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片柳神父のブログ「道の途中で」

2016-09-27

フォト・ライブラリー(494)彼岸花

彼岸花

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 秋の彼岸に合わせるかのように、9月中頃になると、一斉にあちこちで花を咲かせ始める彼岸花。教会の庭や道端で見かけた彼岸花たちの美しさをお楽しみ下さい。

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 美祢の県道を走っていると、あちこちに真っ赤な彼岸花の群落を見かけます。山里の秋の風景です。

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 あぜ道にずらっと並んだ彼岸花。毒のある根が、あぜ道をモグラから守っているのだそうです。

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 たわわに実った稲穂の金色と、燃え上がるような彼岸花の赤。秋の到来を告げるコントラストです。

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 たわわに実った稲。「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」という道歌を思い出します。

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 紅白の彼岸花が入り混じって咲く群落。この辺りでは、白い彼岸花をよく見かけます。

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 赤と白が入り混じって咲いていると、まるでご祝儀袋の水引のように見えます。

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 情熱的な赤もいいですが、上品な白もまた魅力的です。

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 教会の庭に咲いた、黄色い彼岸花。この辺りでも珍しい色です。

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 繊細な美しさの彼岸花。木漏れ日が、スポットライトのように当たっていました。

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 四方八方に、伸びやかに広がった彼岸花の雄蕊。神様の作り出す造形は、見事としか言いようがありません。

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 気づかないうちに茎を伸ばし、突然に花を咲かせる彼岸花。まだしばらくは、あちこちに咲いて目を楽しませてくれそうです。

2016-09-25

バイブル・エッセイ(564)いつくしみの扉を開く

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「いつくしみの扉を開く」

「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」(ルカ16:19-31)

 地獄の炎に焼かれて助けを求める金持ちに、神は「わたしたちとお前たちの間には大きな淵がある」と答えます。淵とは何でしょうか。それはきっと、無関心でしょう。金持ちはラザロの苦しみにまったく関心がなく、ラザロに対して閉ざされています。その無関心が、暗い淵となってラザロと金持ちのあいだに広がっているのです。その淵は、神でさえ埋めることができません。金持ちが、自分で作ってしまったものです。その淵を越えられるものがあるとすれば、それは、人々の苦しみに共感する愛だけでしょう。

 「いつくしみの特別聖年」で、各地の教会で「聖年の門」が開かれました。その門をくぐることによって、神の恵みの世界へと足を踏み入れることができるということです。神の恵みの世界に入るための門は、実は、もう一つあります。それは、わたしたちの心の中にある、いつくしみの門です。苦しんでいる人を見て、その人に対して心を開くとき、はじめてわたしたちは神の恵みの世界に足を踏み入れることができるのです。

 神の恵みは、もちろん聖堂で祈っているときにも与えられます。神に自分のすべてを委ね、心を開くとき、開かれた心の扉から神の恵みが豊かに注がれるのです。ですが、恵みが注がれるのは、天に向かって祈っているときだけではありません。目の前にいる兄弟姉妹や、苦しんでいる誰かに向かって心を開くとき、相手を何とか助けてあげたいと、祈るような気持ちで相手と向かい合うとき、わたしたちの心に天からの恵みが豊かに注がれるのです。苦しんている誰かに心を開くとき、それまで、まったく思いもしなかったような気付きやひらめき、神の愛の深い実感、生きてゆくための勇気や希望などが天から降り注ぎ、また心の底から湧き上がってくるのです。苦しんでいる誰かとのあいだで心が通い合うとき、わたしたちのあいだに天国が生まれるとさえ言っていいでしょう。

これは、教会や幼稚園、刑務所などで司牧をしていて痛切に感じていることです。聖堂での静かな祈りと、苦しんでいる人々とのかかわりの中で生まれる祈りと、その二つが司祭としてのわたしの霊的な支えです。二つが一つと言ってもいいでしょう。どんなに神の前で祈ったとしても、苦しんでいる人に対して心を閉ざすなら、恵みの門はぴしゃりと閉ざされ、神の恵みはもう注がれなくなります。何とかしてあげたいと思って、苦しんでいる人に対して心を開いたとしても、沈黙の中でしっかり祈っていないなら与えるものが何もありません。キリストの弟子として生きるためには、いつも、心の扉を二つの方向に向かって開いている必要があるのです。

 自分の都合を優先して、苦しんでいる人に心を閉ざすとき、わたしたちは「神の国」の扉を自分で閉ざすことになります。今日のたとえ話の金持ちは、生きているあいだ門前で苦しんでいたラザロに心を閉ざし、死んだ後もまるで召使か何かのように思っていて、ラザロにまったく関心がありません。その無関心が金持ちを天国から遠ざけているのですが、そのことに気づかないのです。聖年の扉は、わたしたちの心の中にもあります。苦しんでいる人に対して、いつくしみの扉を開くことができるように、そのための恵みを神に祈りましょう。

2016-09-24

【講演会in大阪・守口】

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講演会in大阪・守口

 9月30日(金)13時30分〜、NHK文化センター守口教室にて講演させて頂きます。テーマ「あなたのままで輝いて」。マザー・テレサの言葉から、自分らしく輝いて生きるすべを学びましょう。参加の方に列聖式のお土産プレゼント。少人数での開催になりますので、近くからゆったりと話を聞いていただけると思います。

