■
あぁ〜っ、やっとかめ、って感じです。
何だか最近やったら夜になると忙しく
そう、まあちゃん(孫)の子守も増えた気がするなぁ〜。
ちっとも落ち着いてブログに向かう時間が持てません
今日こそは夕食後、Ale君もデートに出て行くと云うし、
チャンス!っと思ってたら、
またもや6時頃、娘達夫婦とまあちゃんが今晩わ!\(^O^)/
わっ、(>_<)ゞまた、来たよぉ、近くにいるのも善し悪しです
とにかく今日は早く帰って!っと追い出したところなのです(^_-)-☆
父と沖縄の旅
私の父は第二次世界大戦の終結地、沖縄戦にいっていました。
幸い命あって内地に戻ることが出来ました。
戦争時代の話は幾度となく子供の頃から聞かせられました。
私の母が病で逝ったあと、父は16年前から毎年この時期欠かさず
愛知県人の沖縄戦没者慰霊祭に参加している
85歳の父は自分が生きているうちに、どうしても自分が居た洞窟を
子孫らに見せておきたいらしく、今回、私と末の妹、そして沖縄へ行くのは
初めてという主人の母を誘って慰霊祭に参加をしました
年ごとに歳を老いた戦友達も減っていき
戦争を語り継いでいく人も少なくなったという現状
摩文仁の丘から見える海が戦争終結当時はアメリカ軍の艦船から続々と出てくる
ボートで海が真っ黒に見えたと語った
そのあと、父の思いが残る戦跡巡り、ずっと今まで父の遠い昔の事としてしか
聞き入れていなかった事が悔やまれる
健児の塔の裏手に父達が潜んでいた洞窟がまだそのまま残っている
父は持って来たその頃の戦闘帽をかぶってその場に立った
戦友達と生死を彷徨いたいした食料もなく来る日も来る日も帰れない
海を眺めては「何か旨い物が流れて来ないかなぁ」と思った事もあるとか、
ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館を見学、展示室には生き残りの学徒達の
証言の手記が置いてありました。幾つも目を通していくうちに
つくづく戦争の惨さ感じずにはいられませんでした
糸満市にある平和祈念公園、平和の礎には沖縄戦で亡くなった20数万の沖縄の住民、
アメリカ軍を含むすべての人々の名前が祈念碑に刻まれていました。
そして海を仰ぐ平和祈念資料館ここにも又沖縄住民の悲痛な手記が綴られていました。