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2011-09-06

なぜいまどきの大学生はバカなのか

【追記注意】こんな釣りタイトルつけちゃったけど、これは「いまどきの大学生はバカだ!」って主張するエントリじゃないからね!【追記注意】

久しぶりに更新します。

採用担当だけど大学生ってなんであんなにバカなの?

スレの内容:1は企業の採用担当。面接で大学生がドヤ顔テンプレ解答繰り出してきて辟易。テンプレじゃない質問をすると、しどろもどろになるか、あるいは全然噛み合わないテンプレ解答を述べる。その場で自分の頭で考えたことを述べる、ということができない。5、6年前から酷くなり始め、ここ2、3年でさらに悪化したと感じている。


で、スレタイの「大学生ってなんであんなにバカなの?」である。この採用担当者の葛藤はすごく良くわかる(入試の面接で同じようなことを感じない大学教員はいないと思う)。だけどこのスレタイ、今時の若者論の例に漏れず、修辞疑問である。形式は「なんで?」となっているが、真の意味での疑問文ではない。つまり、本当に「若者がバカなのはどうしてか」を問うているのではない。表現したいのは若者disであり、結果としてスレには反感が溢れることになっている。

人に何かを教えたり、評価したりする立場になるとよく陥るのがこの、「なんで〇〇ができないの?」という修辞疑問である。「◯◯ができない」ことが確かに問題であるのならば、その原因を明らかにして対策を練らなければいけないはずだ。しかし、往々にしてこのレトリックは単なる愚痴かdisに終わってしまう。というわけで自戒もこめて考えてみたい:「どうしていまどきの大学生は、面接の場で自分の頭で考えたことを表現することができないのか?」


最も大きな原因の一つは、「自信の無さ」あるいは「怯え」ではないかと思う。自分の経験から考えると、就職面接で思ったことを言えるためには、「仮にこれを言ったことで落とされるのであれば、それは仕方がない」と思える、ということがとても大事だ。自分の考えが(大きく)間違ってはいないという自信。だから、これを言ったことで落とすような会社であれば別にそれで構わない、という余裕。そのような自信、あるいは気持ちの余裕がないと、「これを言って落とされたらどうしよう」「これを上手く言えなくてバカだと思われたらどうしよう」という不安に付きまとわれることになる。そんな不安を抱えながら、自分の考えを初対面の面接官に朗々と述べられる学生なんているはずがない。結果として、「落とされたらどうしよう」という不安を減らすために、予め用意してきたテンプレ解答に頼ることになる。

ではなぜ、大学生はそんなに怯えているのか。外的な要因と内的な要因が考えられる。外的な要因としては:

1. 生まれた時から不景気で、周りに「やりたいようにやって社会的に成功した」モデルがいない

2. 子供の頃から「ゆとり」と揶揄され続けている

3. 就職氷河期新卒採用を逃したら人生終わり、と脅されている

4. 可視化された同調圧力

などが思いつく。1〜3は自明と思われるので、4について。ここ最近のテレビ番組で僕がとにかく気になるのが「ワイプ」の乱用である。画面端の矢口真里が、「ここは笑うところですよ」「ここは泣くところですよ」「これはスベってますよ」とシグナルしてくる、あれが非常に邪魔臭い。「あなたはどう感じるべきか」を規定しようとするような、すごく不気味な同調圧力を感じる。そもそも同調圧力には定評のある日本社会である。その上テレビという娯楽においてすら、「この人と同じように感じなさい」というメッセージにどっぷり浸けられてきた世代。彼らが、自分がどう感じたのか、どう考えるのかを述べるのが怖いのは無理もない事に思える。

つまり今の日本の社会というのは、一貫して「いまどきの大学生」が自分の思うところを自信を持って述べることを阻害している、と言える。それでいて彼らは「なんでバカなの?」ってバカにされるんだから、まあひどい話だ。これは非常に深刻な環境的ハンディキャップであり、上の世代が「俺達がお前らの年の時はできたぞ」と言うのはアンフェアすぎる。「俺達ができた」のは、俺達がいまどきの大学生がしていなかった特別な努力をしてきたからではない。環境がそれをすることを許していただけに過ぎない。

それで、内的な要因。これは結局、「上記1〜4のような環境的ハンディキャップを跳ね返すだけの成功体験の欠如」ということになるだろう。自分の思う通りにやってみたら上手く行った、自分の思うことを真摯に述べてみたら相手が納得してくれた、そういった体験を少しずつ、何年もかけて積み重ねていってようやく、「自分の思ったことには言ってみる/やってみるだけの価値がある」と思えるようになるのではないだろうか。ここで要求される成功体験の質と量は、過去の日本の若者が必要としたそれよりもずっと大きなものになっているはずだ。つまり、子供を昔と同じように育てるだけでは全然足りなくなっているのだと思う。


じゃあ、どうするの?やっぱり、学校が頑張るしかないだろう。特に、学生が自分で自分のやりたい事を選べる大学の責任は大きい。大学の選択、学部学科の選択、専攻の選択、授業の選択、指導教員の選択、さらには授業中に手を上げるかどうか、授業後に質問しにいくかどうか、それぞれの場面で、「これを選んで良かった」と思わせられるようにしなければいけない。選んだこと、特に難しい方の選択肢を選んだことが、最終的に学生に成功体験として残るようにしていかなければいけないんだと思う。簡単なことではない。難しい方の選択肢に伴うリスクを、大学側が受け持ってやらなければいけない。学生が難しい選択肢を選んで失敗したとき、その失敗をカバーしてやらなければいけないのだ。これはとんでもない手間がかかる。なるべく行動しない、多数派に合わせて流れていく学生のほうがずっと楽なのである。しかし、それでもやらなければいけないことだと思う。


最近アル・パチーノがやたらかっこよくて、『セント・オブ・ウーマン』を見た。退学にするぞと脅されながら、クラスメイトに不利な証言をすることを拒んだ高校生チャーリーについて、パチーノ扮するスレイド中佐は、全校生徒を集めた裁判の場でこんなことを言う:

「私の人生にはいくつもの岐路があった。私はいつでも、どちらが正しい道なのか分かっていた。でもその正しい道は選ばなかった。なぜか?「正しい道」はあまりに困難な道だったからだ。ここにいるチャーリーも人生の岐路に立った。そして、彼は正しい道を選んだ。彼にこの旅を続けさせてやれ。彼の未来を守れ。」

困難な道を選ぼうとする若者の未来を守ろうとする時、我々もまた困難な選択を迫られる。今若者が怯えているのは、我々がその困難な選択において、楽な方を選び続けてきたからではないだろうか。

xgst8pxgst8p 2011/09/06 19:36 2. 子供の頃から「ゆとり」と揶揄され続けている

↑これ、全く実感がないですけど ソースでこですか?

gorotakugorotaku 2011/09/06 19:40 ソースは自分が指導している学生の多く。そういう実感がないならば、それは幸せなことです。

xgst8pxgst8p 2011/09/06 20:04 幸せを実感しながら次の段階へ移行します。

学生が「ゆとりと揶揄されている」というとき、
その「揶揄」はどこで誰に受けたんでしょう。

まさかインターネットの掲示板上で匿名の人間のみから受けた
ということはないと思いますが。

もしネット上限定だとすると、女性バッシングのようにそもそも
相手にするほうがおかしいような類のものになってしまうと思いますが。

それを指して「「ゆとり」と揶揄されてきた」などと書いてしまうと
まるでその揶揄になんらかの妥当性があるかのような印象を、
読む人に与えてしまうのではないでしょうか?

つまり、それはこのような文章を書くようなものです

「若い女性は大変だ。なぜなら今の世の中で生きていると、
30過ぎたら羊水が○るなどど揶揄されるのだから」

一部の「失礼」な人間の荒唐無稽で根拠薄弱で主観的な意見が
社会一般に共有されたものであるかのように受け取られてしまいかねません。

ちなみに学生の「多く」とは10人ぐらいですか?アンケートをされたのですか。

レスポンスはなくても結構です。コメントが表示されなくても結構です。長々とすみません。

uunfouunfo 2011/09/06 20:25 >xgst8pさん
「ゆとり教育批判」はここ十年くらいずっとテレビなどのマスメディアでも繰り返されていると思いますが、ご存じないのでしょうか?
自分たちの受けている教育、受けた教育がだめなものだと言われ続けるというのは、並々ならぬ精神的負担なのではないでしょうか。

gorotakugorotaku 2011/09/06 20:27 そもそも、僕が書くことで、「社会一般に共有されたものであるかのように受け取られてしまいかねない」というのが理解できませんが、誤解を招くというのであれば言っておきましょう:「ゆとりがどうこう言うのはごく一部の人間だけだ」。

しかし、「ゆとりと揶揄する人達」がインターネット上のみならず、実社会に存在しているのは間違いありません。それによって傷ついている学生がいることも間違いありません。繰り返しになりますが、あなたがそういう経験がないというのであれば幸せなことです。

xgst8p xgst8p 2011/09/06 20:35 また長文すみません。

4. 可視化された同調圧力

↑テレビ番組の特定の演出から若者がそんなメッセージを受け取っているということも
指導中の学生から知ることができた情報でしょうか?
ワイプという演出が若者を生き辛くしているということでしょうか?
他にこのような意見をおっしゃる方や、あなたのこの「ワイプ仮説」に
賛同している方はおられますか?

1. 生まれた時から不景気で、周りに「やりたいようにやって社会的に成功した」モデルがいない

↑他の世代には「やりたいようにやって社会的に成功した」モデルはいたのでしょうか。
今の若者世代には全くいないのでしょうか。他の世代にはそんなモデルが特に多かったという
ことでしょうか?それはなにか調査結果のようなものを参考にされたのですか?
指導中の学生の意見でしょうか?

