今朝目覚めて気付く。よく「年を取ると時間の進み方が速く感じるようになる」と言われるけれど(今調べると、ジャネーの法則と呼ばれているらしい)、もしかするとそれは年を取るにつれて意識が途切れる頻度が高まるせいではないかと。
脳科学あたりでそういうことが言われているのかどうか知らないのだけど、一応カネゴン仮説として、人間の時間に対する意識は連続しておらず、0.1秒ぐらいの、実相寺昭雄監督の演出のような細かな単位で意識がオンになったりオフになったりと激しくマルチプレクスしているとする【そんな仮定はおれカネゴン】。

  • 年齢が若いほど外界を物珍しく感じるために、意識を意識する(?)時間が長くなり、意識の途切れる時間もその分短い。
  • 年を取るほど情報処理に慣れてしまって外界に驚くことが減り、さらに、なまじいろんなことができるようになったり老化が進んだりとかして結果的に処理能力が落ちて意識の途切れる時間が次第に長くなる(長くなってもやっていけるようになる)。意識を意識できる時間がどんどん短くなるために、あっという間に一日が過ぎてしまうように思える。そのために若い者から見れば動作や思考がスローモーに感じられる。

誰しも常に意識を途切れなく持っているわけではないと思うのだけど、カネゴンの場合、今から思えばずっと以前からピチパチプッチンと意識が途切れまくっていて、その間に聞いた話に対しては即座に反応できないか、聞き返すか、聞き返すのが面倒でそのままにするしかなくなるということが多々あった【馬耳と東風おれカネゴン】。そして意識の途切れる時間が近年ますます長くなっているように思えることに恐怖を覚えてしまう【いちいち騒ぐおれカネゴン】。

さらに、「この意識の途切れ癖」は他人にも伝染ってしまうように思える。誰かと話していてカネゴンの意識が長めに途切れてしまうと【針飛びレコードおれカネゴン】、その間相手の意識もそれにつられて空白になってしまっているように思える。たぶん普通の人であれば当然するであろう会話中の身体的な反応が、カネゴンの場合突如真っ白になってしまうために、相手がその反応を無意識に待っているのに反応を受信できないまま動作が空白となってしまっているのではないかと。やがてタイムアウトし、相手は夢から突然醒めたように(またはひざかっくんを食らったかのように)小さく驚くも、そのことに気付いていないことが多いように思える。