様々な感情表現

(第288号、通巻308号)

    事実関係を第三者に伝えることよりも、感情・気持ちを表現することの方がはるかに難しい。だからなのか、文章が巧くなろうと思ったらラブレターを書く練習をたくさんするのが近道、という冗談めいた話もある。が、思いの丈を綿々とつづるのは逆効果かもしれない。つい形容詞を過剰に使いがちになるからだ。形容詞も副詞も、いや動詞さえも使わず、たった3語で多くの人の心を打った有名な「恋文」がある。

    今から半世紀ほど前。南極観測の昭和基地にいるある越冬隊員に日本で留守を守る奥さんが送った一通の電報だ。トン・ツー・トン・ツーのモールス信号で届けられた電文は、「ア ナ タ」。厳密に言えば、ラブレターではなく、新年の挨拶だったのだが、この3文字には、妻の全ての思いが込められていた。日本一短いラブレターとして知られる。

    夏目漱石がある女性の死を悼んで詠んだ追悼句も有名だ。上の電文とは逆に、悲しみをストレートに句にしている。これまで秘めていた想いを一気に表出したような感じさえ受ける。
      
        [ 有る程の菊抛げ入れよ棺の中 ]

    この女性は、大学時代の親友の妻で、才色兼備で知られた大塚楠緒子(おおつかくすおこ)。彼女は、漱石の心の恋人だったとも言われる。しかし、その想いはついに告げ得ず、それぞれ別の相手と結婚する。楠緒子が亡くなった時、漱石は持病の胃潰瘍で「修善寺の大患」後、都内の病院で療養中だったが、漱石日記によれば、彼女の夫から「友人総代として余の名を持ひて可いかといふ照会が電話で来た」という。その電話の前に新聞で訃報を知り、手向けの句を作った。

    漱石の痛切極まりないこの句の訴えをみると、恋人説もあながち俗説とは言い切れないような気がする。

    激しい感情の表現は、言葉だけで示すとは限らない。芥川龍之介の短編『手巾(ハンケチ)』に次のような一節がある。引用する前にほんの少し付言すると、大学生の息子が腹膜炎で亡くなったことを母親が息子の恩師の家に報告に訪れた場面である。
 
   [ その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持つた手が、のつてゐる。勿論これだけでは、発見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに気がついた。ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊(かた)く、握つてゐるのに気がついた。さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、繍(ぬいとり)のある縁(ふち)を動かしてゐるのに気がついた。――婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。]

    いかにも、昔の良家の日本女性らしい所作としか言いようがない。漱石の、悲痛をぶつけるような追悼句とまことに対照的だ。

    今号は、先週の「友の急逝を悼む」の続編のつもりで書いたもので、いつものブログと趣向を変えた。