3. 就職氷河期。新卒採用を逃したら人生終わり、と脅されている

↑これは2つの要素が並列されていますが、両方ということですか?
新卒採用を逃したら人生終わり、と脅されているのは今の世代だけなのですか?

gorotakugorotaku 2011/09/06 20:44 四つの要因は思いつくまま並べただけで、これが全てであるとも、これらが全ての学生に同じように影響しているとも言っていません。

仮にこれら全てが僕の勝手な妄想だったとしましょう。今の世代の若者は、上の世代に比べて生きづらいわけでもなんでもないとしましょう。だとしたらどうして彼らは怯えているのだと思いますか?そもそも、彼らが自信が無いわけでもなく、就職面接でテンプレ解答しかできないのも、インターネット限定の相手にするのがおかしい話だと思っていますか?

xgst8pxgst8p 2011/09/06 20:48 「ゆとりと揶揄する人達」がインターネット上のみならず、実社会に存在しているのは間違いありません。

↑この文からは真意を図りかねますが、当然「ゆとりと揶揄する人達」は実社会を生きている人間です。
したがってネット上に「ゆとりと揶揄する人達」がいれば実社会に「ゆとりと揶揄する人達」が
存在することは間違いないでしょう。
「脊椎動物」が存在するなら「動物」は間違いなく存在しますので。

もしそういったトートロジーではなく、「実社会において、相互に対面した場」で
「ゆとり教育」という言葉を使って人を蔑むような人間が間違いなくいる、
という意味だとするなら、そういった人間を目撃したとか、そういった人間がいる
という情報を他人から聞いたということだと思います。
ちなみにこの場合は「多くいる」のではなくあくまで「いる」ということですね。
傷ついている学生も多くいたのでしょうか?多ければたしかに憂慮すべき事態ですね。
多くないのならもっと多くの学生を追い詰めている、より深刻な問題にがあるのでは
と考えたほうが良いかもしれません。そのようなものがもしあればですが。

uunfo さん、あいつは金正日なんていうひどいリーダーのいる国の国民だ、と揶揄するのと
金正日の政治はなんてひどいんだと揶揄するのはまったく同じことに感じられますか?

AlAl 2011/09/06 20:53 就職活動を控えた修士一年生です。
教員の方にこのように考えて頂けることはとても有難いです。
ただ与えられた物を甘受するのではなく、自分からも勝ち取っていきたいです。
環境がどうでも、自分で何とかできるくらいの歳にはなっていると思いたいですしね。

gorotakugorotaku 2011/09/06 20:58 あなたが「自分は見たことがない」と言うのであれば、僕は「僕は見たことがある」と言うだけです。
例えば大学教員が、飲み会の場で、そこにいる学生に「だからゆとりはダメなんだ」というのを見たことがあります。
傷つくか傷つかないか、あるいは傷つき方の度合いは人それぞれですから、多い少ないでどうこう言う問題ではないでしょう。

gorotakugorotaku 2011/09/06 21:01 >Alさん

就職活動、幸運を祈ります。

xgst8p xgst8p 2011/09/06 21:04 だとしたらどうして彼らは怯えているのだと思いますか?

↑「彼ら」というのが、あなたの指導中の学生やあなたの周囲の学生のことを指しているのであれば
私よりあなたのほうがよく分かっているはずですが...
「彼ら」というのを就職活動中もしくはそれを控えた学生だとすると、
この質問はまるでこのように聞いているに等しくなってしまうと思います。

「なんで中国人はハンサムなの?」

若者一般が怯えているというのでなければ、重要なのは
個々の学生の悩みを解決してあげることだと思います。

就職面接でテンプレ解答しかできないのも

↑これはどのくらいの割合の若者がそうなのでしょう?
また、まったく枠のない式典や議論は社会にむしろ少ないでしょう。
自分の気持ちを素直に言っても言葉は無限にはありませんから「テンプレ」
(紋切り型という意味でしょうか)的になってしまうのは仕方がない部分はあると思います。

gorotakugorotaku 2011/09/06 21:13 僕は上記エントリに述べたような理由で、今の学生が自信を持てず、それが原因となって就職面接でその場で考えを述べることができない、テンプレ解答に頼ってしまう、と考えました。もちろんこの描写に当てはまらない学生もたくさんいることは間違いありません。また、この考え自体が見当はずれであるのかもしれません。もしあなたがそう思うのであれば、割合がどうこう聞くよりも、あなたが現状をどう認識しているのか、その現状の原因は何だと思うのかを述べてくれる方がずっと話がしやすいのですが。

xgst8p xgst8p 2011/09/06 21:13 例えば大学教員が、飲み会の場で、そこにいる学生に「だからゆとりはダメなんだ」というのを見たことがあります

いまやっと具体例を1件確認できました(あなたからの伝聞ですが)
この場合、その教員にあなたが注意をすることが「正しい道」の第一歩ですね。

xgst8pxgst8p 2011/09/06 21:28 私は若者の現状を大規模にリサーチしたことはありません。
知り合いの若者は、若者全体の数の1万分の1もいないでしょう。(若者を100万人として)
ですので現状認識と呼べるようなものは何ももっていません。
ですので「結果」のないところに「原因」もまたありません。

ただ、「一般論」を見ると粗を探してしまう性格でして。申し訳ありません。

個人的には、なぜ、「「あいつ」は「いま」電車で化粧をするのか」に興味を示さず、
「なぜ「最近の」「若い女」は電車で「平気で」化粧をするのか」に関心をもってしまう自分に対する
不信感がそうさせています。 わけの分からないことを長々とすみません

gorotakugorotaku 2011/09/06 21:32 >xgst8pさん

理解できました。確かに僕のエントリは粗い一般論です。しかし、世間に存在する他の一般論(例えば、「大学生ってなんであんなにバカなの?」みたいな)に対するカウンターとしての意義はあるだろう、と考えて書いた次第です。

hidepowerhidepower 2011/09/06 21:44 僕は「最近の若いやつらは、案外しっかりしている」と感じていますよ。
だから、このエントリーには最初から違和感を感じました。
xgst8pさんが論理的に見えますね。

とくに、

>四つの要因は思いつくまま並べただけで

これを言ったら、論理的に破たんするんじゃないですかね?
とくに、1〜3は「自明」と語っている以上、この点については必ず証明する必要があります。でないと、結論としてあなたが語っていることを論理的に導くことができません。

さらにいえば、結びのエピソードはいい話です。
しかし、これは現代の日本の若者の話ではないですよね?
遠い外国の話です。

僕には、この結びのエピソードにより、さらにこの文章が論理的に破たんしているように思えます。すなわち、若者に自信がないのは(あるいは若者が正しい道を選べないのは)世界共通ということです。

従って、大変申し上げにくいのですが、あなたはあなた自身の論理を否定しているように見受けられます。

xgst8pxgst8p 2011/09/06 21:50 しかし、若者論を鵜呑みにするのも、憤って過剰に反論しようとするのも(いまの私のように)
一部のネット上のコミュニティのように、頭から下らないと認定して平静や余裕を装ったりするのも
自信の無さの裏返しだと考えいます。そう、私は小心者です。
自分は自分だ、という芯とその芯をベースにした他人への尊敬が大切だと思いました。

gorotakugorotaku 2011/09/06 22:02 >hidepower

あなたはそう感じているのでしょうが、エントリ中引用したスレの採用担当者は別のことを感じています。

そして僕のエントリの内容は、「最近のわかいやつらは、案外しっかりしている」ということと矛盾しません。
案外しっかりしている若者が、どうして面接で思うことを述べることができないのか、ということです。
彼らがバカなのでも努力が足りないのでもなく、彼らが面接で喋れない責任は我々の側にある、というのが僕の考えです。「あいつらバカだから喋れないんだ」とではなく「どうしたら彼らが喋れるようになるのか」と考えなければいけないということです。その結論だとしても、まだ論理的に破綻していますか?

xgst8p xgst8p 2011/09/06 22:24 gorotakuさん
しっかりの方向が空回りしているということかもしれませんよね。
あなたが最初からそういったことを述べていたことは知っています。
つまり「若者よもっと自然体でいいぞ」ということでしょうか。
自然体だと、だらしない、いい加減な人間に思われるかもしれないと考えて
肩に力が入りすぎているのかもしれないですね。
仕事をしている人間からすると真面目であるということよりも
目の前の仕事にとにかくエネルギーを注ぐことが大切だという
当然のことを体でわかっていますので、若者の「身構え」加減に対して
「そんなところに気を使うより大事なことがあるよ」と当たり前のように
感じてしまうのかもしれません。
自分にとって大切なものはなにか、という優先順位をつけさせることが
ぶれない人間を生み出すことに繋がるのではないでしょうか。
何かに一生懸命になることで、雑音が気にならなくなったりタフになったりするのでは
ないかと思います。ですから何か好きなことや人を見つけなさい(仕事に関係がないものでもよし)
というにはアドバイスにならないでしょうか?

