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片柳神父のブログ「道の途中で」

2018-04-19

フォト・ライブラリー(573)大阪城公園の新緑と鳥たち

大阪城公園の新緑と鳥たち

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仕事で関西に行ったので、ちょっと足を延ばして大阪城公園を散策しました。新緑に彩られた大都会の公園と、可愛らしい鳥たちの姿、どうぞお楽しみください。

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桜の木の洞に、すずめが巣を作っていました。ちょうどいい場所を見つけましたね。

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雄と雌が、交互に出たり入ったり。順番で卵を温めているようです。

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巣から顔を出したすずめ。辺りを見張っているようです。

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新緑とツツジに彩られた公園の散歩道。大都会の真ん中にいることを忘れてしまうような景色です。

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切株にとまったすずめ。首を傾げて、こちらをじっと見ています。

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鳥の羽をくわえたすずめ。ちょうどいい巣の材料が見つかりました。

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こちらのすずめは。乾燥した草をくわえています。どのすずめも、巣作りに大忙しのようです。

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草むらで実をついばんでいるすずめ。この季節は食料も豊かにあります。

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優しい新緑に満たされた公園。立ち止まって、大きく深呼吸です。

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地面をちょこちょこ跳ねているクロツグミ。大陸から到着したばかりの夏鳥です。

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茂みからコマドリが飛び出してきました。この鳥も、大陸から渡ってきたばかりの夏鳥です。コマドリ(駒鳥)の名は、「ヒンカラカラカラ」と大きな声で馬のように鳴くことに由来するそうです。

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オレンジ色の顔が印象的なコマドリ。「誰が駒鳥(クックロビン)を殺したのか」というマザー・グースの詩でも有名です。

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満開を迎えたハナミズキ。白い花は、ヤマボウシに似ています。

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満開を迎えた八重桜。思わず桜餅が食べたくなります。

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道端に咲いたヤマブキの花。まるで初夏の太陽のような濃い黄色です。

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冬鳥のツグミもまだいました。まもなく大陸に帰るのでしょう。今の時期は、夏鳥と冬鳥を両方楽しむことができます。

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森の木陰に咲いたシャガの花。わずか数時間でしたが、大自然を満喫した大阪城公園散歩でした。神に感謝。

2018-04-17

【講演会in聖イグナチオ教会】

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『こころの深呼吸』講演会in聖イグナチオ教会

 今年も、東京・四ツ谷の聖イグナチオ教会でお話しさせていただく機会を頂きました。今回のテーマは『こころの深呼吸』。思いがけない発想の転換や気づきが生まれるとき、私たちの心にさわやかな風が吹き込みます。心の森で深呼吸する。そんなひと時をお楽しみ下さい。

日時/ 2018年6月9日(土)14:00-16:00

場所/ カトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)ヨセフホール

⇒教会HP http://www.ignatius.gr.jp/index_j.html

※入場無料。申し込みも不要。キリスト教徒でない方、教会に初めて来られる方も、ぜひお気軽にお立ち寄りください。

主催/ カトリック麹町教会メルキゼデクの会

連絡先/ 090-4959-0652 岩田さん

★チラシはこちらからダウンロードできます⇒180609聖イグナチオ教会.pdf 直

2018-04-15

バイブル・エッセイ(801)「まさしくわたしだ」

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「まさしくわたしだ」

 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。(ルカ24:36-43)

 イエスを見て亡霊と思い込み、恐れ、うろたえる弟子たちに向かって、「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ」とイエスは言いました。十字架につけられたときに出来た手と足の傷跡こそ、まさしくイエスがイエスであることの証。イエスが生涯をかけて貫いた、神の愛の証であり、イエスという人物そのものの証だということでしょう。相手が本当にイエスか確かめたいなら、その人の手と足に、十字架の傷があるかを見ればよいとも言えます。「わたしがイエスだ」と言って近づいてくる人がいたとしても、もしその人の手と足に、人々のために苦しんだ傷跡がないなら、それはイエスではないのです。

 苦しんだ痕跡が、その人の人生を物語る。その人が誰であるかを証するということが、確かにあります。たとえば、マザー・テレサがそうでした。いつか天国でマザーと出会い、その体が光り輝いていて本当にマザーかどうかよく分からないときには、その人の足を見たらよいでしょう。マザーの足の親指は、大きく内側に向かって曲がっていました。いわゆる外反母趾です。貧しい人たちのものを訪ねて、何千キロ、何万キロも歩き続けた結果、そのようになってしまったのでしょう。マザーの足は、まさに彼女の愛の証であり、彼女がだれであるかをはっきりと語るものでした。マザーの足こそ、イエス・キリストがマザーの中に生きていて、マザーを通して働いているということの証だったとわたしは思います。

 マザーだけではありません。たとえば、亡くなったうちのおじいちゃんで言えば、大きな手こそが愛の証だったように思います。おじいちゃんは戦争から帰ったあと、貧しい中で、日々家族のために畑を耕し続けました。出荷のために野菜を束ね、紐でしばってゆくおじいちゃんの手は大きくて、ごつごつしたものでした。その手は、おじいちゃんがどれだけ家族のために頑張って働いたかを物語るものでした。天国でおじいちゃんと再会したならば、わたしはまずその手を確かめることでしょう。おじいちゃんはキリスト教徒ではありませんでしたが、おじいちゃんの中にも、確かにイエスが生きていたように思います。

