真珠の耳飾りの少女

2002年作品
監督 ピーター・ウェーバー 出演 スカーレット・ヨハンソンコリン・ファース
(あらすじ)
タイルの絵付師だった父親が事故で失明したため、グリート(スカーレット・ヨハンソン)は画家のフェルメールコリン・ファース)家の使用人として住み込みで働くことになる。フェルメールにその美的感覚の鋭さを認められたグリートは次第に彼の絵の手伝いをするようになるが、それを知った彼の妻は二人の関係に嫉妬する….


オランダの画家フェルメールの「真珠の耳飾りの少女(別名:青いターバンの少女)」をモチーフにした小説の映画化であり、内容的には全くのフィクションとのこと。

歴史的な名画がテーマということもあって、とても映像に配慮された作品であり、フェルメールの絵に描かれているような17世紀中頃のオランダの人々の生活が見事に描き出されている。窓のある室内では必ず女性の左方から光が入るような構図が採用されており、時々フェルメールの絵が動き出したかのような錯覚を覚えてしまう。

しかし、本作のストーリーのほうはというと、俺がフェルメールの絵に対して抱いていたイメージからするとちょっと違和感の方が強い。まあ、西洋絵画に興味を持ったばかりの俺が言うのも何なんだけど、彼の絵から受ける印象は一言でいうと“静謐”っていう感じであり、この映画で描かれているような“官能”とか“嫉妬”とはあまり縁がないように思っていた。

この作品のテーマである「真珠の耳飾りの少女」の絵にしても、以前見たときも別に官能的とは思わなかったし、その印象はこの映画を見終わった後でも変わらない。しかし、この映画の中で見る限りでは、その同じ絵がちょっと露骨なまでに官能的に見えるのだから何とも不思議なもので、まあ、そのへんをフィクションと割り切って見られればとても面白い映画だと思う。

ということで、フェルメールの奥さんが嫉妬するのがスカーレット・ヨハンソン扮するグリートの若さでも美しさでもなく、“才能”であるっていうところが何とも切実な問題であり、同じく美的感覚に恵まれなかった凡人の一人として強い共感を覚えました。なお、映画の前半で製作過程が詳しく紹介されているのは「真珠の首飾りの女」という絵で、実際、「真珠の耳飾りの少女」の1、2年前に描かれた作品とのことです。

 魔法にかけられて

昨日が封切りのディズニー映画「魔法にかけられて」を家族で見て来た。そういえば、この作品も結構早い時期から予告編を流していたなあ。

ストーリーは、おとぎ話の主人公であるジゼル姫が魔女の悪巧みに引っかかって現代のニューヨークに追放されてしまうという内容。森の動物たちに部屋の掃除を頼もうとしたら現れたのはドブネズミとゴキブリだったといった具合に、彼女と彼女を追いかけてきたエドワード王子が大都会で愉快なドタバタ劇を繰り広げてくれる。

しかし、そういった自虐ネタは作品の前半の方だけで、その後は現実の人々の方が次第に“真実の愛”に目覚めていくという展開になっており、全体としてはちゃんとロマンチックなラブストーリーに仕上げられている。白雪姫やシンデレラのエピソードを取り入れた脚本も巧く出来ており、タイトルの“魔法かけられて”しまったのは実は現実の人々の方だったという結論も素直に受け入れられた。

まあ、今の時代、おとぎ話をまともに映画化したって、子供にさえ見向きもされないことを十分に計算した上での企画なんだと思うが、このへんのしたたかさを含めて流石にディズニーといった出来上がり。ラストのジゼルvs.ドラゴンの戦いが意外にあっさりと決着がついてしまったのがちょっと残念だったけど、そういえばあっちのドラゴンって空を飛べないんだったっけ?

主演のエイミー・アダムスはお姫様にしてはちょっと庶民的な顔立ちではあるものの、なかなかの熱演ぶりで好感が持てたし、X-メンでサイクロップスを演じていたジェームズ・マースデンのちょっと意外な三枚目ぶりも楽しかった。それと、ジゼルの相手役の幼い娘に扮する女の子がとても上手で可愛かったです。

ということで、ドリーム・ワークスが製作していたらもっと“悪意”に満ちた、しかし、ある意味で本作以上に面白い作品になっていたかもしれないけれど、まあ、こっちは子供から大人まで楽しめる作品ということで、これはこれで十分に楽しめた。続編が出来たら、また見に行くかもしれないなあ。