HHHHHH 2011/09/06 23:07 横槍ですいませんが、xgst8pさんのおっしゃることがやっぱり自分は
あらさがしにすぎない、と感じてなりません。
というよりも考え方が直線的すぎること、感情と論理を区別できていないように
見受けられます。

『一部の「失礼」な人間の荒唐無稽で根拠薄弱で主観的な意見が
社会一般に共有されたものであるかのように受け取られてしまいかねません。』
とおっしゃっていますが、その荒唐無稽で根拠薄弱で主観的と言われる意見に
少なからずおびえる人間がいる、ということがありうると私は思いますし
私自身の体験からもそう思われます。

もとよりそういった主観的な感覚は実証はできないのですが
ブログ本文を読んでいて「社会の発する同調圧力」や
私たちの世代に目標とすべきモデルがない、といった部分には
つよい説得力を感じます。何故感じるかと言えば私個人の体験の中からですし、
証拠を示すことはできませんが概ね社会の風潮もそうなのではないか、と思います。
ここで言う社会というのは、私の感じる社会ですし、私の会った人たち、
私の聞いた・見た意見、私の観たTV・ウェブ・新聞等マスコミからの情報により
構築される私の中の社会観、ですが、他人とも共有しうる感覚として感じるものがあります。

この世界には正しい人生論など何一つないということに多くの人が気づきつつ、
ではどう生きるかを見つけられないのが今の多くの若者の苦しみなのではないかと思います。
自分の好きなように生きるその好きな人生を見つける困難さ
好きな人生を送ることによる自己責任の苦しみ、レールをはずれる恐怖、
そういったことを言語化できなくとも、漠然と感じる機会が多い気がします。

typeBtypeB 2011/09/06 23:16 概ね共感した。結論の、おっさんに向けた「俺らも頑張ろうぜ」ってな結論も含めて。

blogが理路整然としていて万人の共感に耐えねばならん理由も無い。
(本エントリが破綻してるとも思わんけどネ)
思うことを書き殴って、コメント欄で盛り上がれば良いと思うヨ。
あら探し大好きっ子とか、引き算が得意な人ばかりの世の中だからこそ。

留年生留年生 2011/09/06 23:39 せっかく有益な情報を発信してくださってるんだから、実証しろと強調しすぎるのは野暮なんじゃねーのっていう気分にもなるわけさ

amanokatanamanokatan 2011/09/07 00:54 記事の会社はテンプレ回答しかしてもらえない会社なんだよ。

hogehoge 2011/09/07 02:06 >>最終的に学生に成功体験として残るようにしていかなければいけない
すごく良い話しだと思いました。せっかくインターネットをしているのだから、うまく行った例や失敗した例を、共有できる仕組みを整備すると良いのだろうと思いました。

gorotakugorotaku 2011/09/07 02:36 >xgst8pさん

>ですから何か好きなことや人を見つけなさい(仕事に関係がないものでもよし)
>というにはアドバイスにならないでしょうか?

なります。というか、正にその通りのことを僕は学生に言っています。
しかしただ言うだけではダメで、そういうアドバイスをすることにはそれなりの責任も生じると思います。

例えば経済学部の学生が、一般教養で受けた授業を通して哲学に惚れ込んだとします。これが自分の好きな事だ、これをもっと学びたいと思って、哲学科への転学科を考え始めます。ですが親は止めます「哲学なんかやって就職できなくなったらどうするんだ、そんなの許さん」。そういう学生が相談に来たときに、ちゃんと「大丈夫、自分が信じる自分の好きな事をやりなさい」と言ってあげられる、そして最終的に哲学科に移ってよかったと思わせられるようにするには、相当こちらも覚悟が必要なのです。

CromCrom 2011/09/07 04:29 エントリーすごく共感しました。

gorotakuさんのような考えをもたれている方を見ると心強いです。

社会に出て6年目ですが、
社会に出てから、こういった意見を余り表に出したことは無いのですが、
「最近の若者は・・・」という言葉を最近よく耳にします。
なぜ、何もせずその言葉でまとめてしまうのか正直不思議でなりません。
じゃぁ、自分たちは彼らに対して何ができたか問質してしまいます。

私は「社会にでたら、誰も何も教えてはくれない。すべては自己責任。」とは思っていません。
(私の周りに「すべては自己責任。」といった考えを持った人が多いだけなのかもしれませんが・・・)
同じ時に同じ所に居るからには、選んだ道が間違いでは無かったと思えるような体験をさせてあげたい、
私自身、彼らにとって良いSAMPLEでありたいと思っていたので。

これからも、あえて困難な道を選ぶ勇気を頂きました。
ありがとうございます。

横槍すみませんでした。

berettam92fberettam92f 2011/09/07 07:00 企業側も採用枠を少なくしたり、業績やコストなど考えすぎて怯えてるような気もしますけど

gart_hgart_h 2011/09/07 07:42 方向性はわかりますが、基本、おびえやプレッシャーに負けない強い意志を養うというのは
親の責任だと思いますけどねw 大学が頑張るだとか、社会の責任だとか、まったく無い
とは言いませんが、この辺りは、まず子供からの積み重ねだと思います。

KUMAKUMA 2011/09/07 08:48 何でもかんでも学校のせいにするのはどーかと思う。
縦の繋がりから横の繋がりに変わった。
幼い頃から大学を卒業するまでの間にいろいろな世代と係ってこなかった為に、
自分より極端に離れた世代が理解できないのだろう。
判らないから怯える、不安になる。そして自分を守るために攻撃的になる。
大学のレベルで考えるより初めて家族以外の社会に触れる幼稚園時代から、
各世代に触れ合える機会を増やしていかないといけないと思う。
それが出来ないから閉鎖的な人間が育ってきたのだろう。

AbcdeAbcde 2011/09/07 09:23 外的要因について自分が感じたこと
1.不景気は確かにあった。周囲の成功体験が少ない、というのは統計が不明
2.子どものころからゆとりと言われ続けているかどうか。私の世代ではそこまで言われた記憶はない。これはゆとりの中でも世代に依存すると思う。
3.新卒者優先は昔からあった。
4.ワイプを使った番組も昔からあった。近年増えたという統計的な根拠が書かれていないので不明。

ということで、議論は面白いけど根拠が弱いように感じた。

hidepowerhidepower 2011/09/07 09:51 おー、伸びてる!
さて。

>gorotaku
と、呼び捨てにするテスト。

>あなたはそう感じているのでしょうが、エントリ中引用したスレの採用担当者は別のことを感じています。

「そう感じている」の「そう」が何を指すのか難しいけど、以下のように理解します。
僕は今の若い人がテンプレ回答しかできないとは思っていないけど、上記採用担当者は今の若い人はテンプレ回答しかできないと思っている、と。僕が「最近の若いやつらは、案外しっかりしている」と書いたのは、「テンプレじゃない回答をするし、自分の意見も持っている」という意味です。
すなわち、前提とするもの、結論がすでに違うわけですよね?

で、あなたも「今の若い人はテンプレ…以下略」という立場ですよね?

僕と違う立場ですよね?

で、僕の立場からあなたのエントリを読むと、説得される材料がないですよね?

という意味です。


>xgst8pさん

>ただ、「一般論」を見ると粗を探してしまう性格でして。申し訳ありません。

そーだったのですか。
ぼくはてっきり…。

まぁいいや。

僕はは「やっぱり、学校が頑張るしかないだろう。」に、最初に引っ掛かりました。
何という上から目線!

この上から目線を許せない人は、もともとテンプレ回答なんてしませんよね。
逆に、こんな上から物をいわれて「すばらしいです〜」と思ってしまうとしたら、テンプレ野郎の素質ありです。
もうそこらへんがね、すでにインチキくさい。

PP 2011/09/07 10:16 自信がないからというのはよくわかりますね。
僕だと「若者が社会を信用していない」という表現をしたいです。社会はくだらない建前やコネなどで動いていますから、若者は自己表現とか自己主張をして受けいられるとは思っていないし期待もしていない。これは自分自身もそういうとkろがあるのでよくわかります。なぜそうなのかというとgorotakuさんの分析のとおりだと思うので、同じ事を別の言い方をしているだけですが、まず若者がダメ、その原因は〜という言い方では上から目線という反発を買うのは当然と思います。

makimaki 2011/09/07 10:23 「ゆとり教育そのもの」および「その教育を受けた世代」は、ものすごく軽い感覚でそれを揶揄されてる。
その場面に遭遇しない至極幸運な人が居ることが、コメント欄でわかって羨ましいと思えるほどに。
まず、「円周率=3」はあまりにも有名で、教科書を見せてくれと親類にも言われたし、それに類することは「冗談」として世間話で良く出てくる。
何かを失敗した場合は、本人は冗談のつもりかもしれないが「習わなかったのかなw」とか言う奴もいるしね。

そういう境遇にあると、ある考えが染み付くようになる。

「失敗できない」

なぜって?
失敗すると「ゆとりだからねぇ(しょうがない)」とか「これだからゆとりは」って言われる可能性が高く、それが怖いんだ。
自分たちが社会でそういう空気を作っておきながら、「自分の考えを話せ」ってのは酷い話なんだよ。
いじめられてる奴に、いじめてる側が、なんで殴り返さないんだ、「殴り返さないから」お前が悪いんだよって言うようなもんだ。
大事な事だから繰り返すが、「いじめてる側が」言うんだ。

正味な話、xgst8pさんが言ってるような、単なるディベートのための方便なんて、無視して良いような気がする。

kncknc 2011/09/07 10:36 成功体験もさることながら、失敗した経験も圧倒的に不足してるんじゃないかと感じます。
ここ最近の新人を見ていると、失敗慣れしていないと言うか、
失敗の痛みに対して必要以上に「怯えている」感が強いですね。

とある一教員とある一教員 2011/09/07 11:04 hidepowerさん、
失礼ですがあなたはどのような職種の方でしょうか?

