詩のpickup(好きな詩)

島崎藤村さんの詩の中から、好きな詩を10詩選びました。

  • 詩集「若菜集」から
    • かもめ
      (波に生れて波に死ぬ 情の海のかもめどり)
    • 草枕
      (夕波くらく啼く千鳥 われは千鳥にあらねども 心の羽をうちふりて さみしきかたに飛べるかな)
    • 深林の逍遙
      (力を刻む木匠の うちふる斧のあとを絶え)
    • 潮音
      (わきてながるゝ やほじほの そこにいざよふ うみの琴)
    • 初恋
      (まだあげ初めし前髮の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり)
    • 若水
      (くめどつきせぬ わかみづを きみとくままし かのいづみ)
  • 詩集「落梅集」から
    • 小諸なる古城のほとり
      (小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすは萌えず 若草も籍くによしなし)
    • 千曲川旅情の歌
      (昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ この命なにを齷齪 明日をのみ思ひわづらふ)
    • 椰子の実
      (名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ)
  • その他



かもめ



波に生《うま》れて波に死ぬ
情《なさけ》の海のかもめどり
恋の激波《おほなみ》たちさわぎ
夢むすぶべきひまもなし

闇き潮《うしほ》の驚きて
流れて帰るわだつみの
鳥の行衛《ゆくえ》も見えわかぬ
波にうきねのかもめどり

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草枕



夕波くらく啼く千鳥《ちどり》
われは千鳥にあらねども
心の羽《はね》をうちふりて
さみしきかたに飛べるかな

若き心の一筋《ひとすぢ》に
なぐさめもなくなげきわび
胸の氷のむすぼれて
とけて涙となりにけり

蘆葉《あしは》を洗ふ白波《しらなみ》の
流れて巌《いは》を出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ

かなしいかなや人の身の
なきなぐさめを尋ね侘《わ》び
道なき森に分け入りて
などなき道をもとむらむ

われもそれかやうれひかや
野末《のずゑ》に山に谷蔭《たにかげ》に
見るよしもなき朝夕の
光もなくて秋暮れぬ

想《おもひ》も薄く身も暗く
残れる秋の花を見て
行くへもしらず流れ行く
水に涙の落つるかな

身を朝雲《あさぐも》にたとふれば
ゆふべの雲の雨となり
身を夕雨《ゆふあめ》にたとふれば
あしたの雨の風となる

されば落葉《おちば》と身をなして
風に吹かれて飄《ひるがへ》り
朝《あさ》の黄雲《きぐも》にともなはれ
夜《よる》白河を越えてけり

道なき今の身なればか
われは道なき野を慕《した》ひ
思ひ乱《みだ》れてみちのくの
宮城野《みやぎの》にまで迷ひきぬ

心の宿《やど》の宮城野よ
乱れて熱き吾身《わがみ》niは
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとりさみしき吾耳《わがみゝ》は
吹く北風を琴と聴き
悲み深き吾目《わがめ》には
色彩《いろ》なき石も花と見き

あゝ孤独《ひとりみ》の悲痛《かなしさ》を
味《あぢは》ひ知れる人ならで
誰にかたらむ冬の日の
かくもわびしき野のけしき

都のかたをながむれば
空《そら》冬雲《ふゆぐも》に覆はれて
身にふりかゝる玉霰《たまあられ》
袖《そで》の氷と閉ぢあへり

みぞれまじりの風勁《つよ》く
小川の水の薄氷
氷のしたに音《おと》するは
流れて海に行く水か

啼いて羽風《はかぜ》もたのもしく
雲に隠るゝかさゝぎよ
光もうすき寒空《さむぞら》の
汝《なれ》も荒れたる野にむせぶ

涙も凍る冬の日の
光もなくて暮れ行けば
人めも草も枯れはてゝ
ひとりさまよふ吾身かな

かなしや酔うて行く人の
踏めばくづるゝ霜柱
なにを酔ひ泣く忍び音《ね》に
声もあはれのその歌は

うれしや物の音《ね》を弾《ひ》きて
野末をかよふ人の子よ
声調《しらべ》ひく手も凍りはて
なに門《かど》づけの身の果《はて》ぞ

やさしや年もうら若く
まだ初恋のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隠るゝその姿

野のさみしさに堪へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海

朝は海辺《うみべ》の石の上《へ》に
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものは濤《なみ》ばかり

暮はさみしき荒磯《あらいそ》の
潮《うしほ》を染めし砂に伏し
日の入《い》るかたをながむれど
湧きくるものは涙のみ

さみしいかなや荒波の
岩に砕《くだ》けて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
潮《うしほ》とともに帰るとき

