花かんざし





♪明日にはきみは囲まれるだろう
 祝宴に 笑顔に そして花たちに
 もうきみはぼくたちの昔の恋のことなんか思い出さないだろう
 だけど 夜でも昼でも
 情熱にあふれて
 きみにぼくの歌が嘆きを届けるのだ




三月、寒さも峠を越した啓蟄の頃、
姉からふいに便りが届く。
白い花かんざしの刺繍の入った美しい便箋に、
華奢な筆跡が匂うような郷愁を放っている。


朝、手紙を開こうと入った喫茶店には、
ガーシュウインのラプソディ・イン・ブルーが流れていた。
私はその曲を聴くと、ウッディ・アレンの映画「マンハッタン」の
オープニングを連想してしまう。
ニューヨークの摩天楼の雄大な絵が目の奥に広がり、
なんとなく気持ちが高揚するのだ。
それとは反対に、この街で暮らせば、あの町は日毎に遠ざかっていく。
高層ビルから極限まで引いていくカメラのレンズのように、
どこか現実感が失せ、記憶の隅に追いやられてしまう。
まるで、いつの時代に見たか知れない遠い祭りの中に、
紙絵になったあの町がぽつんと納まっているかのように。


あの頃の姉は、そんな祭りの最中に居た。
綺麗に磨かれた鏡台の前で、紅を引く後姿を何度も盗み見した。
季節は春。樹木の梢も囀る鳥も、何もかもが華やぐ前の恍惚とした表情を見せ、
期待に胸を膨らませていた。
しかし、私だけが風に散る花弁を恨めしげに眺める心持ちでいた。
それは嫉妬とか、奪い取られるといった不安とは異質の、
どこか漠然としているが、確信めいた予感に似ていた。
姉はそんな私を見て「なんも心配はいらなか」と、
ただ紅潮する頬を揺らして、笑いかけるだけだった。


姉の相手は勤め先の医師だった。
話は順風に進み、いよいよとなった夏の終わりに、
糸はぷつんと切れた。
あの日、静かに舞い降りた孔雀の羽根は、
鏡台に座った途端に色を失くし、折り重なるように泣き崩れた。


ほどなく父が病で往き、家族は冬の時代を迎えた。
目まぐるしく変わる時節を、
私たちは氷雪の中で息を殺して耐える雷鳥のように、
じっとうずくまって過ごした。
光の差さない部屋は、そこだけぼんやりとした空気に支配され、
畳の上に孔雀のもぎ取られた羽根が幾層にも積み重なっていった。
姉の美しさは不変だったが、
どこかで履き違えた足袋のように、ぎこちない笑みを浮かべるようになった。
人は何かを失うと、奇妙なリズムを刻むようになる。
そして、その旋律が繰り返されるごとに、
やがてはっきりとした和音を奏でるようになる。
春が訪れ夏が去り、秋が冬へと傾斜していくように、
私もまたいくつかの音階の上で、奇妙なステップを刻んできた。


手紙を読み返しながら、私は今、
姉の紅潮した笑みとぎこちない笑みを同時に思い浮かべる。
店内に響くメロディは、いつの間にかフランチェスコ・パオロ・トスティの
「最後の歌」に変わっていた。


夏を迎えるころ、姉は結婚する。