私は大学の教員でしてここ数年の大学生から「テンプレ回答をすれば少なくともリスクは少ない」という意見を良く聞きます(もちろん目の届く範囲においては合格した先輩や同輩を事例に説得していますが)。
また、職業柄、他の大学教員や企業の人事の方とお話しする機会もありますが、
やはり多くの方がテンプレ回答が増えたと仰います。

学生は日常の話や研究の話をすればきちんと自分なりの答えが出来る人も結構おり、バイトの場でもその力を発揮しているようです。
しかし、リスクがある場においては、「安全な(と学生が信じている)テンプレ回答」をする人が経験上多くいます。

あなたの経験はどこで培われた物でしょう?どういう時に「テンプレじゃない回答をするし、自分の意見も持っている」と実感されるのですか?

JJ 2011/09/07 11:08 ていうか世代間の性格の差なんて「環境の違い」の一言で済む話なのに、それを直感的に理解出来ない人がいるのが不思議。
自分がどんな時代のどんな場所に生まれても、全く同じ自分に育つとでも思ってるんだろうか。

gorotakugorotaku 2011/09/07 11:40 >kncさん

仰るとおりだと思います。失敗の痛みに怯えるのは、一つ上のmakiさんが書いてくれているような理由があるのだと思います。

名前名前 2011/09/07 11:55 > 2. 子供の頃から「ゆとり」と揶揄され続けている

> ↑これ、全く実感がないですけど ソースでこですか?

実感がない? んなバカな。

yamorcayamorca 2011/09/07 14:17 ネットやメールで遊びやバイトの情報を共有して無駄なく失敗の少ない環境を育った世代だからと思います。
携帯もなんも無かった自分が若いころは身近な先輩の存在が主に価値観や処世術に影響していました。テレビや週刊誌でそれなりに納得出来る大人の意見を見ることは有っても実感の伴わないただの情報でしかありませんでした。
その分誰もがどっかけったいで、とんでもない失敗の経験を幾つか持ってました。
今の若者が面接の場面で(似たような)テンプレ回答が多いのもやたらと失敗を恐れる(ように見える)のも、均一で無難な暮らしを送ってきたからじゃないでしょうかね。

関係無いかもしれませんが、若い子を見るとよく「こいつ簡単に騙せそうだな」と思ってしまう場面が多々あります。好きな人の意見は全部正しくて嫌いなヤツの意見は全部間違ってる、というような思考回路が支配的だなあと。情報が溢れすぎてるせいで吟味して取捨選択するのを諦める癖が付いてしまってるんじゃないかと。

で、エントリーの話題に繋がるんですが、怯えているように見えるのは実は彼らなりの上の世代に対する敵意の表れなのかもしれませんよ。
「あんたらこうやっとけば満足するんだろ、これでいいか」みたいな。
相手に共感する気持ちが無ければ自分の意見もへったくれも有りません、逆らえないなら無難に正しいとされていることを黙々とこなすだけになります。

仲良くなってみるとわりと考えて生きてるのが判るんですが、初対面では凄く警戒されているように感じることが多いです。俺のみてくれのせいかもしれないですけど……。
大人に対する愚痴は凄く垂れ流してくれますよ、「あいつら全然判ってくれない」と。
ああ、俺の若いころと同じかよ、とか思って聞いています。

ジジババは口をそろえて「なんで今の子はあんなバカなんだ」って言ってますね、どいつもこいつも……元気が有っていいことだと思います。若者は放っておいてもちゃんとパワフルなので、なおかつ老人がパワフルなら日本の未来は明るいでしょう。

無学な人間なので読みにくい文でした。ごめんなさい。

gorotakugorotaku 2011/09/07 14:46 >yamorcaさん

色々納得がいきます。「怯えているように見えるのは上の世代に対する敵意の表れ」確かにあると思います。

白ロム白ロム 2011/09/07 15:40 ゆとり世代、モラルの低下

yamorcayamorca 2011/09/07 16:02 そもそもこんなに大学が増えた世の中で新卒採用の意義なんて合成の誤謬で消え去ってしまってますからね、学生もその欺瞞に気付いているでしょうし。
フリーターや派遣がイコール人生終了って風潮自体が社会の変化に取り残された古い価値観だって認識出来る機会が有れば学生さんももうちょっとアグレッシブになってくると思います。
一生勉強しながら働きながらさらに稼げる機会を得るためのベースラインを上げてやるってスタンスの大学になればいいんじゃないでしょうか。
ちょこっとググれば透けて見える社会の大人の事情により近いことを言ってくれる大人には子供も心を開きやすいっぽいです、自分の経験上……。

ちゃお。ちゃお。 2011/09/07 16:12 「成功体験、失敗体験が少ないから」という意見が目につきますが、私は逆の意見を持っています。
若者は今も昔も基本的には思慮が浅いものなので自分の経験したものしか出せないですし、
人脈もそんなにない人が多いので(あっても同年代の同じ経験を積んできたような人達)、
数少ない大人や自分より多い経験を持つ人の言うことに耳を傾けるものです。
ただ今と昔の違いは、ネットなどによりコミュニケーションが雑多になったため、
仮想的な体験を数多く見聞きすることが出来る点だと思います。

つまり「(仮想的な)成功体験、失敗体験が多すぎるから」テンプレ回答になる人が多いのではないでしょうか。

私は情報を扱う仕事をしているのですが、一つのテーマで玉石混交、雑多で量の多い情報が出まわると
情報は自然とフィルタリングされて洗練され、その都度共有化と並列化を繰り返していきます。
要はネットで繋がった何億人という人間の体験を仮想的に体験した結果の結論、のようなものが形作られていきます。
現代風の言葉で言えば「ソーシャルフィルタリング」というやつです。

そして情報の信憑性というのはソーシャルフィルタリングを通すと途端に強固なものになります。

TVやラジオで言っていた意見よりも自分が使用している掲示板の意見、その意見よりもFacebookでの友達の意見を信用する、というアンケートの結果が出ています。
ソーシャルフィルタリングを通すことにより、普段会話している身近な人が太鼓判を押している、という感覚になり
一般意見よりも人はその情報を信じるようになるのです。

現代の若者が面接でテンプレ回答する率が高い、というのは
そういう現代風のコミュニケーションの幅の広さが生んでいるのではないでしょうか。

yamorcayamorca 2011/09/07 16:28 横レスすみません。
>ちゃお。さんの言うソーシャルフィルタリングってヤツをものすごく身近に感じています。
夏休みの学生バイトの相手をする機会が有ったのですが、彼らはmixiやネトゲで共有されている情報をもとに実際の生活で小さな成功体験を繰り返している様子でした。
どのバイトが楽してそこそこ稼げるかとか異性を釣れるチャンスが有るかとかそういう程度のもんですけどね……。
論理的な試行錯誤無しに餌にありつけるってのも怖い話なんですが、ゆとりとバカにされたことへの反骨精神みたいなもんに作用し出すとどうなるかなんて思うとワクワクしたりもします。

ちゃお。ちゃお。 2011/09/07 17:30 ネットの利用、という面でもう一つ現代の若者に特徴的な点があるので記しておきますね。

物心ついた時には既にネットが身近にあるような世代とそれ以前の世代では
ネットに対する価値観が全く違う、という研究結果があります。

それ以前の世代にとっては(ネットを使えないような世代は外します)
インターネットは「道具」であり何か目的を達するための「手段」という考え方が一般的です。
情報を知りたい、インターネットで調べる、情報が出てくる、それを利用する、という思考回路です。
そういう人達は情報の「結果」に拘ります。なので匿名サイトは情報の価値が低いと考え、情報に対する一次情報(公式サイトの情報等)こそが信憑性の高いものと考えます。
また、情報を知るためのプロセスには価値がなく、結果的に情報が得られなかった時には無駄な時間を過ごした、と考えます。
その根底には著者や出版社のはっきりしている紙媒体が最も信用が置ける、と考えがあります。

ですがネットと共に暮らしてきた世代にとってはインターネットそのものに一つの価値観を見ています。
つまり「インターネットの情報にはアップロード元となる人間がいて、その人間が信用できるかどうかがその情報が信用できるかどうかに繋がる」という考え方ではなく、
インターネット自体に一つの人格のようなコミュニティ感覚を持っています。
そういう世代にとっての情報の価値観は「誰が提供した情報か」ではなく「そのコンテンツ(サイト)から信憑性の高い情報を得た経験がどれだけあるか」というものになります。

なので、自分がよく利用するコミュニティからの情報は確度が高く、そのサイトで「こういう対応であれば面接はいける」と言っていれば、それを信用するのが現代の若者の特徴だと思います。
それは私の年代(1970年代生まれ)が「著名な社長や実業家が経験で言っているのだからこの情報は確度が高い」と思い込むのと似ています。

からつからつ 2011/09/07 19:56 私的な体験談なので「そういう事もある」程度に考えて欲しいのですが、
私は今年になって「近頃の若い者は・・・」の真逆の評価をしているベテランの方のお話を聞きました。
最近の新人は目の色が違うそうです。
言われなくても早く出社するわ、黙っていても誰よりも遅くまで残るわ。
その方のお話を聞いて、
やはり就職氷河期という一つの修羅場を潜り抜けて職を得ている最近の新人は、
至れり尽くせりで内定先を取捨選択できたバブル世代とは覚悟が違うのかな、
などと思ったりもしました。
まあ、私が聞いたのは仕事場での「彼ら」の話なので面接ではどうだったのかは判りませんが。

私だけじゃないと思う私だけじゃないと思う 2011/09/07 20:55 テンプレの範囲内で答えないとダメなゲームだと勝手に思い込んでたわ。就活やりなおせたらいいのに

gorotakugorotaku 2011/09/07 21:57 >ちゃおさん

ネットの影響は間違いなく存在すると思いますが、僕自身はその内実を計りかねています。
学生を見ていると、どれぐらい/どのようにネットを利用しているかには、極めて大きな個人差があるように思えます。
使っていない子は(就活が始まるまでは)携帯メールと終電検索以外はほとんど0,というのもいます。
あとは大学によっても違いが大きいように思えますね。

今の若者の成功体験が、絶対値として多いのか少ないのかは分かりません。
現代の環境ハンディキャップを跳ね返すには足りないのだろう、ということ、
そしてその為には非常に強固な実体験としての成功体験の積み重ねが必要なのではないか、ということです。

gorotakugorotaku 2011/09/07 22:01 >からつさん

>やはり就職氷河期という一つの修羅場を潜り抜けて職を得ている最近の新人は、

おそらく、潜り抜けることが出来た人達は優秀であり、また修羅場を潜ったことによる自信も持っているのでしょう。

馬鹿凡馬鹿凡 2011/09/07 23:19 バカの総数は減ってないのに
進学率が増えて「大学生」が増えたからでは?

