ウーダの谷のマメヒコ飯店



今日は朝9時半からカフェマメヒコのオーナー、井川氏と、クルミドコーヒーオーナー、影山氏が「今考えていることをなんか話する、という会」ことマメとクルミの朝vol.2の第一回。
2時間ほどのお話の後、そのまま会場であるウーダの谷のマメヒコ飯店にて昼食。
この日は特別にお餅つきがあったので、主食はお餅です。甘いのとしょっぱいのどっちが良いですかと聞かれ、選べず両方にしたら、とても多かった…。ので今日は晩ご飯抜きです。両方あわせて、2000円なり。

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以下、2時間の話自分メモ。

最初会場に入ったときはvol1から参加してるっぽい方もいたりとか、完全アウェーな感じでなじめないかもと心配でしたが(極度の人見知り)いつもの調子?で井川氏が話し始めると、共感できることが多くて、気づくと話に没頭していた。
適当に話し始めるけれど、いつしか本日のキーワードのようなものが出てくるのがおもしろい。
自分のスタンスを持って話してるから、そうなるのだなと思う。
井川氏から感じるのは、自分で実際に何かやってみて、実感として湧いてくることをつかんで、言葉にしているということ。私もそういうことを大事に生きていたいと思ってるので、ひと言ひと言、「あ、そうだよね」と素直に受け取れる。
今日のメインのキーワード
「日本人的、アメリカ人的」
「日本人的」→他力本願であること、たとえば、体の半分は自分のものだけど、もう半分は、自然のもの。人間ではコントロールが利かないものと考えること
アメリカ人的」→自分の意思や体は自分のもの、自分でコントロールできるものと考えること

これ聞いてて、日本人は日本人的であるのが自然な姿なのに、ここしばらくアメリカ人的なことを続けてるからほころびみたいなのがでてきちゃってるのかなと思った。アメリカ人がアメリカ人的なことしてOKなのはアメリカとしてのいろんなバックグラウンドがあるからなのだよな、とか。

「完成させないこと」
70点から100点にするのはものすごい労力を要する。そこに労力をかけるより、ほかにもっとすべきことがある。
たとえば、今の食器洗い機は高性能だから、人が下洗いをそこまで必死にやんなくても、ほぼ、汚れを落としてくれる。でも、たまにこびりついていた汚れがとれてないものもあるから、とすごーく丁寧に時間かけて洗うスタッフがいる。でも、そこ必死にやってる時間があったら、たとえば、ホールの電球磨いたりとか、そっちのほうが店としてのクオリティは上がるんじゃないか。こびりついてる食器があったら、盛りつけのときにはじけばいいだけでしょう、と。

これもかなり同意。私もあまりものごとの解像度を上げることにはあまり興味がなくて、そもそも何のためにこれをやるのか、というほうに重きを置きたいと思っている。だからって雑でいいとか、そういうことでもなく(最低限のクオリティは必要)、言葉では難しいのだけど、全体のバランスを大事にしたい、というか…。ディティールを追いすぎると、そもそもの大前提が、ふとおざなりになる感じがいやなのです。たとえば石膏デッサンだったら顔を精密にかいてたら時間なくなって胴体部分真っ白で提出、みたいな…(それはそれで面白いけど)。てにをはとかどうでもいいからもっと読んでて面白いこと書いたほうがいいんじゃないか、とか。

あとはこれに関連して「7.8割にしといて、あとからどんどん手を加えていくほうが、結果として完成度が上がる」(これはモジュール化された現在の仕事の流れではむずかしいけど、と前提がありました。納品してからやっぱここ、こうしたいとかはできない。)
「プロじゃない我々ができることは、手間と暇をかけること。そこからにじみ出てくるものがある。」
「手間かけてやったことだから、ここを(カフェマメヒコを)なんとか持たせなくっちゃ、と思う。」

あ、あと今起きてないこと前提に訓練したってしょうがないでしょ、という話も。(帰宅困難者の訓練を引き合いにして)