なんとかなる!がんばらない!

先日、母から電話がありました。この度の大震災にうろたえ、気力を無くしていた私に、こう言いました。

「気に病んでもなるようにしかならないし、天に任せて淡々と努力すること。それで降ってきた結果は受け入れればいいだけ、落ち着いて安心して暮らしなさいね」

この大震災は日本にとって、第二次大戦以来の甚大な試練だという人の声を聞きます。

戦争を経験していない私にとっては、戦争というものがどれだけ悲惨で辛い爪痕を残し、人々の心を痛めつけたか、想像力を働かせるしかないけれど、戦争をかいくぐり生き延びてきた母の世代は、いまこの試練を前に強いなあとつくづく感じます。

母は8月15日の敗戦の日の光景は忘れられないと言います。
疎開先で、ラジオの放送を聞いたときのこと。
朝からうだるような炎天の暑さの日だったこと。
8・15は、不思議なことにいつもそのような天気ですね。

母は、一番上の兄が満州へ出征し、行方がわからないまま終戦を迎え、結局、1、2年後に、その兄の戦友が母の実家を訪れて戦病死していたことを祖父・祖母に伝えにきたとき、祖母の背中が悲しみと脱力でみるみる丸くなっていく後姿が昨日のことのように思い出されるそうです。
その話をするとき、母はいつも涙ぐみます。

いまこの大震災で多くの命が失われた現実を前にして、たったひとりの人間の死であっても、その人を愛した家族や友人の悲しみ、喪失感、心の痛みは一生残るものなのだと、つくづく思います。

それでも遺されたものは、なんとか日々を生きることによって…Life Goes On …。 
でも、その悲しみや痛みは癒えること、忘却となっていくことはあっても、謂れ無き理由によって死んでいった人のことはやりきれなさ、無念さがいつまでもトラウマのように遺された家族や友人の心に深く残り続けるのだなと思います。

大切な家族や友人が亡くなることは、耐え難いものがあります。
いま被災地で、いまだ家族の行方を捜している人、あるいはすでに家族を亡くしながら、なお自分自身も被災者として辛い日々を送られている人のことに思いはせるとき、私は約10年前に末期がんで亡くなった最愛の父のことを思い出します。

そのときの喪失感のなんと大きかったことか…。
また、父の闘病の日々の情景がまざまざと思い出され、父は何と無念だっただろうかと、久しぶりに涙が滂沱のようにこぼれました。

・・・と、しめっぽい話はこれくらいにして、いま生きている私は、元気出さなくては! 

亡くなった人の分まで精一杯、生き抜いて、残された人生を有意義に過ごしていきたいとつらつら思っています。

まずは体力の回復と心の安定が目標です。

私は父を亡くしたあと約1年は、茫然自失の状態でした。
心の支えを失って、うつ的状態に陥りました。
そこからなかなか這い上がれず、もがき苦しみました。

そんななかでも仕事は何とかやらねば、責任を果たさなきゃ…と、生真面目に自分を追い詰めていってしまいました。

そのあげくにバーンアウト。約半年も精神科で入院しました。

その経験から私は、自分の生来の性格はなかなか治せないけれど、できるだけ「いい加減」に日々を暮らすように努めるようになりました。

母が言ったように、心配してもなるようにしかならないのですよ、人生は。
どんなに頑張っても、うまくいかないときは空回りするだけ。

イチローが、その天才的な打撃だけでなく、守備の面でも送球の速さと的確さ(何とかビームって言うのかな)が一時期話題になっていたけれど、彼によると、あの守備・送球の秘訣は、常に身体全体の力を適度にゆるめておくことだそう。
そうすると、どんな球が来ても慌てず、柔軟に対応できる。
仕事にしろ、人生の生き方にも応用できますね。

ちょっと、次元が違うかもしれないけれど、植木等の「そのうちなんとかなるだろう〜」的生き方でいくように、自分を変えていこうと思うこの頃であります。

何だかとりとめのない話になっちゃいましたが、要は、こんな国を挙げての一大事にあって、日々、不安な気持ちを抱えて過ごしているけれど、心配しても始まらない。

そのうちなんとかなる! がんばらない!

そう自分に言い聞かせている毎日です。