先月の日記にメモした稲葉さんの言葉「偽善」について考える【またも徒労のおれカネゴン】。これはおそらく、「正論」という言葉の方がふさわしいのではないかと思えてきた。ただ、今のままでは正論という言葉の定義が不十分なので、カネゴンがやっておきます【控えておれいおれカネゴン】:

  • 正論で取り扱われる議題は、人類がそれを根底から解決することが永遠に不可能なものであること(ex: 世界平和/不平等の解消/家内安全/商売繁盛/資源の枯渇/温暖化/子供の躾/近所付き合いなど)。
  • にもかかわらず、その議題をスルーすることが許されない人類の事情が常にあり、それに向けて解決の努力を怠ってはならない種類の議題であること。
  • 微積分にも似て、問題の解決に向けて連続的にアプローチすることだけが許されるものであること。抜本的な解決は、微分の定義の分子であるhがゼロになるのと同じく、定義されないものとする。
  • 前項により、「その議題を根底から一気に解決できる」と称するソリューション(民族浄化など)が登場した場合、それが誤りであることを無条件で判定できるもの。

賃金格差こそ経済の原動力

以前から、「世界中の人が同じぐらい金持ちになったら経済は成立するのだろうか」という疑問が頭から離れなかったけど、もしかすると本当にそうなのだろうか。どこかに貧困が存在しないと経済が回らないのだとしたら格差は永久に消えず、もし格差が消えることがあるとすれば、中和しきった酸とアルカリのように経済反応が終了してしまうのかもしれない。

電位差がないと電流が流れないように、経済格差がないと経済は流れないとすると、キルヒホッフの法則なんかも案外経済に適用できてしまったりして。そうすると抵抗は「金を稼ぐのに必要なスキルの不足」でコンデンサは「キャッシュの貯蔵」でコイルは「収入と支出を安定化しようとする力(交流への抵抗)」ということになるのだろうか。