浅草伝法院通り

harimaya2006-03-01

浅草雷門から浅草寺に向かって
賑やかな参道をしばらく歩くと
その左手に伝法院通りが見える。
浅草も戦後このかた風景も変わり
風情も薄れたがここの通りは昔の
面影も多く残って露天商も健在だ。
道具や骨董品など浅草ならではの
雰囲気はもうここでしかない。
立ち寄った蕎麦屋も昔の味がした。
この浅草の歴史をこのままに
いつまでも残してほしいと願う。

隠居の独り言(40)

天皇陛下も私と同じ時期に手術をされて術後も順調に経緯されてとても
お元気にご公務をこなされ写真を拝見すると我が事のように嬉しく思う。
ガンは初期のころは自覚症状も無く悪魔のようにそっと忍び寄ってくる。
若い時から胃酸過多で年中調子が悪く何度も胃カメラのお世話になったが、
あれは拷問のような苦しさで御免被りたいがしかし健康には替えられない。
胃炎、カイヨウの繰り返しだがガンは思いがけないところから発見される。
女性に更年期という年齢的な体の節目があるように男性にも老年期に入る
70歳前後の聳えるような山の峠にはいろいろな病気が待ち伏せをしていた。
実際に新聞の有名人死亡欄を見てもその頃の年齢が多いのは男にとっての
大きな壁なのかもしれない。胃潰瘍、鼠経部ヘルニア、内痔核、尿管結石、
顔面痙攣、自律神経失調症、それと前立腺ガンと一度に襲う複数の難敵と
戦わねばならない満身創痍のヤワな身体は痛く苦しい思いの繰り返しで、
その都度に手術を何度も受けて守り抜くことが出来たのは家族や周囲の
人たちの愛情と“運”の神との出会いが良かったとしか言いようがない。
ガンの手術はJ大学病院で受けたがその医師団が一ヵ月後に同じ病気の
患者が腹腔鏡手術に失敗して死亡させ逮捕される新聞種になった事件が
あったがとても優しい医師たちだっただけに複雑な思いは今も残る。
モシ、レバは禁句だが医師に勧められれば腹腔鏡手術を受けたかも知れず
今の生きていることの“運”の神に感謝してもしきれない。  つづく