すみませんバカなコメントで。

22才の人22才の人 2011/09/07 23:46 以下の二点が気になりました。
?「若者はテンプレ回答しかしない」と述べていますが、「その会社の採用試験を受ける人がテンプレ回答しない」としかいえていません。
→その会社を受ける人の程度が低いのかもしれません
(amanokatanさんが既に述べていますね。)

?「上の世代の人がテンプレ回答をしなかった」ということが示されていません。世代間の違いを問題にするのならば、当然比較対象がどうだったかについても述べなければなりません。例えば30年前のその会社を受けた人は入社試験でありきたりなことを述べなかったのでしょうか?

xgst8pxgst8p 2011/09/07 23:51 行動的で社交的な人間が集まる場所で、性体験についてのアンケートを行うことで、
「平均的な若者」の性への向き合い方が理解できるようになるでしょうか?
インターネット上で議論をすることが好きであったり「はてなブックマーク」や
「2ちゃんねる」利用したりする人間達の中で支配的になっている社会観や
価値観はまた、それなりにその集団の属性がもつ傾向を反映したものに
なってきてしまうのではないかと思います。

つまり自信のない若者がネット上にある種の社会観を披露し、
同じく自信のない若者がそれに共感を示す、という形で
マッチポンプ的に自信のない人間にとっての社会観の信憑性を
醸成してしまっている可能性はないでしょうか?

本当にそれが存在するかどうかは分かりませんが、「集団ストーカー」という現象を扱う
ブログや掲示板のスレッドでは、それに同調した人間が集まっているのを見たことがあります。

あの状況では特定の社会観が前提化してしまってあとは事実をその枠にあうように
解釈する傾向が作られ、それが強化されていってしまうのではと思いました。

つまり、幸せな環境で過ごした人に、「あなたは幸せだっただけだ」と言い始めてしまうと
不幸な人間だけで構成された集団で、例えば「やはり人生は理不尽だらけだ」といった
主張を「そうだそうだ」と肯定しあう(それは人の自由ですが)集団ができてしまうのではないでしょうか?

gorotakugorotaku 2011/09/08 00:17 >22歳の人

「その会社を受ける人の程度が低い」としたらそれが何なのですか?
俺はそんな程度の低い連中とは違うんだから一緒にするなということですか?
就職面接で自分の思いを表現できない若者がいる、という前提で話をするのはあなたにとってそんなに問題ですか?

同様に、仮に上の世代もテンプレ回答をしていたとしたらどうなのですか?
今の若者が面接で自分の思いを表現できないことは、それをどうしたらよいか考えなくても良くなりますか?

xgst8pxgst8p 2011/09/08 00:37 gorotakuさん

「今の若者」ではなく、「就職面接で自分の思いを表現できない若者」のことですよね。
それをどうすべきかは考える意味があると思いますが、それは実は
「浪費家を、倹約することができるようにさせるにはどうすべきか」
「大酒飲みに、飲む量を減らさせるにはどうすべきか」
「ヘビースモーカーに禁煙させるにはどうすべきか」
などとと同じくらい一般的な議論になってしまい、
現代の若者云々を持ち出す意味は薄れませんか?

つまり、「困っている人たち」の、問題解決の手助けをするという目的は重要ですが
「若者一般について語りたい」もしくは「若者一般に通じる傾向を知りたい」
という欲求を満たすことはその目的の達成に寄与するでしょうか?

gorotakugorotaku 2011/09/08 01:07 >xgst8pさん

現代の若者云々を持ち出す意味が薄れるのであれば、別にそれで構いません。それは僕にとってはどうでもいいことです。

僕は自分の職業を通して、上記エントリで述べたようなことに苦しんでいる若者に触れています。そういう若者が同年代の中で統計的にどれぐらいの割合だとか、そんなことは本当にどうでもいい。その点そろそろ理解してもらえませんか。

xgst8pxgst8p 2011/09/08 01:19 >>僕は自分の職業を通して、上記エントリで述べたようなことに苦しんでいる若者に触れています。そういう若者が同年代の中で統計的にどれぐらいの割合だとか、そんなことは本当にどうでもいい。その点そろそろ理解してもらえませんか。

この点についてはよく理解しているつもりです。
だからこそ、なぜこのエントリの中で日本社会や、
日本におけるメディアや言論の風潮について語っているのか、
と疑問に思ってしまいました。
個々の学生に対してどう向き合うかは社会について考えることと少し
次元が異なるように感じましたので。

また、


>>ここで要求される成功体験の質と量は、過去の日本の若者が必要としたそれよりもずっと大きなものになっているはずだ。つまり、子供を昔と同じように育てるだけでは全然足りなくなっているのだと思う。

↑これは具体的にどういうことでしょうか?
国際的な競争の時代に、もしくは日本が相対的に、経済的に弱くなっていく時代に
生きていかなければならないからそれだけ大変だ、という意味でしょうか?

学生学生 2011/09/08 02:43 「どうしていまどきの大学生は、面接の場で自分の頭で考えたことを表現することができないのか?」
→採用試験のプロセス、ゴール共に難易度があがりすぎているから。
面接がますます大人の論理、物差しで厳しくジャッジされるようになっているような場所で、大人の論理と離れて暮らしてた普通の学生が自分の考えを述べることは事実上許されてません。

この不条理な場を切り抜けることを全ての学生に求めるより、雇用改善を目指した方が発想として正しい気がしてならないのでコメントしてしまいました。

fuckfuck 2011/09/08 07:37 gorotakuは次元の違う話をごっちゃにして話をし、
それぞれの話題について違う次元を次々に取り出すからまとまりがない。
大学で言ってることがよくわかんないと言われてません?
学生の立場からすると、教員に対してなかなかこういうことが言えないので。

また、
>上の世代もテンプレ回答をしていたとしたらどうなのですか?
今の若者が面接で自分の思いを表現できないことは、それをどうしたらよいか考えなくても良くなりますか?

上の世代もテンプレ回答で切りぬけていて、今も昔も若者が面接で自分の思いを表現できていなかったのならば、「若者は面接で自分の想いを表現しにくいのだ」と共通項ができるわけで、わざわざ「ゆとり」という一種の差別語を持ち出して世代間格差として考える必要は全くなかったんじゃないですか?「ゆとり」という言葉を使われることに腹が立ってきますね。

2525 2011/09/08 10:38 ジジイ「まったく最近の若者は・・・」@4000年前のエジプト

田中山田中山 2011/09/08 10:47 これはひどいね gorotaku氏の言うこと、もっともな意見じゃないの
反論してる人は何か親の仇にでもあったような接し方
自分の意見と一致しないと、自分が否定されてるようで怖いんと違いますか
これも「今の大学生がひどい」理由と思いますわ 自信がないんですわ

面接官面接官 2011/09/08 11:22 なんかやっかいな人に付き纏われてますね...

それはさておき、学校側が生徒の負ったリスクを引き受ける、という発想はおもしろいですね。
これまでその発想が無かったので目から鱗でした。
セントオブアウーマンを引き合いに出したのも分かりやすかったです。

通りすがり通りすがり 2011/09/08 11:22 いまどきの大学生は前に出たがらない。自分一人が注目されたくない。文句はあるけど裏でしか言えない。そして一人一人の個性が薄い。講義中でも帽子は脱がないし、腹が減ったら構わず食べる。

ゆとり云々はともかくとして、何時の世代もカテゴライズされ続ける。戦後だのバブルだの氷河期だの。日本人は同調文化だからそういう分類分けが好きで好きでしょうがない。分けられたくなかったらはみ出すしかないが、普通の日本人にはまずそんな事は出来ない。
採用側の世代が教えた常識で生きて来たのに、異なる見解を求めて判断しようとするからおかしな事になる。

正直、日本人は正解を求め過ぎなんだよね。何に関してもそうだけど。この手の記事は6割ぐらい共感出来れば十分で、その後自分がどうするかってのが重要なのに、妙なとこに噛み付いて不毛な議論を続けているようにしか見えない。

gorotakugorotaku 2011/09/08 11:48 ええとですね、なんかもう錯綜してきてるので、僕のエントリの内容を簡単にまとめますと

1. おっさんはゆとりゆとりってバカにしてるけど良く考えてみろ
2. 結局おっさん世代が人生イージーモードだっただけなんじゃないの
3. バカにして終わるんじゃなくておっさんも責任受け持とうよ
4. アル・パチーノかっこいいよね

以上の内容を、「おっさん世代が少しは聞く耳持ってくれそうな文章」にまとめたわけですね。
こう書くと今度は「おっさん世代がイージーモードだったというソースを出せ」と言われますかね。

22才の人22才の人 2011/09/08 11:57 >「その会社を受ける人の程度が低い」としたらそれが何なのですか?
俺はそんな程度の低い連中とは違うんだから一緒にするなということですか?
就職面接で自分の思いを表現できない若者がいる、という前提で話をするのはあなたにとってそんなに問題ですか?

