スポーツ大政翼賛会

昨夜来の雨で寒気が緩み、今日はフリースの重ね着をせずにすんだが、センター試験のあった週末は例年通り寒い冬の一日だった。僕らの頃は共通一次という呼称だった、全国統一試験の仕組みがいまいちよく飲み込めない。ただ国公立大学に入るには避けて通れない道であることは確かである。難関校でなくても国公立大出というだけで、僕などは脱帽してしまうのだ。
▼バスケ部主将が自殺した桜宮高校の混乱が収まらない。大阪市教育委員会は橋下市長の問題提起を受け、同校体育科の受入中止を決めた。入試を目前に控えた時期の決定に、生徒への影響は計り知れないが、これを前文科大臣田中真紀子の大学認可取消騒動と同列に論じるのはどうだろう。
▼入学希望者への影響を最小限にとどめるために、体育科の定員をそのまま普通科に振り替え、体育に特色のあるカリキュラムを残すというから、実質的には看板の掛け替えにすぎず、体罰の根本的な解決にはならない、受験生を徒に混乱させるだけ、という意見もある。ただ僕は隗より始めればいいと思う。この学校に改革が必要なことは確かなのだから。
▼この決定に在校生の主将経験者らが市庁舎で会見を開いた。「橋下市長は一方的に話すだけで私たちの意見を聞いてくれない」報道で知る限り、橋下氏はこう述べている。「この学校の指導方法はまちがっていた」「在校生、受験生、父兄を含めて意識改革が必要」「会見を開いて僕に抗議するくらいなら、どうして顧問に疑問をぶつけなかったのか」正論である。人の話に耳をかさないのは君たちの方ではないのか。スポーツに打ち込むのは素晴らしいことだ。しかしそのことで思いつめ自殺に追い込まれた仲間が出た。自分が満足なら人の心に想いを致さなくていいのか。
▼体育科って何をするとこなんだろう。座学では栄養学や健康科学を学び、実施ではストレッチやエクササイズなど大人になってスポーツジムでするようなことをやるのかな。それはそれでくだらないが、実際には授業なんてエクスキューズで、本当は放課後の部活の方がずっと重要なのは先生も生徒もみんな理解している。
▼個性化教育とでもいうのだろうか、昨今はなにか一芸に秀でていればいいような風潮になっていることを危惧する。そして体育会系には音楽や美術とは違う、ある特権的なものがある。高校での運動部と文化部の存在感の差を考えてみればいい。写真部、新聞部、文芸部、書道部、華道部…ほとんど休眠サークル扱いだ。中学に至ってはクラブ活動に降格して部としては存立できないくらいだ。彼らはひとくくりに「帰宅部」と呼ばれ、肩身の狭いおもいを余儀なくされる。
▼今僕は営業マンのはしくれとして接待のマネゴトのようなことをしているが、地元のうまいものを食わせる穴場という穴場の店の壁には地元企業協賛ラグビーチームのサイン色紙が飾られている。僕らのようなパンピーでもけっこう値の張る店で、彼らのような大食漢のラガーメンの飲み食いにかかるお金はどうなっているのだろう。ごっつぁんにしろスポーンサー企業が面倒みているにしろ、ここでは地域全体がタニマチである。高校でも大学でも、プロアマ問わず事情は似たり寄ったりだ。
▼先日のエントリーで僕が指摘した日本特有の集団的な風土というのは、この体育会を大目に見る体質のことである。若いうちから楽しちゃダメだと言ってるのではない。君たちの鍛錬がとてつもなく厳しいものであることは知っている。しかしだから他のことが免除されるというのはおかしい。それとこれとは別の話だ。体育専科は、若者に一生知らなくてもいい特権意識を植えつけるようなものだ。教育とは、まさにこの特権意識を潔しとしない精神を育てることなのに。
▼桜宮高校の生徒をはじめ多くのスポーツに打ち込む若者たちに次の言葉の意味を考えてもらいたい。ひとつは個性の塊のような芸術家岡本太郎氏の言葉。「自分らしくある必要はない。むしろ人間らしく生きる道を考えてほしい」もうひとつは世界一のフットボールプレイヤーメッシの「すごい選手になることよりも、どうしたらいい人間になれるかをいつも考えている」という言葉。現役時代は授業時間を針治療と睡眠時間にあて、共通一次も受けず受験科目の少ない私大入試に逃げた、君たちの先輩より反省をこめて。

土曜はミートスパにピザ。

日曜は豚丼にスパニッシュオムレツ。

月曜はトリカラにカボチャと小エビのサラダ。