 では、わたしたち自身はどうでしょうか。「あなたの中にイエスがいるの?本当にイエスの愛を生きているの」と問われたときに、「〇〇を見なさい。まさしくわたしだ」と言えるようなものが何かあるでしょうか。身体的な特徴だけに限らないでしょう。その人の人格にはっきりと刻み込まれた愛の痕跡。例えば、謙虚さや穏やかさ、柔和さといったようなものでもいいかもしれません。家族や友達、社会の片隅に追いやられて苦しんでいる人たちために働く中で、体や心に深く刻み込まれた「傷跡」、愛の痕跡がわたしたちにはあるでしょうか。今からでも遅くはありません。イエスの愛を全身で生きることによって、体と心にしっかりと愛の痕跡を刻み込んでゆきましょう。

2018-04-08

バイブル・エッセイ(800)愛の証

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愛の証

十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:24-29)

 イエスの復活を疑い、なかなか信じようとしないトマスの前に、イエスご自身が現れる場面です。この場面を思い浮かべるとき特に印象に残るのは、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」と言ってイエスがトマスをたしなめる様子ではないでしょうか。傷ついた手とわき腹を見せたということには、単に十字架で死んだイエスと自分が同一人物であるということを示す以上の意味があるように思います。手とわき腹を見せながらトマスに語りかけるイエスの心の中には、「十字架上で死ぬほどの愛を示したのに、まだわたしの愛が信じられないのか。もっとしるしが欲しいのか」という思いもあったのではないでしょうか。いったいどれだけしるしを見せれば信じられるのか、「見ないで信じる人は、幸いである」。イエスは、そう言っているように思えます。

 しるしを見なければ信じられないというのは、人間の限界だといっていいでしょう。何か証拠を見なければ、わたしたちは相手の愛を信じることができないのです。幼稚園の子どもたちのあいだでも、そのようなことがあります。先生の愛情を確かめるために、わざと悪いことをしたり、先生に反抗したりする子どもがいるのです。いわゆる「試し行動」というもので、「こんなことをしたぼくでもゆるせるの?」「ぼくのことを本当に愛しているの?」という子どもたちからの問いが込められた行動です。そのようなことをしながら、子どもたちは少しずつ自分が先生から愛されていることを信じるようになってゆきます。そのうちに、「試し行動」はやみ、先生の愛にこたえて行動するよい子になってゆくのです。このような「試し行動」は大人になっても続きます。誰かの愛を確かめたいとき、わたしたちはついつい「試し行動」をしてしまうのです。

 福音書を読むと、人々がイエスに向かって「試し行動」をする場面がたくさんあります。「もし神の子なら、この人の病を癒してください」、「お腹を空かせたこの人たち全員に食べさせることは、さすがにあなたでもできないでしょう」というように、人々はイエスに次から次へとしるしを求めます。イエスは、そのすべてにこたえ、神の愛を証してゆくのです。そのような「試し行動」の究極が、イエスを十字架につけることだったのではないでしょうか。「こんなことをされてまで、わたしたちをゆるせるのか。神の子ならゆるしてみろ」という人間たちの試しに、イエスは見事にこたえます。これほどの愛を見せられて信じないなら、いったい何を見たら信じるのでしょう。

「見ないのに信じる人は、幸いである」というイエスの言葉は、しるしなど必要ないということではありません。神様は、わたしたちにもう十分すぎるほどのしるしを与えてくださったのです。それでも信じられないわたしたちへの嘆きの言葉が、「見ないのに信じる人は、幸いである」なのです。信じられなくなったときには、イエスの十字架の前に立ち、手の傷、わき腹の傷を見ましょう。そこに、最高の愛のしるしがあります。

2018-04-06

フォト・ライブラリー(572)広島の桜と鳥たち

広島の桜と鳥たち

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春爛漫の広島平和記念公園。聖香油ミサが始まる前に、のんびり散策しました。

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桜の蜜は、すずめたちの大好物。あちこちで、すずめが花を突いています。

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嘴が太くて、花の中にある蜜をうまく吸えないすずめ。花を豪快に引きちぎって、根元から蜜を吸っています。咲いたばかりの桜の花が、そのままの形でポトリと落ちてくるのは、実はすずめたちの仕業です。

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桜の枝にとまったすずめ。満開の桜に囲まれて、幸せそうな顔をしています。

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桜の花の中に隠れたすずめ。蜜を求めて辺りを見回しています。

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桜の枝にとまったすずめ。お腹がいっぱいになって、今度はお花見でしょうか。

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花の中から顔を出したすずめ。桜のピンクが、なかなかよく似合っています。

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枝にとまったすずめ。「蜜はあるかなぁ」と、桜の花をじっと見ています。

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元安川沿いの桜並木。遠くには原爆ドームが見えています。

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桜並木を行き交うたくさんの人たち。外国からの観光客も多いようです。

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満開を迎えた、世界平和記念聖堂の枝垂れ桜。ちょっと濃いピンクの花びらが印象的です。

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大きな木ではないのですが、花の数が多いのでボリューム感たっぷりです。

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背景に見える十字架は、現在、改修工事中の世界平和記念聖堂。桜の花がよく似合っています。

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縮景園では、メジロたちが桜の花の蜜を吸っていました。

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桜の枝にとまったメジロ。メジロの緑色は、どんな花にもよく似合います。

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細長いくちばしに、黄色い花粉がたくさん。メジロは、花に嘴を射しこんで蜜を吸います。f:id:hiroshisj:20180406134116j:image

最後に、すずめとメジロの蜜の吸い方の違いを比べてみましょう。すずめは豪快にもぎとって根元から、メジロは上品に嘴を射しこんで中から蜜を吸います。

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梅から始まって、桃、スモモ、寒桜、桜と続いた花木の開花シーズンも、これでひと段落。鳥たちは、いよいよ子育てのシーズンに入ります。