いえ、ターゲットを絞って話すなら問題ありません。一般論とするのは問題ではないかと思っただけです。(少々揚げ足取り気味だとは自覚しています。)

>同様に、仮に上の世代もテンプレ回答をしていたとしたらどうなのですか?
今の若者が面接で自分の思いを表現できないことは、それをどうしたらよいか考えなくても良くなりますか?

世代間の比較をせずに「採用試験を受ける人がテンプレ回答をすることが多い」という現象を問題にするなら構いません。確かにその問題はその問題として考えるべきかもしれません。

このエントリーについて考えていて、2つ疑問に思ったことを書きます。

1.採用する側の質問はどのようなものなのでしょうか。
もし、採用する側の人が優れた質問をすれば、テンプレ以外の回答を引き出せるということはないでしょうか。例えば、「あなたの好きなマンガは何ですか?」と聞いてその漫画について語らせれば、テンプレ回答ではなくなる気がするのですが。
(自分は実際に就職活動をしたことがないのでどのような質問が投げられるのか詳しくありません。)

2.「テンプレ回答」という言葉の定義はどういったものになっているのでしょうか。
自分の中では、「学生時代に頑張ったことは」と聞かれ、「部活でがんばりました。」などと抽象的で空虚な回答をなしたら、それを持ってテンプレ回答をしたと表現すると考えていたのですが、この認識であっているでしょうか?
(部活での具体的なエピソードやそこから学んだことなどを述べた場合、フレームワークはテンプレ的になりますが、肉付けはその人独自のものとなります。こういった回答でもテンプレ的と分類したりするのでしょうか?)

tam07pb915tam07pb915 2011/09/08 12:29 コメントも興味深く読ませて頂きました。ゆとり世代の上の方(88年生まれ)ですが、誰に言われたとかそういう特別な事象はなくとも「ゆとり」という悪い意味のレッテルを貼られていることを感じています。それが社会の風潮なんではないでしょうか。たまに自分たちの間でも自虐的のに「さすがゆとり」と言ったりもします。
でも、僕はそんな目で見てくる社会に対して批判的でいます。外的要因の3・4も共感しますし、それがだめなんだろうよと思っています。
面接練習って言葉がなんの疑問もなく受け入れられて行われている時点でおかしいのではと思います。それってただのテンプレ回答練習じゃないですか。日本語なんだから練習いらなくないか?と思います。
教員になろうと思っている立場からすると、学生の決断に責任を持つのは重要な視点だと思います。やってみろって言って失敗したときにどうフォローするかは難しいですが。

tam07pb915tam07pb915 2011/09/08 12:32 連投すいません。いろいろ批判する人はとりあえず元のスレも読んでみてはいかがでしょう。

gorotakugorotaku 2011/09/08 12:40 >22才の人

エントリ内で引用したスレの「採用担当」が問題にしているのは、テンプレ回答とそうじゃない時の落差だと思います。

どの会社の面接でも聞かれるであろう質問(「志望動機は?」「あなたの長所短所は?」のような、テンプレ質問ですね)に対しては、予め用意して何度も練習したであろう答えを朗々と読み上げる。この答の内容は、どの学生も似たようなものになるので、結局その特定の学生についてはよくわからない。もっとその志願者個人について知るために、予想できないような質問を投げかけると、途端にしどろもどろになるか、答になっていない「回答例」を読み上げる。予想してきた質問にはすらすらと用意してきた答えを述べるが、予想できなかった質問には答えられない。この落差です。

おそらく、「面接とはそういうゲームだ」と若者に吹き込んでいる大人がいるのでしょう。つまり、面接を受ける前にどれだけ綿密に聞かれることを予測して、答えのテンプレを用意できるか、というゲーム。大学入試の面接をやっていると、明らかに高校でそのように指導されてきている受験生がたくさんいます。

gorotakugorotaku 2011/09/08 13:00 追加。

なぜ大人が若者に、面接でテンプレ回答させようとするのかといえば、おそらくそっちの方が楽だからです。

予想していなかった質問にも、その場で何かを考え、自信を持ってその考えを述べることができる能力を涵養するより、テンプレ質問に対するテンプレ回答を丸暗記させる方がずっと楽だからです。

就職活動中の大学生就職活動中の大学生 2011/09/08 23:10 別にテンプレ回答する若者がバカなわけではないと思います。
人事の発言もコミュニケーション能力だとか環境にやさしいだとかアットホームな社風だとかテンプレばっかりです。
質問内容によってはズレたテンプレ回答が帰ってくるところもそっくりです。
老若男女を問わず、人の大半はテンプレ回答を好むバカばっかりに感じます。

原因は情報が溢れてるせいで、便利で耳障りの良いテンプレ回答がそこらじゅうに溢れてるからでしょう。
特に就職関係だとそのテンプレをふれ回ることをビジネスにしてる人が増えていることも原因だと思います。

22才の人22才の人 2011/09/09 00:43 なるほど、予想していなかった質問に対して臨機応変に対応する能力を求めているわけですね。理解しました。

しかし、それは相当要求が高いですね。自分は学生ディベートをやっていたのですが、2年間やっても、臨機応変の能力は、あまり変化しなかったと感じています。一方元々地頭がいい人は、始めたばかりでも相当対応ができていました。

なので、瞬発力の有る・無しは教育だけに依らない気がしています。

適材適所では駄目なのでしょうか?(じっくり考える人は社会に要らないのでしょうか?)

アラサーアラサー 2011/09/10 00:37 ゆとりのハシリと呼ばれる世代ですがgorotakuさんに概ね同意できるけど気になったことが幾つか・・・

・テンプレート自体が時代共に増えている。
・学生、採用者がテンプレートを知る機会が増えている。
 →その面接官の質問の仕方も疑問(テンプレート解答はテンプレート質問がないと出来ないように思われる)
・採用者がテンプレート以外の学生を求めている(環境が変化した)。
・学生自体が成長過程で失敗(失敗に類する傷つく)経験する機会が減っている(劇の配役、運動会等、事例多数)。
・学生の質は変わっていないのに、大学が増えているため、同じ偏差値でも馬鹿になってきている。
・おっさんも責任を持つのは当然だと思うが教員が持つ必要はない。特におばさんも忘れちゃいけないでしょう。


このあたりは上のエントリでも書かれてることが多いですね。でも私が一番気になってるのは

大学は本来勉強するところであって、就職を斡旋するところではないんじゃないの?ってところ。 教員がそんなことを心配するぐらいなら、学生と共に研究成果を上げる、失敗成功する体験をさせる努力をしてほしいよ。
第一、「就職面接で自分の思いを表現できない若者」が研究発表の場で自分の思いを表現できる気がしないのですが・・・

これは世論の問題だと思いますが、いい加減に学校で何でもかんでも教えてくれる(教えてあげる)という風潮と、それを行う先生が良いという考え方を何とかしてほしい。

gorotakugorotaku 2011/09/10 02:08 以前の「大学でアルファベットを教えて何が悪い」の時にも思ったのですけど、とても多くの人達が「大学とは本来◯◯なところ」という規定をしたがります。そしてその◯◯は、往々にして現実とは乖離しています。どうしてなのか、まだ理解できません。

僕が(そして他の多くの大学教員が)考える大学の社会的役目は、「社会に貢献できる人材を育成すること」です。ほとんどの大学の教育目標なり、建学の理念なり、ディプロマポリシーなりにはこれに等しい内容が書いてあります。時代の変化に合わせて、その役目を果たすために必要なことをしていくことが大学の使命です。必要であるのならば何だってしなければならない。

多くの人がすでに指摘していますが、上記エントリで挙げた問題は、企業が採用のやり方(「雇用」そのものの見直しを含めて)を変えればほぼ消滅するでしょう。しかし、他力本願で企業が動いてくれることを待ち続けている余裕はない、と僕は考えています。僕の手の届く範囲でどうにかできる可能性があること、といえば結局「大学をどうにかする」しかないわけです。

gorotakugorotaku 2011/09/10 02:14 ただ、「何でもかんでも学校に押し付けるな」には賛成です。
学校がその責任から逃げてはいけないのと同じように、家庭も企業も、社会全体が、「次代を担う若者を守る」という責任から逃げてはいけないと思います。

amanokatanamanokatan 2011/09/10 08:33 >上の世代もテンプレ回答をしていたとしたらどうなのですか?

上の世代でもテンプレ回答をする人はいるでしょうね
そのテンプレ回答をする人の割合がどれくらいだったら許されるのでしょう
そしてその許される割合は誰が決めるのでしょう

思った事思った事 2011/09/10 11:52 なんというか・・・大学教員や人事が体験を元に書いてるコメントと、学生自身や学生と接したことが無い一般論(そうとは限らない的な)を語りたがる良識派コメントがわかりやすく分かれてますね。

まず皆さんは「立場の違い」を考えると良いと思います。
学生は自分のあり方を省みる、教員は教育や大学の在り方を省みる、人事は質問の仕方を省みる。
互いが互いの責任に押し付けるのではなく自分が出来ることを考える。

gorotakuさんの「おっさんとして、教員として自分でできることを」という観点は納得できますが、コメント欄にいる「学生だけど面接官が悪い」みたいなコメントを見てるとこの人たちは面接うまくいかないだろうなって感じます

アラサーアラサー 2011/09/10 12:50 通りすがりだったのですがABCのエントリも読ませて頂きました。
こういう話はどのレベルの学生を対象にするかで根拠が変わってしまうので水掛け論になりがちですね。一般的な大学生全体をさして書いたのですがABCのできないような学生が勉強して就職面接で言いたいことが言えないというのであればまた別の考え方や意見かと思います。

本来勉強という言い方をしてしまったのは誤解を招く表現で間違いだったかもしれません。申し訳ない。けれども「社会に貢献できる人材を育成すること」は明らかに目的が変わっているように思うのです。(教育大学の先生だったらゴメンナサイ)
しかも多くの大学教員が考えているのそれだとは少々驚きです。(私は知りませんでしたが、ほとんどの大学で理念に書かれているのは第一目標に類する形で書かれているのでしょうか?)

