『カンパニー・マン』 (ロバート・ジャクソン・ベネット著)読んだ

ときは1919年。驚異の技術力を誇るマクノートン社の介入で大戦が回避された世界。空には飛空艇が飛び交い、地下路面列車が縦横無尽に走る巨大都市イヴズデンを流れる灰色の運河に、男の死体が上がった。人の「心の声」を聞くことができる保安要員のヘイズはマクノートンの組合員と見られる男の死に興味を抱く。社からも組合内部の動向を探るようにとの指令が下り…。アメリカ探偵作家クラブ賞ペイパーバック賞受賞作。
組合員が奇怪な手口で次々と惨殺され、さらにはマクノートン社が政府にも黙って進めていた宇宙飛行実験の事実が明らかになると、市民の社への反感はかぎりなく高まった。ヘイズは組合運動の首謀者と目される男への接触を試みるが、地下通路での面会は巨大都市をさらなる混沌へと突き落とすことに…。ヘイズの調査は、マクノートン社の汚れた正体と超技術の源泉へと迫っていく。フィリップ・K・ディック賞特別賞受賞作。

SFや文学といったジャンルの垣根を取り払い、どちらの要素も持ちながらどちらにも属さず、そういった型にはまらない非リアリスティックな文学として「スリップストリーム文学」という呼び名のジャンルがある。これは「スプロール・フィクション」という呼び名もあるのだという。身近な例だとカート・ヴォネガットの諸作品がそれに当たるだろう。これはSF/文学の例となるが、SF/ミステリだと個人的にはユダヤ民族がイスラエル建国に失敗したもう一つの未来を描くマイケル・シェイボンの『ユダヤ警察同盟』が思い浮かぶ。これは設定こそパラレル・ワールドだが、物語はあくまでクライム・ノベルとして進行してゆくのだ。
ロバート・ジャクソン・ベネットの『カンパニー・マン』はその「スリップストリーム文学」のひとつということができるかもしれない。そこは第1次世界大戦の回避されたもうひとつの世界。舞台はアメリカの架空の巨大都市イヴズデン。見知らぬテクノロジーが発展し、見知らぬ社会形態で成り立つこの街に、ある日おぞましい連続殺人が巻き起こる。主人公である保安要員のヘイズは街を支配する企業からその殺人事件調査を任命されるが…というのがこの物語だ。パラレル・ワールドというSF的な舞台を持ちながら、物語はあくまで殺人事件捜査のクライム・ノベルとして進行する。しかし事件には超常現象的な側面があり、こうしてこの物語にはホラー小説的な味わいも加味されてゆくのだ。物語はこうしてラストにおいて驚愕の展開を迎えるが、その読後感はやはりSFともミステリともいえない独特のものであった。アメリカ探偵作家クラブ賞とフィリップ・K・ディック賞の両賞受賞というのもこの作品の性格を物語るものだろう。
『カンパニー・マン』のもうひつとの特色はそこで描かれる暗く行き詰った世界だろう。極端な格差社会があり、高層ビルの陰に薄汚いスラム街がひしめく。底辺の者たちは絶望に打ちひしがれ、自らを貧困に追いやった社会への怒りを胸に秘めている。そして主人公は酒と麻薬に溺れた半ば社会の落伍者のような男であり、その彼が追う殺人事件の陰惨さが『カンパニー・マン』の世界をなお一層救いの無いものとして印象付ける。こうして物語の多くの描写はこの社会の閉塞感を印象付ける為に書き連ねられるが、個人的にはこれら微に入り細を穿つ陰鬱な描写は邪魔なもののように感じた。これらがなくとも作品は十分にミステリアスであり、唐突に現れる不可思議としか思えない出来事や情景は、最後まで物語に惹き付ける牽引力となっていることは間違いないからだ。これは好みの問題なのかもしれないが、こういった部分をシェイプアップすればもっと軽快に読み進められる物語になったような気がする。
そういった陰鬱な世界の中で、自らの責務を全うするために傷だらけになりながらも最大限の努力を惜しまない主人公たちの姿が魅力的な作品でもある。彼らを突き動かすのは仕事への義務感であると同時に個々人の持つ倫理観ゆえであり、それらが衝突しあいながらも事件解決のために最終的に協力し合ってゆくのである。絶望の街で人間的であることの灯だけを頼りに尽力する彼らの姿は、奇怪な世界と奇妙なプロットを持つこの作品にリアルで生々しい息遣いを運んでいるのだ。

カンパニー・マン 上 (ハヤカワ文庫NV)

カンパニー・マン 上 (ハヤカワ文庫NV)

カンパニー・マン 下 (ハヤカワ文庫NV)

カンパニー・マン 下 (ハヤカワ文庫NV)