“ハラボー”〜桑田サザンを支える「陰の実力者」

 由紀さおりさんの新作を聴いて以来、60年代の歌謡曲に魅せられて、ここのところちょっとしたマイブームなのだ。その中でも例えば由紀さんでいえば「生きがい」だとか、島倉お千代さんの「愛のさざなみ」だとか、西田佐知子さんの「くれないホテル」とか、いま改めて聴いても「スゲ〜!」と叫びたくなっちゃうような、実に洗練された名曲の系譜があって、それらを「ソフィスティケーテッド歌謡」と勝手に名付けて自分用のコンピCDを作って楽しんでいたりするのね。
 そんなある日、ひょんなことでCDライブラリーをひっくり返していたら、これが出てきたのだ。
 原由子東京タムレ』。東京タムレ
 2003年発売のカバー・アルバムで、当時は結構聴いたのだけど、いつの間にすっかり忘れていた作品。収録曲を見たら、そういえば先に挙げた「生きがい」も「愛のさざなみ」もバッチリ入ってるじゃん、てことで、以来今度はこの『東京タムレ』が俺のなかでリバイバル。選曲のセンスもさることながら、いつ聴いても心地良いハラボーのまろやかなボーカルに(今更ながら)心酔している毎日なのだ。
 そう、今日のテーマは“ハラボー”こと原由子
 桑田ケイスケ夫人にして、サザンの名キイボーディスト。この人、押しの強いダンナの陰に隠れてしまっているためか、はたまたいつもニコニコして性格の良さそうなフツーのおばさん、みたいなイメージが強いためか、ひとりの「アーティスト」として語られることは少ないように思うのだけど、hiroc-fontana、実は昔からファンなのです。
 サザンのアルバムでも「私はピアノ」「流れる雲を追いかけて」「そんなヒロシに騙されて」「シャボン」「鎌倉物語」などなど、アクの強い桑田節の合間に一服の清涼剤のごとく現れる、ハラボーのリードボーカル曲は昔からどれも大好きだったのね。まるで中国の「胡弓」みたいな、線が細いようで低音から高音まで実にしなやかに伸びる地声、それが彼女の大きな魅力。それと、少女の可憐さと悪女の毒とを兼ね備えたような、独特のフィーリング。一聴するとシロートのように聴こえなくもないけれど、実は確かな音楽的素養に裏打ちされていて、だからこそ桑田作品の最高の歌い手のひとりとして君臨している、それがハラボーなのだと思う。だからこそソロでも「恋は、ご多忙申し上げます」や「Loving You」とか、「ハートせつなく」、「花咲く旅路」などといった難しい桑田作品を実にサラリと歌いこなしているわけで。Loving You
 そんなハラボー。ホントはソングライターとしての才能も、すごいんじゃないかと俺は思っているのね。自身が歌った「あじさいのうた」をはじめとして、斉藤由貴さんに提供した「さよなら」や「少女時代」、伊藤つかさに提供した「夢見るSEASON」など、その瑞々しくポップなメロディーラインと感性豊かな詞に、天才的なセンスを感じずにはおれないのよね。オーバーじゃなく。
 91年の2枚組アルバム『Mother』は当時の俺のお気に入りアルバムで、桑田作品とハラボーの自作曲がほぼ半々の割合で収められているのだけど、中でも特にお気に入りだったのは「Good Luck Lovers!」という曲。こちらは由子さんの一般的イメージとは少し毛色の違うAOR色の強い作品で、線の細い彼女の声とマイナー調の洗練されたメロディーに、都会的なアレンジとが絡み合って独特な空気感を醸し出していて、ちょっとボビー・コールドウェルを彷彿とさせるのよね。俺としてはこれぞハラボーのメロディーメイカーとしての天才的ひらめきを感じさせる1曲だと思っているのだけど、結局、唯一のベストアルバム(『Loving You』)にも未収録で、隠れた名曲のままなのが淋しい(涙)。MOTHER
 でもその他にも前述「少女時代」の初々しいセルフカバーや、珠玉のバラード「星のハーモニー」「終幕(フィナーレ)」など、アルバム『Mother』にはハラボーのメロディーセンス溢れる自作曲が満載で、2枚組作品にありがちな冗長さ・散漫さを全く感じさせない90年代のJ-POPの名作のひとつだと、俺は思っている。
 さて最後に。桑田さんにとってのハラボーは、桑田さん自身をレノンにたとえれば、オノ・ヨーコのような存在なのかもな、なんて思うのね。サザン“オールスターズ”というネーミングにしても、あるいは当初から彼女をフィーチャーした曲をアルバムに入れていたというのも、桑田さんなりにハラボーの才能をずっとリスペクトしていて、サザンのメンバーのままソロとしても彼女を後押ししつつ、将来は二人三脚で音楽をやって行きたい、という青写真があったのかもしれないな、と思えるのよね、何となく。
 現在は、サザンの活動休止のあおりでハラボーも当然のごとく音楽活動休止に追い込まれてしまっている形だけれど、いずれにせよ、この才能、眠らせておくには余りにもったいないような気がしてならないのだ。