1952 ASTON MARTIN DB2


水冷直列6気筒 DOHC 2Valve 2580cc 105ps/5000rpm 最高速度 177km/h

 1947年、David Brownは経営難にあえいでいた ASTON MARTINを、たった£20,000で買収した。同年、Brownは Lagondaの有価証券を手に入れ、Aston Martin Lagonda Limited(日本で、この正式名称を知る人は少ないはず)を設立。DB(David Brown)の時代が到来する。クルマは Middlesexは Felthamで製造された。それは 1920年代から 60年代初頭まで ASTON MARTIN本社の所在地であった。
 
 戦後初の ASTON MARTINは Gordon Sutherlandと Claude Hillによる2リッターのスポーツであった(DB1としてよく知られている)。たった15台が造られたが、ASTON MARTINのラジエターグリルの形状を世に知らしめた。1950年、その鋼管シャシーの2リッターのスポーツをベースにショート・ホイールベースDB2が公式発表された。一見して 1949年のル・マンで7位となった3台のマシンとソックリである。

 DB2はアルミのボディーが架装された2シーターのスポーツ・サルーンであり、デザインは Lagondaから来た Frank Feeleyである。新しい直列6気筒 DOHCエンジンは Lagondaのオリジナルで、注意深い WO Bentleyの元で Willie Watsonが設計していたもの。よりパワーのある Vantage(+20ps)は£100+TAXで選ぶことができた。

 3年間で 400台以上の DB2が製造され、そのうち 100台がドロップヘッドに仕立てられた。この成功は 1950年のル・マンに於いて DB2が5位と6位でフィニッシュし、それぞれクラス優勝と2位の結果を残したことが大きい。