


しかし、どう考えてもやってはいけないミスだ。悪いのは自分なのだー。


そこでどうしてそんなミスを犯したのか?、とさらに傷口をえぐってみた。


するとこんなことが見えてきた。


……そのことに対して前もって準備をしていた。ある程度自信があった。ゆえにミスを犯したのではないか、と。


逆説的な言い方だが自分にゆるぎないものがあるがゆえに、相手のいっしゅんのこころのゆれとか自分の「?」という思いに気持ちを向けることができなかったのではないかと思えてきた。少しニュアンスは違うかもしれないが、「高名の木登り」(徒然草)のような失敗だ。むしろちょっと自分に自信がなく懐疑的であったならば、相手や自分の声なき声に耳を傾け立ち止まることができたのかもしれないー。

そんなことを思った。



余談だが、このミスを通じてもうひとつ得ることがあった。

それは人のやさしさだ。そのことをなぐさめてくれた人。あるいはフォローしてくれた人の存在。そうしてくれたかたにこころから感謝したい。
それらに甘えてはいけないし二度と同じ失敗をくりかえしてはいけない。ミスをミスで終わらせてはいけない。

とはいえ。。。
自分でも忸怩たる思いのあるとき、少しでもこころの軽くなるようなことばをかけてもらうことで相手のやさしさや懐の大きさが身にしみてくる。正直うるうるきた。自分が逆の立場だとしたらこれらのことばをかけられるだろうか。自分の卑小さを思い知ったー。


教訓:自信のあるときほど細心の注意をはらおう。