キャッチャー・イン・ザ・ライ J・D・サリンジャー 村上春樹 訳

キャッチャー・イン・ザ・ライは、サリンジャーによって1951年に出版された大ベストセラー小説だ。さいしょに出版したときの売れ行きは芳しくなかったが、その後火をつけたように読まれ始め、いまでも1年で何十万冊が売れる。日本では、村上春樹が不思議と記憶にのこるような感覚を本書から受けとっている。この本はそんな村上春樹が訳したバージョンになる。ちなみにいちばん有名な訳は、野崎孝による「ライ麦畑でつかまえて」の方だろう。



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主人公のホールデン・コールフィールドは勉強にまったくやる気がない。おかげで、この度めでたく学校を放校されてしまう。そんなホールデンが放校になって、ニューヨークをさまよう様を描いたお話。おおまかな話はただそれだけ。ホントに。でもこれじゃあ何にもわかんないよね。じゃあもうちょっと続きを書いていこう。


それで歴史のスペンサー先生のところによばれるのだけど、ここで話したくないことを根掘り葉掘り聞かれるんだ。本当のところなんて絶対に話せないから、適当にうそをついてごまたしたんだ。ちょっといい先生だったし、本心で言ってくれる人だけど、説教はかんべんしてほしい。だから表面をとりつくろったんだ。ぼくにだってそれくらいのことはできるよ。


アックリーとストラドレイターってやつがいるんだけど、どっちもだらしないんだ。でもだらしなさの方向性はちがってて、アックリーはもうホントかんべんしてほしいって感じ。ストラドレイターの見た目はいつもぱりっとしているんだけど、見えてないところはぜんぜんダメ。
アックリーはみんなから嫌われてる。こいつは人をイラつかせる天才なんだ。ただぼくのサディスティックな気持ちをよくもりあげてはくれる。
ストラドレイターは気のいいところもあるけど、自分に対してうぬぼれが強くて惚れ込んでいるところが笑っちまえる。こういうタイプってときどきいるよね。


フィービーはどうしてるんだろう。フィービーはぼくの妹なんだけど、あんなに可愛くて頭のいい小さな女の子って、きみはこれまでみたことないはずだ。君にもフィービーをみせてあげたい。きっと気に入るはずだ。相手のしゃべろうとしていることがわかることや、ひどい映画とけっこうまともな映画がわかる女の子ってあんまりいない。ときどき情愛が深くなりすぎて困ることもあるけどね。


はなしは変わるけど、gokeってやつが読書メーターで、「これは16〜18歳ぐらいでよんでおけばよかったと思いました。たぶんこの本に魅せられる人は、社会からドロップアウトする素質ありです。この世のほとんどが気に入らず、子供の純粋さに郷愁をいだく。こういうことに魅せられる人は、自身を納得させるためにいろんなところからドロップアウトし続けながら、自分の居場所をさがすのではないでしょうか。思春期によんでいれば、主人公のバカバカしさにいらつきながらも、本をよんで悪態つく自分もあまり変わらないなと思ったかもしれません。もしくはまったく理解できなかったかのどちらかでしょう。」なんて書いた。gokeはどこにでもいるインチキ野郎だ。いろんな本読んで小難しい話したり、先生や上司ににおべっか使う、クラスにひとりはいるイヤなヤツ。だからこんなクソッタレ文章を書いてるんだろうね。そんなことができるなら、ハリウッドで成功するんじゃない?

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

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