銀輪道楽〜日々是好日


昭和の時代を牽引してきた商用自転車「実用車」


ふと街角で出会い、その魅力にとり憑かれて早十年が過ぎた。戦後荒廃した街を昭和の経済復興と共に、汗と油にまみれながら沢山の夢と希望を載せて疾走したことだろう。

丈夫で錆びても動くブレーキ!大事な部品はチェーンケースに守られて、パンクさえしなければ半世紀はそのまま走れるだろう。今は商店の路地裏に動かぬまま朽ち果てる姿さえも見なくなった。

年賀状配達の郵便局アルバイトの赤い郵政規格自転車も、その任を終えて現代版のワイヤーブレーキ・コンフォートサドルの物に姿をかえ、残された旧車はもう作られなくなった補修部品を最後に、たぶん見なくなるだろう。

きっと暫くはレトロ趣味の若者のおもちゃにはなっても、保存されることもない忘れさられた自転車として、資料の片隅に追いやられるに違いない。これ以上は後にして、そんな実用車を愛してしまった五十路オヤジの四方山話に耳を傾けて頂けたら幸いです。


下の画像はそう古くない郵政自転車に懐かしい部品で組上げた一台です。(手書の看板をトップ画像にしました)
[構成部品:フレーム・泥除けは宮田自転車工業/チェーンケースは富士自転車/内装三段変速機及びシフターは島野/メッキリム26×1.3/8島野に坂東タイヤ製飴色BEタイヤ/珍しいセミドロップハンドルは印度アトラス製/ブザー内装ライトは松下電工/初期型ローラーダイナモ/ハンモック革サドルは富士/ハンドル前面の荷箱は帆布で内部の木製の骨をたたむと小さくなります/スポークもレトロな黒塗り]



この実用車という自転車、イギリスで自転車が発明されて空気入りタイヤの開発も手伝って移動手段としてはかなりの距離を走る物として作られたのだが、これが日本に渡来して第一に運搬を主たる性格の乗り物として生まれ変わって活躍するのである。

当時の日本人の平均的な身長体形に基づいて、尚且つ重量運搬の性格をもって生きてきた為に、見た目は同じ様でもギヤ比構成部品がまったく違う日本特有のロッドブレーキ自転車となった。

ホンダのカブがそうであったように戦前は富国強兵の号令で、アジア圏はもちろん海外に輸出され、また戦後には昭和の高度成長の助走期に自動車産業の基となる会社は言うに及ばず、化粧品会社や他の異業種の会社までもが自社生産の自転車を販売していた。手元にも日産自動車やクラブ化粧品、ミシン会社の自転車も目にする華やかな自転車産業が開花することとなるのだが、最盛期は五百メーカー三千アイテムあったと言われるが資料や現車を確認することは難しい。

さてその華やかな昭和二十年代後半から三十年代前半までのメーカーの高級車合戦で産み出されたトップブランドの自転車たちが、十年程前まで自転車問屋のデッドストックとして存在し、価格競争に勝てずにのれんを降ろした自転車関連の仕事場から二束三文の捨値でオークション取引に出だしたから暫くは騒ぎであった。

当時の職人芸が全て傾注された様な自転車は本当に迫力がある。
金属である鉄を鍛えあげて作られた回転部分は百年使っても問題なく、ギア板はメッキされる以前のものには南部鉄のように黒光りする様な物、強度を持たせるための砲金、ハンドル内部を小さなチェーンで引く逆ブレーキレバー、セルロイドのグリップにも彫刻の様な滑り止めの装飾、ブレーキもオートバイで使われた内拡式ハブブレーキやこれに内装変速機を合わせた物まであった、チェーンケースはセルロイドのスケルトンでチェーンやギア板までその動きが見える、タイヤは今のMTBのような悪路走破性をもち、ライトのレンズ内面のブランド名のブラストには恐れ入る、はたまたネジの頭にまでブランドマークが入り、装飾は七宝を思わせるバッジ・バンド類は当然で、塗装面には転写デカールが貼られ極上の日本的デザインが設えられ漆工・蒔絵のごとく筆を落として書き込まれた物まで見受けられた。

当時の木工・鉄工・工芸・塗装のまさに粋を感じる高級実用車は、商用の物とは一線を画した乗り物ではあったが、長距離サイクリングには適さず残念ながら自転車道楽者たちからの評価は低いと言わざるおえないが、日本の自転車文化という観点から捉えて貴重な存在だと思う。

当然ですが完全調整のうえ楽しむとなると、スポーク一本までバラバラの製品を組上げる技術がないと運動音痴の情けない状態になる。もう扱える最後の職人たちも七十半ばを越えている。既にお世話になった腕ある名人も鬼籍に入られてしまった方々も多い。故人からの手入れの行き届いた古い道具も手元に届く。だが出来れば動態保存が道楽者の夢である。十年の歳月道楽に没頭したが、まだまだ職人の幼稚園でも及第点は貰えそうもない。

我が家のガレージで新たな道楽の担い手を待つ実用車があくびをしてますが、誰か道楽を受継ぎませんか!