ここは私の個人的な想像も含みますが、成功させる体験を・・・っとおっしゃっておられますが、社会、大学が失敗を認識させていますでしょうか?教育界全体で失敗でも失敗と認識させない、わからない努力しているように思えます。例えばABCが出来なくても高校を卒業できてる、大学も卒業するのでしょう。これの結果は一般に成功ではないでしょうか?

できない生徒を落とす勇気がない、悪役になったりや責任を取りたくない。だから「しかたなく」授業のレベルを下げる。出来る人とできない人の判断がつかないようにするというふうに聞こえなくもないのです。

できない人のレベルに合わせて落ちこぼれを無くす、これは非常に教師としては気持ちの良い言葉です。でも学生はレベルの低い方に合わされていますので企業は区別がつきません。それも含んでそのような画一的に評価できない一面を垣間見える学生(ユニークな学生)が欲しいということでもあるように思います。すべて一般世論から想像するストーリーですが。

教師個人だけでは何もできないですが、単位を称げるかどうかは教員一人ひとりの問題かと思います。gorotakuさんは「◯◯は、往々にして現実と乖離している」とおっしゃっておられますが、それはどの業界にも言えるように思います。公務員とは、企業とは、学生とは・・・等々そういう場合は大概は自分は棚上げして、その業界全体が理念や道理に従って行動し、悪役や責任、それによって被る個人のデメリットを受け入れれば達成可能に思います。でもそれをやらない理由があるのであれば個人にメリットがないのでしょう。仰っている企業への要望として「採用のやり方や「雇用」そのものの見直し」なんかも教育界から企業へととれば相当乖離したものでしょうし、今の業界にそんな余裕は無いように思うのですがいかがでしょうか。

まぁ長々と書いてしまいましたが、要するに社会的責任をっと仰っしゃるのであればまず本業から逃げないで欲しいということです。そこを棚上げしてしまうと、別の業界がまた違った構図を生み出してしまうだけだと思うのです。

あと補足ですが私はレベルの高い学術に類する行為を行っていれば何でも良いと思っており、狭い範囲に規定したいわけではありませんのであしからず。他の方は知りませんが、特に書いている本人が規定したく無いのに、受け手が規定したがる・・・っというのは少々奇怪に感じます。逆に規定から逃れたい、規定されるのを畏れている?

gorotakugorotaku 2011/09/10 17:31 「本業から逃げないで欲しい」というのは、落ちこぼれをこぼせ、ということでしょうか。

いずれ別エントリを立てようかと思っていますが、アメリカの大学の四年卒業率は平均で50%程度です。90%以上の大学がある一方で、0%(つまり、その大学に入った学生は、誰一人として四年で卒業できない)というところもいくつもあります。

例えば英語の「完了形」は中学の範囲ですが、大学生で完了の用法がきちんと身に付いている学生は、ほとんど「稀」と言っていいレベルです(帰国子女やインターナショナルスクール出を除いて)。大学の英語教員は皆そのことを知っています。

「レベルの高い学術に類する行為」とは何でしょうか。僕には学術のレベル高い低いを判断できる自信がありませんが。大学の英語のクラスで、中学英語の範囲である完了形を取り上げたら、それはレベル的にはどうなんでしょうか。完了形できない学生は落とせばいいんでしょうか。大学の四年卒業率が平均50%程度になっても日本社会的にはOKなんでしょうか。

amanokatanamanokatan 2011/09/10 21:12 >大学の四年卒業率が平均50%程度になっても日本社会的にはOKなんでしょうか。
50%程度だとどのような問題が起きますか?

アラサーアラサー 2011/09/10 22:21 誤解を招く表現ばかりで申し訳ないです。
「落ちこぼれを落とせ」っと本業から逃げないでっというのは別の意味です。レベルの高いっというのは高等教育で教える内容よりも高いレベル(異なる内容)を指します。
「大学でアルファベットを教えて何が悪い」の話といっしょになってしまっているところはあるので確認なのですが、ABCを教えているのは授業の単位のコマとして行っているのでしょうか?それとも先生たち教員の善意、ボランティアで時間外に行っているのでしょうか?その2つは大きく意味が違うように思っています。

文章を読んで思ったのは、本来の大学で教えなければならない授業をやめて、就職対策や初等教育を行っていると思い込んでしまったところがあります。もしボランティアで落ちこぼれを救い、就職対策に成功体験をさせようとして、授業では大学らしい授業を行っているのであれば私の稚拙な思い込みで上記の内容はすべて訂正します。(その場合はそれはそれで現場の教師への負担は相当なものでしょうからかなり問題ですが・・・)

さて、50%なってもOKの件ですが、個人的な感想を無責任に言えば大学では、小中高とトコロテン式に押し出されて来た落こぼれがいたすれば、きちんと教育して学位を与える立場の社会的責任を取ってできるようになるまで留年させて欲しいです。理工系だったら3割は留年する学科など結構ざらだったりしますし、就職でも留年に対して理由があれば特に問題となったりはしないと思いますが・・・。むしろそういう学部では留年させる先生が恨まれることはよく聞きました。
でもこれは現実や慣例と違うと仰りたいわけですよね。なんか仰ってた規定したがるの話で日本の大学とは4年卒業率100%近いのが普通だという規定をされたがっているように見えて不思議です。

いずれにしてもエントリ同様についてほぼ同意できますし、正しいと思えることは常に実現に困難を伴うと思います。

とある一教員とある一教員 2011/09/12 08:28 アラサーさん、
横から失礼いたします。

私もアラサーさんの下記のコメントを見て理解できませんでした

〉大学は本来勉強するところであって、就職を斡旋するところではないんじゃないの?ってところ。
〉まず本業から逃げないで欲しいということ

私もgorotakuさんと同じで大学の社会的役目は、「社会に貢献できる人材を育成すること」と考えており、接してきた大学の教育目標等には大体上記の内容が書かれておりました。

そこで一つ上の書き込みを見てやっとこの食い違いが何故発生するのかが理解できました。

〉本来の大学で教えなければならない授業をやめて、就職対策や初等教育を行っていると思い込んでしまった

まず我々の大前提として教えなければならない講義をやめることはありえません。
と同時に、社会的に価値のある人材を育成することも本職の責務なのです。
大学とは社会的に活躍できる「知識・技術・態度」を持つ人物を育成するところであり、そのためには単に講義を通して知識の伝達を行うだけでは足りないと私は考えてます。
アラサーさんの言う勉強という言葉には「知識を学ぶ」という点が重視されてないでしょうか?

レポートを書かせることで論理的かつ形式的な説明ができるように育成し、実験や卒研を通して自主的に問題解決を行う科学的な態度を育成する事は大学の本職です。
そしてこの技術や態度は就活において強い武器になります。

ところが近年の大学生はよく「単位さえ取れれば」「大卒の肩書さえ取れれば」という言葉を口にします。簡単な方に流れているのです。レポートや卒研を必死でやらずに何とか通ろうとするのです。
そしてそれを許してしまう教員は非常に多い。教員にとっても許した方が楽だからです。
しかしこれは「社会的価値のある人材の育成」という大学の理念とは反します。

私はgorotakuさんの記事から、
「学生が難しいこと(自主的な行動や知識・技術・態度の勉強)」に価値を感じられるようにすること、終わった時に価値がある体験であったと感じさせること、
つまり講義や実験、卒研等について従来のやり方を見直し工夫をすること、また組織全体の意識を改革する事、
このようなことが大学側の教員の立場として必要であると感じました。

とある一教員とある一教員 2011/09/12 08:44 追記:
分かりやすい工夫としては、
私自身は講義の中で、メールを活用した質問を可能にしております。これにより質問が苦手な学生も質問しやすく、また学生の好きな時間に質問できると言うメリットを生んでいます。
またメールで質問をした学生は、直接質問しに来る機会が増えるという体感を得ています。
大学全体では、ここ数年で土曜日や夜に高校レベルの数学を教える講義やその週にあった講義を振り返る復習講義を開講しております。

我々の負担が増えるのは間違いないですが、これはボランティアではなく責務の一部だと考えています。

アラサーアラサー 2011/09/12 22:15 とある一教員さんの通りだとすれば責務の一部として捉えられている事に、素直に尊敬致します。でも、その行為による知らないうちの疲れが本来の講師、助教授、教授の研究成果や、その他の生徒への指導の密度が下がるといったような影響が出ていないかを心配してします。

gorotakuさんはどうなのか分かり兼ねますが、正直、「研究自体や研究発表の場で、きちんと受け答えできていれば面接なぞ大したことはない」と思ったので、授業のレベルを下げている、または就職に対応できるようなものにしようとしているのかと思い込んでしまいました。逆にそういう意味では授業のレベルをさらに上げようとされていたのだと今更ながらそんな気がしています。
もっと正直に言えば、ゆとり教育などがマスコミによって報じられている内容から聞き齧っていた内容をそのままのレベルで展開していたのかもしれません。例えば「授業時間を少なくする→教科書を薄くする→だから内容のレベルを下げる→円周率は3 など」

