起き日記

 そこはかとなく眠いですね。 いつもの事ですが。
 昨日の寝過ごしのショックが、いまだに尾を引いているようです。
 さておき。
 高橋弥七郎さんが、「A/Bエクストリーム」続刊有りとインタビューで言っていたらしいと聞いて、
 立ち読みできちんと読まなくて、本当によかったと思いました。
 きっとその記事を読んだら、本屋さん内で叫んでいたに相違ないからです。
 良かった良かった、あの本屋さんが使えなくなる所だったよ。

 「学校を出よう!」への雑感

 三巻まで読んで、私の中で一番面白かったのが二巻に決定しました。
 ちなみに私内評価では、
 一巻:かなりあれ
 二巻:シメ直前が今ひとつながら、いいんじゃないか
 三巻:無駄じゃないんだけど、邪魔だよ最初の事件
 となるのですが、
 ここから判別するに、私はどうやらシメの良さ*1よりも道中の流れを意識するタイプのようですね。
 だから、三巻は見事な話の形を組んでいるけれども、
 上手く話しが流れていかない感覚*2にとらわれて、二巻より下と判断したのでしょう。
 では、なんで綺麗に流れてないと思ったか。
 作者が意図的に内容を間延びさせてるからか?
 うーん、どうにも考えがまとまらない。

*1:おそらく学校を出ようシリーズの最大の売り

*2:きわめて主観

 ついでというか

 「バッカーノ!」を読み終わったり読み返したりしているくせに、
 それについて何も書かないのは、書き出すとまとまらないからです。
 思いの丈が募りにつのって、何を書いているのか判別不能になるからです。
 「稀代のバカ“ヴィーノ"のキャラ解説に見せかけた、それに対する私の偏愛理由について」
 なんて私以外の誰が読むというのか。
 そういうわけで、上記を絶賛構築中です。(え?)

 きになる

 成田良悟さんといえば、再来月(12月)の単発作品がきになります。
 気になるといっても内容についてではなく、というか内容に関してはどんな物がきたとしても問題無く読める出来になるだろうと既に信用しているのですがそんなことはどうでもよく、
 イラストの人が「ヤスダスズヒト」さんである事です。
 ヤスダスズヒトさんが気になるといっても、絵が内容と合うかとかそんな所ではなく、むしろ昨今のイラスト士の中でも絵柄をそのままで話の内容にあわせられる力量から、ライノベとの相性は屈指の人*1だと判断していますがそんなよいしょ紛いはどうでもよくて、
 私が「単発作且つヤスダスズヒト」からどうしても、
 「ラスト・ビジョン」の海羽超史郎さんを思い起こしてしまうからです。
 
 海羽超史郎の名に覚えがない人のために軽く解説しますが、
 海羽超史郎さんとは電撃大賞第七期選考委員奨励賞の人で、
 2001年7月に受賞作「天剣王器」にて電撃デビュー*2をしたものの、
 評判が良くなかったのか、はたまた続きを書く事が出来なかったのか、
 三ヵ月後の同年十月に、受賞作とはイラストの人を変えた単発作「ラスト・ビジョン」を出した後全く音沙汰が無くなってしまった人です。
 そして(今の所)最後の作品となる「ラスト・ビジョン」のイラストがヤスダスズヒトさんだったのです。
 
 つまり「イラスト・ヤスダスズヒト」で単発だと消えてしまうように思えるから気になるのかというと、そんなあほな妄想が気になるわけではなく*3、「絵師変更且つ別の単発作」の形が危険の徴候なのではと思い、気になるのです。
 特に最近、電撃大賞第八期大賞の田村登生さんもこのパターン*4になっていたり、ちょっと前なら高橋弥七郎さんも右に同じくだった*5事を、否応無く思い起こされるわけで・・・。*6
 どうにもこのパターンって電撃文庫において瀬戸際の人への、最後通告なのかもしれません。
 最近とみに作家が増えてきた感のある電撃文庫だけに、先の見えない作家の切り落としが始まっているのでしょうか。
 気になります。

*1:三本指くらいにはいる

*2:この時、甲田学人さんも「Missing」でデビューしている

*3:ヤスダさんの場合、ライノベの仕事は単発作が主であるだけで、消える事との因果関係はない…かな?

*4:絵師換え&単発作

*5:A/B→シャナ

*6:成田良悟さんの場合は、イメージの固定を防ぐ為とも考えられます。 個人的には普通の構成の物も読んでみたいですし