誰《やれ》か波路《なみぢ》を望み見て
そのふるさとを慕はざる
誰か潮の行くを見て
この人の世を惜まざる

暦《こよみ》もあらぬ荒磯の
砂路にひとりさまよへば
みぞれまじりの雨雲の
落ちて潮《うしほ》となりにけり

遠く湧きくる海の音《おと》
慣れてさみしき吾耳に
怪しやもるゝものの音《ね》は
まだうらわかき野路《のぢ》の鳥

嗚呼《あゝ》めづらしのしらべぞと
声のゆくへをたづぬれば
緑の羽《はね》もまだ弱き
それも初音《はつね》か鶯の

春きにけらし春よ春
まだ白雪《しらゆき》の積れども
若菜の萌えて色青き
こゝちこそすれ砂の上《へ》に

春きにけらし春よ春
うれしや風に送られて
きたるらしとや思へばか
梅が香ぞする海の辺《べ》に

磯辺《いそべ》に高き大巌《おほいは》の
うへにのぼりてながむれば
春やきぬらむ東雲《しのゝめ》の
潮《しほ》の音《ね》遠き朝ぼらけ

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深林の逍遙



力を刻《きざ》む木匠《こだくみ》の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花《くさばな》彫刻《ほりもの》の
鑿《のみ》の韻《にほひ》もとゞめじな
いろさまざまの春の葉に
青一筆《あをひとふで》の痕《あと》もなく
千枝《ちえ》にわかるゝ赤樟《あかくす》も
おのづからなるすがたのみ
檜《ひのき》は荒し杉直し
五葉《ごえふ》は黒し椎《しひ》の木の
枝をまじふる白樫や
樗《あふち》は茎をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓

   山 精
 ひとにしられぬ
 たのしみの
 ふかきはやしを
 たれかしる

 ひとにしられぬ
 はるのひの
 かすみのおくを
 たれかしる

   木 精
 はなのむらさき
 はのみどり
 うらわかぐさの
 のべのいと

 たくみをつくす
 大機《おほはた》の
 梭《をさ》のはやしに
 きたれかし

   山 精
 かのもえいづる
 くさをふみ
 かのわきいづる
 みづをのみ

 かのあたらしき
 はなにゑひ
 はるのおもひの
 なからずや

   木 精
 ふるきころもを
 ぬぎすてて
 はるのかすみを
 まとへかし

 なくうぐひすの
 ねにいでて
 ふかきはやしに
 うたへかし

あゆめば蘭《らん》の花を踏み
ゆけば楊桃《やまもゝ》袖に散り
袂《たもと》にまとふ山葛《やまくず》の
葛のうら葉をかへしては
女蘿《ひかげ》の蔭のやまいちご
色よき実こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隅々《くまぐま》も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
乱れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽《く》つるめり
せまりて暗き峡《はざま》より
やゝひらけたる深山木《みやまぎ》の
春は木枝《こえだ》のたゝずまひ
しげりて広き熊笹
葉末《はずゑ》をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか瀧川よ
声もさびしや白糸の
青き巌《いはほ》に流れ落ち
若き猿《ましら》のためにだに
音《おと》をとゞむる時ぞなき

   山 精
 ゆふぐれかよふ
 たびびとの
 むねのおもひを
 たれかしる

 友にもあらぬ
 やまかはの
 はるのこゝろ
 たれかしる

   木 精
 夜《よ》をなきあかす
 かなしみの
 まくらにつたふ
 なみだこそ

 ふかきはやしの
 たにかげの
 そこにながるゝ
 しづくなれ

   山 精
 鹿はたふるゝ
 たびごとに
 妻こふこひに
 かへるなり

 のやまは枯るゝ
 たびごとに
 ちとせのはるに
 かへるなり

   木 精
 ふるきおちばを
 やはらかき
 青葉のかげに
 葬《はうむ》れよ

 ふゆのゆめぢを
 さめいでて
 はるのはやしに
 きたれかし

今しもわたる深山《みやま》かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫《せう》の音《ね》をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙《しろたへ》の
雲の羽袖《はそで》の深山木《みやまぎ》の
千枝《ちえだ》にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々《きぎ》をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衛《やくへ》にいざなはれ
千々《ちゞ》にめぐれる巌影《いはかげ》の
花にも迷ひ石に倚《よ》り
流るゝ水の音《ね》をきけば
山は危《あや》ふく石わかれ
削りてなせる青巌《あをいは》に
碎けて落つる飛潭《たきみづ》の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光烱《ひかり》てりそふ水けふり
独《ひと》り苔むす岩を攀《よ》ぢ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭《たきみづ》の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下《くだ》るらむ

