ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

賢い患者

 「この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった」(マルコ5:26)
 新約聖書の時代にも患者をひどい目に遭わせる医者が多くいたようだ。気の毒な事に彼女はかかった医療費を、この医者に幾ら、あの医者に幾らと捻出し続け、遂には自分の持ち物を全て失ってしまった。
 それでも治療が功を奏したのなら、新しくやり直す事も出来た。しかしその逆にもっと悪くなってしまったのである。
 その彼女が救い主にして全知全能の医者イエス・キリストの事を耳にしたのは、この上もなく幸いだった。近づいて衣に触れた彼女は、イエスによって即座に癒された。
 当時のユダヤ人で医者と称する人々の中には、結構「まがいもの」が居たようだ。すると真の医者に出会うまで、患者は賢くなければならない。
 岩波新書で『賢い患者』(山口育子著)が出版された。著者の山口は大阪市生まれ、25歳の時卵巣がんを発症したが、当時は医者が患者にがんを告知するのは一般的ではなかったと言っている。1990年たぶん大阪で手術を受けたのだろうが、私は1989年大腸の狭窄があって、大阪から痛みを堪え、神奈川で最初に手術を受けた時の執刀医がいる病院まで、車で行ったのである。ほぼ時代が重なるので、山口の主張はよく分かる。私の執刀医も術後家族に結果を伝えたが、私には回診の時何も伝えてくれなかった。
 この本の冒頭部分は、山口のすさまじい患者体験が綴られている。抗がん剤治療も含め、多くの医者に蹂躙されたと言ってよい。
 そんな中彼女は「認定NPO法人 ささえあい医療人権センターCOML(Consumer Organization for Medicine & Lawの略語で、医療と法の為の消費者組織といった直訳になるか)の創始者辻本好子と出会う。その出会いが彼女のその後の生涯を決定付けた。
 このKOMLのスタッフになった山口は、20年後辻本のがん死と共に、その理事長になり、幸い今日まで至っている。
 それまでに受けて来た患者の無数の相談から、辻本も山口も患者と医者との良い関係の構築が必要との認識を持ち、それを文章化して私たちに示してくれた。『新 医者にかかる10か条』である。それが『賢い患者』の中に収めている数々の項目の白眉ではないかと私は思う。
 それを記すと1伝えたいことはメモして準備、2対話の始まりはあいさつから、3よりよい関係づくりはあなたにも責任が、4自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報、5これからの見通しを聞きましょう、6その後の変化も伝える努力を、7大事なことはメモをとって確認を、8納得できなときは何度も質問を、9医療にも不確実なことや限界がある、10治療方法を決めるのはあなたです。
 非常に簡単で分かりやすい。私は1976年胃の全摘手術を受けてから、関連する合併症の手術を数回受け、大きな手術としては、1989年胆嚢と大腸上行結腸の狭窄手術を受けた。そうしたらその後3年経過して突然糖尿病になってしまった。これはおそらく1型、2型のうち前者である可能性が高いと見た。胃と腸との間に何らかの未知の因子があって、それらの喪失と共に発症させたのではないかと考えている。おそらく上記10か条の9に記されている内容だと思う。
 だから40年以上にわたり、医者との付き合いがある。つらつら考えてみると、その10か条を徹底させておけば、早く賢い患者になれたのにと、残念に思う事はある。
 現在も糖尿病のこれぞ専門医と思う医者と付き合っている。食前に飲む薬がこれまで全て合わなくて、4を実行して、自覚症状を細心の注意をもって見ている。それを1にあるように、あらかじめメモしておいて伝えるのが大切だと思う。面と向っていざ幾つかの事柄を伝えようとしても、口頭では緊張して忘れてしまうからだ。患者の数が多いので、短く伝えようと思うと余計焦る。また出来るだけ主観を排して、その後の変化も伝えるようにしたいと思う。
 しかしそれはなかなか難しい。医者には私のような患者の場合、薬の効果については、盲検法が客観的に判断出来て良いそうだ。予断が先に来てしまうタイプらしい。
 これから医者と付き合う方は、是非この10か条を参考にして欲しいと思う。うまく纏めてくれた山口には深く感謝する。(文中敬称略)