選ばれし者の恍惚と不安

少々肌寒いが連休後半に向けて最高の五月晴れである。もう五月。一年の三分の一が過ぎた。早いものだ。
▼連休の中休みで子供たちは学校である。連休前半のうちに上の子は山梨に合宿、下の子は公式戦を終えた。なんだかひと仕事すませたという感じだ。この三日間は学校に行き、後半はまた二人とも合宿である。今度は二泊だ。子供の方がよっぽどバイタリティーあるな。
▼僕はずっと仕事で、ひとり取り残された感のある妻だが、前にも書いた通りひとりが全く苦にならないタイプなのでとても助かる。このタイプは①依頼心がない②自分のやりたいことをさっさとやる③常に自足している。要するに①も②も③も同じことだ。少し寂しい気もするが、これがもしグズグズ甘えてくるような女だったらと思うとゾッとする。妻があっさりした女でよかった。
▼仕事ばかりで私生活に変化がないので、つい時事ネタになってしまうが、皇太子ご夫妻がオランダ国王の即位式に出席された。雅子さまはなんと11年ぶりの海外公務である。体調に波があり、主治医同行でホテルから一歩も出ていないという。お妃候補の才媛外交官としてマスコミに追いかけられていた頃の溌剌とした姿を覚えている者としては寂しい限りである。
▼いったい皇太子に見初められた女性というのは、どういう心境なのだろう。時代劇でよくある殿様に召し上げられた町ムスメのようなもんかな。いくら今はそんな時代じゃないとか、結婚は本人の自由意志とかいっても、そこはそれ、簡単に袖にするわけにはいかないだろう。
▼ごく普通の家庭でさえ、姑小姑のことを思うと二の足を踏むものだ。ましてや皇室である。よほどの覚悟と思い切りがないと結婚には踏み切れない。では最終的に雅子さまに結婚を決断させたものはなんだったのだろう。積極的な意味でそれは、一国のプリンセス、つまり象徴大和撫子になるという女性として最大の虚栄心の満足だろう。消極的な意味では、やはりもろもろの圧力があったに違いないが、それは皇族や宮内庁によるものとはまた別のもののような気がする。
▼確か学生の頃だったと思うが、父がお二人のご成婚祝賀パレードの様子を映すテレビ映像をわざわざ画撮してアルバムに綴じていたのに驚いた記憶がある。イケメンどころか、フシギちゃん気味のアラサ―のプリンスがいつまでもチョンガーであることに、日本中が気を揉んでいた矢先の慶事である。まさに国をあげての祝賀ムードだった。
雅子さまの背中を押し、また彼女がその同じものに耐えかねた最大のプレッシャーは、「国民の期待」だと思う。ご懐妊の期待も含め、自分に向けられるあらゆる意味での国民の期待である。それは年頃の女性なら誰もが周囲から感じるうっとうしい期待と同じものでもある。ある意味オリンピック選手が感じるプレッシャーや、もっといえば子が親から感じる期待にも似ているかもしれない。
▼こうした見えない世間的なしばりというものを「空気」といい、普通は否定的に捉えられるものだ。それをなんとも思わないという人はいないだろう。ただ支えと感じてうまくパワーに変えられる人と、重荷と感じてつぶれてしまう人、嫌悪感からノイローゼになる人はいるかもしれない。雅子さまがどちらか判断するのはまだ早い。今回は立派に公務をお勤めになられたではないか。ただ彼女の喜びも苦悩も、一般女性のそれを極大化したものであることは言うまでもない。
▼期待に押しつぶされそうな人に声をかけるとすれば、期待いうのは温かいものだということ。ほとんど応援と同じような意味といっていいんじゃないか。ある人には肩入れし、ある人には罵声を浴びせる我々ではあるが、こと雅子さまに限っては、これまでの状況に心を傷めない国民はいないだろうし、ご公務の再開を喜ばない人もいないと思う。それはまさに皇室や五輪選手が我々日本人の代表であり、象徴だからである。

月曜はサーモンソテーにポテトグラタン。肉尊魚卑の下の子は魚の日は別メニューなのだ。

火曜は早くも夏野菜サラダにチキンとかぼちゃのクリーム煮。新玉のオニスラは下の子の要請により、店頭に並ばなくなるまで買い続けるそうだ。そして水曜はヨガハヤシで写真なし。妻がヨガに行く前にサッと焼いてくれた東北土産の牛タンがバカうま。