   山 精
 なにをいざよふ
 むらさきの
 ふかきはやしの
 はるがすみ

 なにかこひしき
 いはかげを
 ながれていづる
 いづみがは

   木 精
 かくれてうたふ
 野の山の
 こゑなきこゑを
 きくやきみ

 つゝむにあまる
 はなかげの
 水のしらべを
 しるやきみ

   山 精
 あゝながれつゝ
 こがれつゝ
 うつりゆきつゝ
 うごきつゝ

 あゝめぐりつゝ
 かへりつゝ
 うちわらひつゝ
 むせびつゝ

   木 精
 いまひのひかり
 はるがすみ
 いまはなぐもり
 はるのあめ

 あゝあゝはなの
 つゆに醉ひ
 ふかきはやしに
 うたへかし

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩《いろあや》の
いつしか淡く茶を帯びて
雲くれなゐとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと静かなる湖《みづうみ》の
岸辺にさける花躑躅《はなつゝじ》
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それ紅《くれなゐ》の色染めて
雲紫となりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫《ふかむらさき》の紅《くれなゐ》の
彩《あや》にうつろふ夕まぐれ

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潮音



わきてながるゝ
やほじほの
そこにいざよふ
うみの琴
しらべもふかし
もゝかはの
よろづのなみを
よびあつめ
ときみちくれば
うらゝかに
とほくきこゆる
はるのしほのね

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初恋



まだあげ初《そ》めし前髮《まへがみ》の
林檎《りんご》のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛《はなぐし》の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅《うすくれなゐ》の秋の実《み》に
人こひ初《そ》めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髮の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃《さかづき》を
君が情《なさけ》に酌《く》みしかな

林檎畑の樹《こ》の下《した》に
おのづからなる細道《ほそみち》は
誰《た》が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそうれしけれ

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若水



くめどつきせぬ
わかみづを
きみとくままし
かのいづみ

かわきもしらぬ
わかみづを
きみとのままし
かのいづみ

かのわかみづと
みをなして
はるのこゝろ
わきいでん

かのわかみづと
みをなして
きみとながれん
花のかげ

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小諸なる古城のほとり



小諸《こもろ》なる古城のほとり
雲白く遊子《いうし》悲しむ
緑なす【はこべ】は萌えず
若草も籍《し》くによしなし
しろがねの衾《ふすま》の岡辺《をかべ》
日に溶《と》けて淡雪《あはゆき》流る

あたゝかき光はあれど
野に満つる香《かをり》も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群《むれ》はいくつか
畠中《はたなか》の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間《あさま》も見えず
歌哀《かな》し佐久《さく》の草笛《くさぶえ》
千曲川《ちくまがわ》いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁《にご》り酒《ざけ》濁れる飲みて
草枕しばし慰《なぐさ》む

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千曲川旅情の歌



昨日《きのふ》またかくてありけり
今日《けふ》もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪《あくせく》
明日《あす》をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯《えいこ》の夢の
消え残る谷に下《くだ》りて
河波《かはなみ》のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る

嗚呼《あゝ》古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過《いに》し世を静かに思へ
百年《もゝとせ》もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞだひとり岩をめぐりて
この岸に愁《うれひ》を繋《つな》ぐ

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椰子の実



名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ

故郷《ふるさと》の岸を離れて
汝《なれ》はそも波に幾月《いくつき》

旧《もと》の樹は生《お》ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる

われもまた渚《なぎさ》を枕
孤身《ひとりみ》の浮寝《うきね》の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば
新《あらた》なり流離《りうり》の憂《うれひ》

海の日の沈むを見れば
激《たぎ》り落つ異郷の涙

思ひやる八重の汐々《しほじほ》
いづれの日にか国へ帰らむ

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松島瑞巖寺に遊び葡萄栗鼠の木彫を観て



舟路《ふなぢ》も遠し瑞巌寺《ずゐがんじ》
冬逍遙《ふゆせうえう》のこゝろなく
古き扉に身をよせて
飛騨の名匠《たくみ》の浮彫《うきぼり》の
葡萄《ぶどう》のかげにきて見れば
菩提《ぼだい》の寺の冬の日に
刀《かたな》悲《かな》しみ鑿《のみ》愁《うれ》ふ
ほられて薄き葡萄葉《ぶだうば》の
影にかくるゝ栗鼠《きねずみ》よ
姿ばかりは隠すとも
かくすよしなし鑿《のみ》の香《か》は
うしほにひゞく磯寺《いそでら》の
かねにこの日の暮るゝとも
夕闇《ゆふやみ》かけてたゝずめば
こひしきやなぞ甚五郎

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