だだ、仰られた論調で「そんなことを大学でやらなくても良い」っという話には、その行為が社会で一般的と認知されたときに(主にマスコミが曲解させるのが原因かと思いますが)思わぬ波及効果がでるからだと思います。大学で最後に教えてもらえるのが当たり前、(高校教育のレベルが下がる、生徒も大学でもう一回できるから今やらなくていい)など。逆に出来なければ落とされる、そんな谷に突き落とすような方針が常識として世間に広まったときの方が、逆に生徒が自主的に授業の前に勉強してくるものなのではないかと思いますし、困難に対して自主的に前もって準備を行うような社会的に役に立つ人間が育つように思ってしまうのです。

saitohsaitoh 2011/09/13 23:41 企業から文句を言われないように大学でちゃんと教育すべきだという理念には賛同します。
「面接でドヤ顔でテンプレ解答繰り出してきて辟易。テンプレじゃない質問をすると、しどろもどろになるか、あるいは全然噛み合わないテンプレ解答を述べる。その場で自分の頭で考えたことを述べる、ということができない。」ってのは大学入試の面接(AOとか指定校推薦とか自己推薦)でもよく見られる光景です。すなわち、もともとはオリジナリティ溢れる解答が出来る学生だったのを大学が面接練習でテンプレ解答しかできないように型にはめている、わけではないです。
放っておくと面接でうんともすんとも応えられない学生をなんとかテンプレ回答だけでも出来るところまで面接練習で教育して就職戦線に送り出してる、ってのが低内定率に苦しむ無名弱小大学の実態です。テンプレでない自分の意見が言えるようにならないといけないのはわかっています。が現状の教育支援/就職支援の対応ですでに教員も職員もかなり疲弊しています。

もうひとつ。受験産業の発達しすぎで学生一人が応募する企業数が昔と比べてめったやたらに増えています。早期に内定がもらえた学生は就職活動を辞め、なかなか内定がもらえない学生ほど沢山の企業に応募を続けるので、企業側から見ると「テンプレ解答しかできない学生の比率が増えた」と見えるって側面もあるかと。

takkytakky 2011/09/20 03:44 就職本見てテンプレ解答しておけば楽。同じ服着ていれば楽。個性とか持った時点で出る杭として打たれる。だから薄っぺらいけど「良い話」を並べ立ててなんとか認められたい。アドリブで話なんかしたら、論理的に弱い部分を突っ込まれて一瞬で終わる。それに自分に自信なんてないんだ、自己アピールなんかとても恥ずかしくてできない。就職したい気持ちはあるんだ、なんでわかってくれないんだ。周りのやつら気持ち悪いけど、誰のどんな所が優秀か、認められるのかがわからない。誰も正解を教えてくれない・・・。 私が一昨年就職活動したときにこういう気持ちを持ってました。幸い就職は出来ましたが・・・。 このエントリを見た時、そういう気持ちをわかってくれる大人がいるんだって、すごく嬉しく感じました。

ぴ 2011/09/20 20:20 でも結局は今の30代前半より若い人って馬鹿ですよ。

samidaresamidare 2011/09/22 12:47 努力や社会経験とやら先にあるのが若者を馬鹿にして心の安寧を図るような大人では若者もやる気は出んでしょうな
若者の質が全体として低下しているとしたらそれは社会現象であり、であるなら社会の方にも問題があるのは自明の事なのに
そういう社会を作り上げたことに対する反省は皆無で、まるで自分たちは生まれながらに優秀で今の人は生まれながらに馬鹿だというような論を平気で展開する
今の大人も、これから大人になる人も、若者の質が低下しているなら自身の責任について考えるべきだし、若者が優秀ならそのことをこそ誇るべきですよ
なんで今の若者は馬鹿だ!って嬉しそうに語っちゃうんだろうな

coolmaaancoolmaaan 2011/09/26 03:55 私もsamidareさんと同じ考えです。ゆとり教育というものを子供にさせてきたのはもちろん大人なのに、その大人がいまの若者はって言う事自体、無責任すぎるとおもいます。
一般論とは何ですか?大多数の意見ならそれが正しいのですか?よく「普通は」と言う人がいますが、一般論こそ正しいように述べている人こそバカだと思います。そう思うのは、人それぞれ考え方が違うと思うからです。一般論こそ正しいように述べている人こそ、型にはまった自分の意見が言えない人なのではないでしょうか。私はこれから就職活動を控えている大学生です。自分の意見を面接の時言う事も大事ですが、型にはまっている面接官を見抜いて、私たちが会社を選ぶ事も重要だと思います。

こもりまりもここもりまりもこ 2011/11/08 20:30 >>xgst8p
このひと不可能性定理も知らないのかなあ? 流動的な対象を扱う社会学系の学問では、証拠の厳密な検証が求められないのは普通なんだが…… そもそも自分の専攻分野が帰納系なのか演繹系なのか区別ついてるのか? まさか論理学とか言わないよな。だって典型的な論点先取の誤謬にどっぷりはまってるしな。 ていうかいまどき論理実証主義とかwww オマエ19世紀の人間かよww
『心の存在は証拠が見つかってないから全ての精神病は存在しないか特例である』みたいな?ウェッウェッwwwwwww

と、まあ下品な味方ですし遅レスではありますがgorotakuさんの思考方法について。特にアラがありません。保証します。
しかし例えば研究姿勢の点で、思いつきを片っ端から打ち出すのは正しい社会学者の姿勢ではありません。
社会学者が気にするべきは、なにより法則の適用範囲です。特例に対する理論は例えばつり橋理論などがありますが、アレを「つり橋の上なんて特例だ!通常の人間心理を説明する役には立たないどころか、背景にある通常の脳の機能を完全解明できてないうちに応用に手を出すのは誤解を広めるだろうからいけない!」といって反論するのはトンチンカンというものです。試してみて違ったら、どこがどう違うのかちょっとづつ記録して修正していけば良いのですよね。

歴史上、闘牛はマントの赤い色に興奮しているのだと言われてきました。それは後に間違いだとわかり、実際はマントの揺らめきにより興奮しているというより正確な答えが人々に知らされるようになって来ましたね。
では、「赤いマントを揺らめかせれば牛を興奮させられる」という知識は無意味、無価値だったのでしょうか? それは違いますね。細部が違っても有効ならばある程度許される思考法というのがあるのです。それが社会学の本質であり、胡散臭さを排除しきれない弱点でもあります。

最近の若者は、とエジプトの壁画にも書いてあったそうです。しかしそれはファジー論理で思考処理するのなら「そういう傾向がある」としか言えません。実社会に生きているなら解るように、問題なのはその見つけ出した傾向の『整合性の取れた適用範囲』と『強制力の比重』を見極めることが誠実な態度なのです。将来、最近の若者は、という言葉がなくなる世代が現れるかどうかも不確定性な解でありますね。もしかしたら若い者嫌いというのはあんがいショボイ強制力しか持たない風潮なのかもわかりませんね(←これも実証不可能でありながら社会学が取り扱わねばならない分野)。

長くなりましたが、記事にあった解釈は適用範囲も比重も正に熱論に値すべき内容だったと感じました。これからもリアルとネット、共にがんばってください

教職を目指す某教職を目指す某 2011/11/17 03:24 興味深く読ませていただきました。

私は教員を目指しており、多少ですが教育のこと、そして教育と社会のつながりについて学んでいるところです。
私の体感なのですが、教育と社会は表裏一体であり社会の要請に応じて教育の在り様が変わります。
「画一的な受け答えしかしない」学生が多いのは社会の要請を反映しているという側面があるんだろうと思います。
(革新的な人物が必要な職場とそうでない職場もありそうですし・・・)

全体を個人的に読ませていただいて感じたのは、
質問項目・評価方法を見直した方が早い、ということでした。
「テンプレができるかどうか」も一つの判断材料だと思います。他に
「自分の考えを持つことができるかどうか」
「それを人に伝えることができるかどうか」
「わからないことについてわからないといえるかどうか」などでしょうか。
欲しい人材の欲しい能力を測ることができる質問設定を行った方が
おそらくは学生・雇用側ともに納得のいく審査結果になると思います。

学校における授業づくりにおいても一つの事象を学ぶ際に子どもに対する問いかけは多くのバリエーションがあり、
その中でも授業のねらいに到達できるであろう「問い方」をする必要がある、と私は考えています。
欲しい人材像と能力像があるならば、それを測るための質問項目の設定及び評価方法の設定を行うことが妥当かと思われます。

また、学生にとってテンプレ回答を求めている質問と自己主張を求めている質問の違いを判断するのは至難の業だと思います。
(これも「相手の質問から望ましい回答を返す」といった一種のコミュニケーション能力なのでそれを測る一つの基準となるとは思いますが)

教育現場にも「革新的で自己判断ができる人材の育成」ということが厚生労働省あたりから指針が出されていますが
雇用状況や新聞に聞くニュース、そして一般企業に勤める知人の話などを統合して考えたとき、
「革新的な人材が欲しいというけど世の中はホントにそういう人材を欲しがっているの?マニュアル人間が欲しいんじゃないの?」
という疑問がどうしても浮かびます。(業界・企業によって全く異なることはわかるので普遍的な人材像の形成というのは難しいとは思いますが)
子どもを送り出す側と受けとる側の双方で社会状況を鑑みた何らかの共通認識ができるといいな、と感じています。

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