車中で読んだ本の中に、北野武余生 北野武」があった。同書は北野武の薄ら寒い人生観に満ち満ちたロングインタビューで、大昔のロッキングオン松村雄策が「たけしには死の匂いがする」と漫才ブームの頃にずばりと見通したことを今頃になって裏付ける内容。
気になったのは、北野武が実は「ディスカバリーチャンネル」のような番組が大好きで、科学をギャグにする番組企画を何度も出していながら、TV局関係者にまったく理解されず、「ぼく科学のことよくわかんないから」という口調ですべて没にされたという記述。殊能さんだったか最上さんのどちらかが以前、文系と称する人たち(確か小説家)が科学についてこれっぽっちも理解を示そうとしないことについて心底がっくりしたと書いていたことがあったのを思い出す【理解と言えぬおれカネゴン】。

北野武は本質的にデストラクタであり、コンストラクタではないことを一方的に確信。普通の人が無意識に大事にしていることを大事にしないし、したくてもできない。カネゴンは正直、この人に近寄りたくない。

今後革新的なお笑い芸人を目指す人は、まず間違いなく経済学が必須になることを確信。かつて筒井康隆が心理学をギャグに転じ、北野武が工学をギャグに転じたように。問題は、経済学を学んだだけでそういうものを作り出せるようになるわけではないことだったりするのだけど。

オタク・イン・USAのあとがきにあった、町山さんによるパトリックへのしごき:

  • てめーの意見とか、くだらないアメリカン・ジョークなんか誰も読みたかねーよ!
  • てめーの文章は単調で、生き生きとした描写に欠けてる!それに文体が退屈で、やたらもったいぶってて、ノロノロしてんだよ!

ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する」を読み始めてみて、カネゴンもまったくこれと同じ感想を持ってしまった【人の意見でおれカネゴン】。
関係ないのだけど、英語圏のこの種の本はやたら分厚く、前書きと後書きの分量を何とかして増やそうとする傾向があるような気がする。本を分厚くさせるインセンティブとやらがあるとしか思えないのだけど、主張をコンパクトにまとめると10ページにしかならないのがバレないようにするためだとしたらどうしよう【どうもせぬとはおれカネゴン】。

総理大臣は、意見と得意技が極端に違う三人を束ねて一組ということにしたらだめだろうか【反逆するとはおれカネゴン】。地震や台風などの災害時にも三交代制で24時間対応できるし。給料も3分割ということで。