年男


冬蜂の死にどころなく歩きけり



年末は仕事で忙しく、有馬記念トリガミに泣き、
返す刀の実家で痛飲し、
紅白も除夜の鐘も年越しそばにもありつけず年が明けた。
おまけに初夢はひどい夢でうなされる始末。
年を跨いでも私用に蹂躙され、金杯も玉砕しロクなことはなかった。
何をどこで間違えればこんな憂き目にあうのか定かではないが、
まあ、今年も似たり寄ったりな人生なのだとあきらめるしかなさそうだ。
去年も人生の糧にしようとたくさんの本を読み映画を観たが、
今はもうゴミくず同然にすべて忘れてしまった。
年のせいなのか、年のせいなのね。
それにしても今年は寒い。
一体何度寒い寒いとつぶやいたことか。
政治も寒いしテレビも寒いし懐も寒い。
どうしたらいいのだ。
まるで氷の世界だ。
テレビで楽しいのは「ブラタモリ」ぐらいだ。
きっとオレの人生は、大昔川底だったのだ。
舗装されてしまい傾斜に気がつかなかったのだな。
大雪に見舞われた地方はかわいそうに思うが、
雪かきもできない寒いだけの都会もそれはそれで哀しいのだよ。
風雪流れ旅ではないので、コートの襟を立てても間抜けなだけだ。
よくわからないがジャイアンツの補強外人もわからない。
亀井が三塁なのもわからない。
中国はもっとわからない。
今年もいろんな夢を見ていろんな酒を飲むだろう。
そしてキズついては立ち直るのだ。
地下鉄の階段を登り、コンビニで足を踏まれ、
馬柱に悩み、携帯の充電をし続けなければならない。
生きるのは面倒くさい。
ツイッターはもっと面倒くさい。
無駄を重ね重ねて充血した眼で潤む白夜を駆け抜けていくのだ。