色彩語における立場

 ソシュールによれば「言語は差異の体系」でした。そして、ここで明らかになるのは
「言語の自律性」です。なぜなら、「差異の体系」は記号そのものが持つ特性であり、
それは発話や聴覚のような器官によって根本的には影響されず、恣意性によって定義さ
れるからです。

 このソシュールの考えを色彩語に当てはめてみましょう。色彩語とは、redやyellow、
blue、greenなどのような色を表現した語です。

 この色彩語は次のように理解されます(テイラー、pp.26)。
(a)言語の体系におけるすべての色彩語は等価の地位にある。
 
 (a)すべての語のシニフィエシニフィアンの繋がりは恣意的であることから導かれます。

 つまり、色彩語はすべて赤や青だけでなく黄土色、小豆色といった色であっても同じレ
ヴェルにあるというのです。

 ちなみに、バーリンとケイらによって『基本色彩語(1969)』で示されたように次
のような反証が存在している。

 彼らによれば、文化によらず人類には一般的に11色の基本彩色語といえるような存在
しているという。つまり、赤や黄、青といった典型的な色は、記号にその意味を由来せずに
成立している可能性があるということです。


 ソシュール言語学が色彩語をどのように考えてきたのかについてほんの少しだけ説明しました。
同時に批判を対置させましたが、記号の自律性をどこまで認めるのかは議論があるのでこれによって
ソシュールの分析すべてが不適切とはいえません。しかしながら、一定の修正をせざるをえないと
言えるのではないでしょうか。