ドゥーユーリメンバー

昨日から随分蒸し暑い、数字上の気温は、ここ数日の残暑より低めだが、体感的にはむしろ高く、ずっと不快である。ここんとこ夜は涼しくて寝室に引っ込んでいた子供たちが、またクーラーのある居間に出てきた。
敬老の日に電話するのもなんだと思って、前日の日曜日に実家に電話すると、めずらしく留守電になった。どこか旅行にでも行ったのかと思ったが、時間が自由になる人がわざわざ連休を選んで出かけるとは考えにくい。すると翌日父がブログをアップしている。やはりうちにいるのだ。メッセージを入れておいたのに気付かないのだろうか。
▼ブログに母の喘息がひどいとの記述があって気になったが、もう夜も遅かったので日を改めてもう一度かけてみた。父が電話に出て、書いた通りだという。咳の発作以外特に変わったところはなく、熱もなくご飯も食べ家事もしているらしい。だが当の本人はなかなか電話口に出てこようとしない。かけ直してやっとかわったが、咳でつぶれた声が泣いているように聞こえた。
▼父にはただ「精神的なものだね」としか言えなかったが、たぶんこういうことなんじゃないかと思う。人間年をとると目も耳も悪くなる。ただでさえ細くなりがちな外界とのつながりがますます遠のく。その不安と孤独と寄る辺なさを口にしたくても言葉が出てこない。代わりに咳が出る。要はさみしいのだが、人は自分の精神状態に自覚的でないので、身体が無意識に反応する。「心配しなくていい」という科白とは裏腹に本当は心配してほしいから。
▼親友が帰国しているときいて、昼間ケータイを鳴らしておいたら夜になってかかってきた。「東京にいる」というので「何しに?」ときくと「外務省に南スーダンの現状を報告に」行ってたらしい。「それで?」「まあ、しょうがないですねと」「…」「あと新聞社三つ」「新聞のるの?」「かもしれない」「日経は?」「日経は南スーダンに興味ないでしょ」「じゃあ読売毎朝か」「朝日はひどいらしいね」「知ってるの?」「そりゃネットがあるもん」
▼「おかあさまはお元気?」彼は父親を早く亡くしている。「おかげさまで。そっちは?」母の様子をかいつまんで話す。彼はやさしい男だが、所詮他人の親の話だ。これから東京の仲間と会ってから実家に帰るという。寄らないかと誘ったが日程が厳しいらしい。それから僕も知っている仲間たちの話をした。うち一人はアフリカにいるという。アフリカと言っても広い。ケニアだったかカイロだったか。彼はちゃんと固有名詞を言ってたが忘れた。僕の彼の活動に対する関心もその程度だ。
▼彼の母親はお姉さん夫婦の近所に一人で住んでいる。彼が奥さんを亡くしてすぐは、母親に自分の娘を預けていたが、現在はお姉さんのところにいるらしい。ちょうどお姉さんの子供たちが成長して家を出た頃からだろうか。そして週に2日みんなでいっしょに食事するようにしているという。母のことが心配で様子をきいた実家の近所の大叔母も、近くにいる娘夫婦がよくしてくれると話していた。その意味では、僕は一人娘の妻の両親にとっても、あまりいいお婿さんとはいえない。
▼昨日は伯父の13回忌だった。一昨日の電話で父から聞くまで知らなかった。大叔母によれば、祖母の13回忌も近いという。そんな中、僕は前回のエントリーで13年前の世界史的惨事に触れるでもなく、若い頃好きだった女の子の誕生日について書いていたのだ。

敬老の日スペシャ豚丼

翌火曜はチキンバー。

そして昨日はインゲンの肉巻。