朋あり遠方より来る

2月に入ったとたん雨が降り出した。寒中あれだけ冷え込んだのが嘘のように、今日はフリースも股引も必要ないほどの陽気だった。明日3日の節分でいよいよ寒明けである。暦は実によくできている。
▼金曜は地元の友人が出張帰りに途中下車してくれた。月初の週末は忙しい上に車が混んでずいぶん遅くなってしまった。土曜は例によって一週間で一番忙しく朝も早い。遠方から友人が訪れるなんてめったにないことなのに、なんでこんなにせわしないのかと情けなくなるが、残業月250時間で自殺した旅行代理店課長よりはマシだと思うことにする。
▼一軒目は普通の居酒屋。体育会系の僕らはいつものようにメニューの品全てを平らげる勢いで片っ端からオーダーしてゆく。僕らが入ったときにいた客は、僕らが出るまで飲み物も食べ物も追加せず、刺身とマヨネーズの色が変わるくらい長居して話ばかりしている。またやっちゃったよ居酒屋二人で一万越え。客単価にすると3倍だな。しかも勝負が早い。お店にとっては神様みたいな客だ。
▼彼は父が転勤族だった僕にとって唯一幼なじみと呼べる存在だ。父が家を建てて引っ越した小5の時以来、もう40年近いつきあいである。実際には小中は同じ学校だったというだけでつきあいはなかった。高校に入ると部活が同じこともあって毎日いっしょに帰った。帰りにラーメン屋やうどん屋に寄るのが楽しみだった。
▼東京の私大受験もいっしょにいった。鉄道マニアの気がある僕らは、新幹線ではなくわざわざ寝台特急で一晩かけて上京することにした。ろくに受験勉強もせず、二人でそんな計画ばかりたてていた。母親とデパートで上京のための服をあつらえた記憶もある。ひやかしではないが、ある意味イベントのようなものだ。
▼いっしょに受けた学校の試験が終わると、その晩彼が泊る家のおじさんが迎えにきていた。そのおじさんに、新宿の住友三角ビルのかなり上の階のエスクァイアクラブで食事をご馳走になった。バニーガールが跪いて給仕するようなところだったが、不思議にいやらしい感じはしなかった。
▼おじさんはおじさんといっても親戚ではなく、友人の父親に恩義を感じている人らしかった。かといって元部下とか教え子というわけでもない。ただ二言目には「お父さんにはたいへんお世話になってね…」と繰り返し、そのたびに友人は恐縮していた。ひとつしか受験しなかった彼とはそこで別れ、その後僕は市ヶ谷の宿泊施設に数泊した。何日か過ぎて鼻血が止まらなくなった。初めての東京は田舎者には刺激が強すぎた。話が逸れたね。
▼彼とは大学は別々だったが、一年の夏休みに二人で日本縦断旅行を決行した。その後は彼が上京することもあれば、僕の方から彼の大学がある地方に遊びに行くこともあった。留年した僕がまだ学生のうちに、就職した彼が上京してきて三、四年の間は、互いに引っ越しを手伝ったくらいでそれほど頻繁に会った記憶はない。彼も新社会人として忙しかったろうし、僕も病気(精神系)でそれどころじゃなかった。
▼僕がエロ本の仕事をやめてUターンした直接のきっかけは、彼の父親が地元の進学塾に口をきいてくれたからである。追いかけるように一年後には彼も地元に戻ってきた。僕が塾に勤めている間は時間が合わずあまり飲むこともなかったが、塾をやめて墓石屋に勤めている時は、誘い合って頻繁に飲んだ。こちらに越してきてからは、初めのうちは毎年遊びにきてくれたものだが、最近は正月帰省した折に会うくらいだ。
▼あっという間だと思う。あっという間に人生は行き過ぎる。その間僕は塾の事務員と結婚して子供を授かった。友人はいまだに独身のままだ。僕が地元に戻るために便宜をはかってくれた彼の父親は、僕が再び地元を離れて一年後に亡くなった。彼も僕も、もう少しなんとかならなかったかという思いがないわけではない。
▼二軒目は例の妖艶なママのいるバーへ。意外にうるさい彼もどうやら気に入ったようだ。前回の訪問からいつの間にか三ヶ月が過ぎている。ママはまた痩せたような気がする。換気扇に向かって煙を吐く薄い背中に思わず声をかけずにはいられない。「まあだタバコなんか吸ってるの?イマドキ吸ってる人なんていないでしょ」雨が降っている。前回も、その前も雨だった。この店に来る時はいつも雨だ。なにもかも水に流す雨だ。

水曜は明太パスタにピザトースト。デザートはアップルパイ。