実際家への対抗心

ここ数日、大寒とは思えぬ春のような陽気だったが、一雨降って寒さがぶり返した。早くも三寒四温だろうか。久しぶりの雨といい、春に向かうサイクルが回り始めたね。
▼あ〜あ、またやっちゃったよ。またUSBメモリーをポッケに入れたまま洗濯してしまった。データを取り込んだ後だったからよかったようなものの、これで何回目だろう。てか今までメモリースティックを持ち歩いて洗わなかったためしがない。百発百中、打率10割である。いくら持ち運びが便利だからといって、なんでも小さくすればいいというものではない。記憶媒体としてその日の終わりに僕の記憶に残るのはせいぜいCDの大きさまでだ。それより小さいとポッケの中の存在ごと忘れてしまう。
▼女子高生の人身事故で免停になった話は前にも書いた。僕がケータイ運転していたわけではないが、事故の芽を摘むためには何でもしようと、会社は僕の事故をきっかけに社員全員にハンズフリーイヤホンを支給した。高性能補聴器並の小型タイプで、かなり高価なものときいたが、僕はこれも配布されたその日に洗濯してしまった。バレたらクビがとぶと、しばらく壊れたイヤホンを耳にはめていたが馬鹿らしくなってやめた。
▼さて、お気に入りの日経夕刊コラム「明日への話題」である。残念ながら今クールの執筆陣にはあまり食指が動かない。ちなみに前クールには、作家の三木卓さん、落語家の笑福亭仁鶴さん、国立天文台(副?)所長の誰かさんと、粒ぞろいのコラムでずいぶん楽しませていただいた。
▼仁鶴師匠のコラムを例にあげよう。まず子供の頃転校して仲間はずれにされた記憶をたぐる。転校した先の方言に違和感があるうちは村八分は続き、やがて方言が口をついて出てくるようになる頃には自然に打ち解けている。それから大相撲に入門した外国人力士に話題を移し、彼らの日本語がイントネーションまで完璧なのは、まさに「身体で」「文化ごと」日本語を身につけたからだろうという。失礼ながら、その感受性の豊かさには驚かされた。
▼それから国立天文台のなんとかさん。長男が大学に進学するにあたってスーツをあつらえることになった。その場に立ち会った時に覚えた眩暈の原因を考えるうちに、いつか自分も父親にネクタイの結び方を教わったことを思い出す。その時自分が立っていた位置に今自分の息子がいて、今自分が立っている位置に父がいた。そのことに思い至って思わず涙するというもの。いいコラムだと思う。
▼世代を越えて受け継がれていくものは、何もモノや思想ばかりではない。あるひとつの場面が、親から子へ、子から孫へと繰り返される。誰もが感じていることでも言葉として定着させることは難しい。実際のコラムはもっともっとお上手なのだが、なにぶん僕に文才がないために、みなさんに感動の半分もうまく伝わらないのが申し訳ない。
▼かたや三菱ケミカルHDの小林社長は、またイノベーションの話をしていた。数学だか物理だかのナンタラカンタラ理論の発見が、ナノテクへのビッグイノベーションを切り開いたとかいうものだ。実際それはそうなのかもしれないし、我々はその恩恵を十二分に享受しているのかもしれないが、コラムがおもしろいかどうかという話になると、圧倒的に前クールの執筆陣に軍配があがるだろう。
▼それは個人的にナノテクと相性のよくない僕の贔屓目とばかりともいえない。どんなに優秀な人にも得手不得手はあるのだ。

土曜はチキンのトマトチーズ焼き。