甲府サドヤ見学

上を通過する人はここらへんシジュウカラで…じゃねえ四十肩になっています。普段はどってことないようなのですが力を入れたなんらかの拍子に肩に痛みで顔をしかめるのを目撃すると整形外科医でもないのになんとかしてあげたいというか心揺さぶられます。揺さぶられたってなにもできないのは自明なんすけど。温泉で四十肩が良くなれば整形外科なんて必要なくなるのですが・へたな考え休むに似たりなんすが、どうせ休むなら温泉へ、ということで

山梨の下部(しもべ)温泉というところへ。信玄公の隠し湯というのは山梨県各地にあるのですが下部も該当します。

温泉って人をだらけさせる要素があるんじゃないかと思うのですが、下部でだらだらしてきました。四十肩、やはりあっためると良いようで来たことを後悔せずに済みました。でもってお湯は透明ですがうっすら硫黄臭がします。飲用すると消化器系に良いというのを知ってちゃんと飲んできてます。
翌日、甲府市へ。

甲府にサドヤというワイナリーがあります。20代の頃から知っていて贈答につかってて、飲む機会より贈る機会のほうが多く、でも訪問したのははじめてです。有料でツアーがあるので、参加してきました。

タイル張りのつかわれなくなった地下タンクのなかでワイン醸造に関する基本的なことの説明を受けました。興味深かったのは蔵特有の酵母や大手は別としてワインの酵母はそれぞれオリジナルの酵母というわけでなく日本醸造協会のいわゆる「きょうかい酵母」を使用してるところがあるという説明で、同じ酵母を使ってても原材料や仕込みや熟成の違いでワイナリーによって差異ができちまうわけで、奥が深いのだなあ、と。
熟成庫も地下にあり

ワインは樽で熟成させたあと(樽の香りがつき、やわらかくなる)

びんでも熟成させます。サドヤはこのとき一升瓶で熟成させるのだとか。製造を始めたときに手に入りやすかった一升瓶をそのまま利用してて、販売する際は澱を除いてから、再びびんに詰めて出荷となります。ガイドの方から「一升瓶で熟成させるので一升瓶で熟成しないフランスワインに比べて一本当たりの量は勝ってます」との趣旨のジョークが(笑っていいところかどうかはわからず)。

試飲もしてきました。ガイド役の方はワインの香りや味を「言葉にすることで共有できる」ので舌や鼻で感じたことを言葉にすることの重要性を説いておられたのですがそれってなかなか難しいです。最初なに言ってるのだろう、と思いました。でも白ワインにおける「青りんご」とか赤ワインにおける「イチゴジャム」というキーワードがでてくると不思議とぴんときたというか腑に落ちたというか「言葉にすることで共有できる」という意味が手に取るように理解できてきました。同じ体験をして体感したことを言葉にすることで他人と(錯覚かもしれないけど)つながるのがとても新鮮で面白かった、というか。書いてて意味不明かもなんすが。

もうちょっと遊んでいたいのを封をして、翌日は出勤だったので後ろ髪ひかれながら帰京しました。

糸目


下部の駅のそばに湯之奥金山博物館というのがあって(というか怒られそうなことを書くと下部は温泉を除けば森と博物館とミネラルウォーター工場しかない)、時間があったので行ったら経済史の知識の補完になるような場所で、興味深く見学しました。また砂金採り体験もできます。ただし30分やって3粒とかそういうレベルですが。
下部のあたりは甲斐武田家の治世に金山として発展し、徳川幕府に移って江戸中期ころまで下部のあたりには金山がいくつもあって、純度の高い金を採掘していたようです。武田家の治世末期のころから甲斐の領内で産出される金は通貨に加工され地金重量と額面表示が一定して・比例して作られ甲州金として甲斐の領内で流通し、武田家滅亡後徳川家の治世になっても・徳川幕府体制になっても江戸や上方の貨幣制度とは別に甲州金は甲州独自の通貨として甲斐国内では通用していたことを今回はじめて知りました。ただ、江戸時代に江戸幕府が金や銀の改鋳(純度をさげること)をやるのですが、甲州金はいっさい改鋳をしなかったので、江戸幕府の流通させる金貨幣より甲州金は品位が高くなり、さらに江戸幕府の改鋳した金貨が甲斐に流通しだすと甲州金が甲斐国外に流出し・甲斐国内でも使われずに死蔵される結果になり、地方通貨としての甲州金は通貨として終焉をむかえます。
以下は山梨中銀の解説文の受け売りになるのですが、甲州金には糸目という通貨単位があり、「金に糸目をつけない」という言葉は甲州金から来た、ということに(山梨中銀説をとると)なっています。いままで気にもしなかったのですが、糸目が通貨単位であったことをはじめて知りました。なぜ糸目という言葉が残ったのか謎なのですが、匁や両に比べて信用力があったのかも。でもって実物が消えても言葉は生き残ることがあるのだなあ、と。