先制攻撃論

数日前のことだが、仕事が休みになって朝からTVを見ていたら石破元防衛庁長官が喋っていた。うろ覚えなのだが、以下のような内容だったと思う。
まず一応「日本は専守防衛」との前提から出発。この前提から出発しながら、ある想定を行う。
もし、敵(北朝鮮?)ミサイル基地においてミサイル発射の準備が行われているという確実な情報が入ったら? そして、その敵はミサイルを日本に向けて発射するという確実な意思表示があったとしたら? 発射されたミサイルを防衛する手立てはない。ミサイルが発射され、着弾するとわが日本に大きな被害をもたらすことは確実だ。もしこの被害を防ぐとするならば、ミサイルが発射されるより前に叩くしかない。かといってミサイルがあるというだけで叩くわけにはいかない。これでは専守防衛ではなくなる。専守防衛でありながら、敵基地を攻撃できる境目はどこか。それは「攻撃に着手した時点」である。そしてその時点とは「燃料が注入された時点」。ミサイルの液体燃料はいったん注入されると抜き取ることは難しい。だからこれは確実に発射の意志があると看做される。そしてその時点で敵と日本が事実上戦争状態であったなら...。その時点での敵基地への攻撃は、日本への被害を防ぐという専守防衛の観点から逸脱したものではない、という理論なのである。
石破元防衛庁長官の理論の骨子はこのようなものであったが、このほかにいくらか付け足して喋っていたことがある。私が抱いた感想では、実はこの付け足しで喋っていたことの方が重要なのでは、と思っている。その内容だが、まず、
「敵が親切に日本に向けて発射するという意思表示をしてくれることなど、まずない」。笑ってしまうが、「まずない」といいながらその危険性をまくし立てた。ある種の詐欺だが、その危険がないとは言い切ることが出来ないので、詐欺であると断罪することは出来ない。巧妙である。そして、
「日本は専守防衛で、敵基地を叩く能力は現時点では持ち合わせていない。これはアメリカにお任せしている。だからもし、アメリカが攻撃してくれなければ日本はなすすべがない。果たしてこれでいいのか?」という問いかけ。これが彼が一番言いたかったことだろう、きっと。
 
その思いを強くしたのは、他チャンネルでみた軍事評論家小川和久氏の話を聞いたからで、小川氏は次のような内容のことを述べていた。
専守防衛が理由であれ敵基地を攻撃すれば、それは全面戦争に突入するということである。その時点で「日本への被害を食い止めるため」なんて理屈は通用しなくなる。そして自衛隊は現実の体制としてまったく「専守防衛型」になっている。全面戦争を遂行する能力はまったく持ち合わせていない。戦争を遂行する能力とは、終戦までのシナリオをいかに多彩に描けるか、という能力である。日本の自衛隊はこの部分は全くアメリカに依存しているし、アメリカも日本が全面戦争を遂行する能力を持つことは望まないだろう。ゆえに、アメリカは日本が先制攻撃を行う、つまり全面戦争への引き金をひく、能力を持つことは望まないはずだ。日本がその能力をもつと、アメリカは自ら望まない戦争に引き込まれる可能性が生ずる。アメリカは自ら起こす戦争に日本を巻き込むことは望んでも、その逆は望まない。」
まったくスジが通った話であろうと思う。
 
石破元防衛庁長官の話を小川氏の話と比較すると、その真意が見えてくる。石破氏の真意は「日本が全面戦争を遂行できる能力を持つこと」であろう。アメリカから独立して。かつての大日本帝国のように。
 
アメリカから独立することは望ましいことである。経済的にも、軍事的にも。心ある日本人の多くが、アメリカの属国と化した日本の現状を嘆いている。現在、憲法9条擁護を展開する人が多くなっているのも、それは9条改正⇒集団的自衛権容認⇒米軍と自衛隊自衛軍)との一体化という動きに歯止めをかけるためである。しかし9条改正が、アメリカからの独立への動きへと繋がっていくならば? 
現在「保守」と自認する人々の考えは、ここにあるのではないか? それだもので「日本人としての誇りが大切」という主張になるのであろう。「愛国心」の議論もここに繋がっていく。
 
話はまったく一筋縄ではいかない。政府与党の内部でも考えは違っているようで「小泉・竹中」はアメリカの手先の売国奴であるが、安倍・石破あたりはアメリカに日本を売るつもりはないように見える。安倍は岸の孫であるのだから、これは当然であろう。
 
9条を擁護しようと考える人間にとって問題なのは、いずれの勢力も9条は改正すべきだと考えていること。その後の動きについては考えが違うようだが、とりあえず9条改正までは意見が一致している。
 
9条を擁護しようとするなら、石破元防衛庁長官が示した「心配理論」に対抗できる「安心理論」を構築しなければならない。小川「安心理論」は「先制攻撃論」に対しては有効だが、9条改正阻止には行こうではない。また「戦争状態にならないよう、外交努力を」という話では「心配理論」に対抗できない。
石破「心配理論」は詐欺すれすれのものだれど、心配理論はそれで十分説得力を発揮する。むしろ、それだからこそ説得力を発揮する。これをどう突破するか。
 
たぶん「突破」することは不可能だ。できるとすれば「受容」することだけだろう。「心配理論」を受容し、徐々に9条が示す理想へ向かって現実と妥協を繰り返していく。一足飛びに9条の理想を実現することもまた不可能であるから、9条を生かす現実的な方法は「現実との妥協」しかない。そう考えて初めて「譲れる線」と「譲れない線」がハッキリするだろうし、大切なものもハッキリ見えてこよう。大切なのは、国家か、国民か、一人一人の命か、伝統なのか、価値体系なのか、自由か、平等か?
「より大きなルール」が必要だ。