★詳細はNHK文化センターのHPをご覧ください⇒https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1105538.html

2016-09-21

【マザー・テレサ写真展in広島教区】

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マザー・テレサ写真展in広島教区

 2016年9月4日、「いつくしみの特別聖年」の大きな恵みの中で、マザー・テレサが聖人の列に挙げられました。貧しい人々への奉仕に捧げられた生き方によって、現代社会に神のいつくしみを燦然と証したマザー・テレサ。この特別な機会に、あらためてその信仰と祈りに支えられた生涯を写真で振り返ってみたいと思います。どうぞご参加ください。キリスト教徒でない方も大歓迎です。

≪広島会場≫

  期 間  9月22日(木)〜10月2日(日) 9:00〜17:00

  場 所  世界平和記念聖堂

★9月22日(木)14時より、撮影者・片柳神父によるガイドツアー開催決定!

  講 演  10月2日(日) 11:00〜12:30  世界平和記念聖堂

  演 奏  10月2日(日)16:00〜 世界平和記念聖堂  パイプオルガン定期演奏会

  連絡先  カトリック幟町教会(082−221−0621)

≪岡山会場≫

  期 間  10月8日(土)〜10月16日(日) 9:00〜17:00

  場 所  カトリック岡山教会

  講 演  10月15日 13:30〜15:00  カトリック岡山教会

  連絡先  カトリック岡山教会(086−222−4093)

≪山口会場≫

  期 間  10月20日(木)〜10月30日(日) 9:00〜16:00

  場 所  ダミアンホール

  講 演  10月23日(日)11:00〜12:30  山口天使幼稚園2階ホール

  連絡先  カトリック山口島根地区センター (083−924−2931)

★チラシはこちらからダウンロードできます⇒

広島教区マザー・テレサ列聖記念行事チラシ.pdf 直

2016-09-18

バイブル・エッセイ(563)どちらを選ぶのか

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どちらを選ぶのか

「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(ルカ16:10-13)

「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」とイエスは言います。神に仕えるとは、神のため、助けを求めている人たちのために自分を差し出して生きるということ。富に仕えるとは、自分の利益や欲望のために生きるということ。両方に仕えることができないのは明らかです。どちらかを選ばなければなりません。

 昨日、久しぶりに足立区にある「神の愛の宣教者会」修道院を訪ねました。アパートや団地が立ち並ぶ、広大な東京のベッドタウンの真ん中にある修道院です。戦後間もなく建てられて、現在ではかなり老朽化した建物も多く観られます。年金暮らしのお年寄りや、病気などのために生活保護を受けている方々が、そこでで何万人も暮らしていらっしゃいます。マザー・テレサのシスターたちは、そのようなお年寄りや病気の方々のために地道な奉仕活動を続けているのです。一人暮らしのお年寄りを見舞って部屋の掃除をしたり、食事を届けたりすることもあります。路上生活者のために炊き出しをすることもあります。週に1度は、修道院にご近所の高齢者や病気の方々を招いて食事会をしています。真心のこもったおいしい食事を提供し、歌を歌ったり、ゲームをしたりして楽しい時を過ごすのです。「ここに来るのが生きがい」「ここに来るようになって生活に張りが出た」という方も、たくさんいらっしゃいます。

 マザー・テレサのシスターたちの選びは、はっきりしています。社会の片隅に追いやられ、顧みられることのないような人たちに徹底的に寄り添うことです。「神は貧しい中でも最も貧しい人たちと共にいる」ということを、身をもって証することです。自分のためではなく、神のため、人々のために生きることを選んだシスターたちの顔は、いつも清らかな喜びに輝いています。それは、彼女たちがいつも神と共にいるからでしょう。彼女たちは、貧しい人たちの中にイエス・キリストを見ているのです。

 わたしたちは、どちらを選ぶでしょう。自分を差し出すことによって、喜びに満たされ、神の愛を証する人生か、それとも自分の利益と欲望のためだけを追い求める人生か、どちらかを選ばなければなりません。

 私利私欲のために生きる人は、その時その時で快楽をむさぼることができるでしょう。ですが、いつまでたっても幸せになることはできません。どんなに欲望を満たしても、それだけで心が満たされることはないからです。わたしたちの心を満たすことができるのは、ただ愛だけ。私利私欲のために仲間を蹴落とし、家族を犠牲にするような生き方をしていれば、愛からどんどん遠ざかって不幸になるばかりです。私利私欲を求める人は、不幸に向かって一直線に進んでゆくのです。

 神のため、苦しんでいる人々のために自分を差し出して生きる人は、幸福に向かって一直線に進んでゆきます。苦しんでいる人を見て「放っておけない」と感じ、自分を差し出す。それこそが、愛だからです。神のため、人々のために生きる人は、いつも神とつながり、神の愛で心を満たされて幸せに生きることができるのです。神と富、二人の主人に仕えることはできません。どちらが自分の本当の望みなのかを、しっかりと見極めたいと思います。