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片柳神父のブログ「道の途中で」

2016-06-26

バイブル・エッセイ(552)「ただ前だけを見て進む」

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「ただ前だけを見て進む」

 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。(ルカ9:57-62)

「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」とイエスは言います。神に導かれて人生の道を一歩踏み出したなら、振り返ることなく、ただ前だけを見て進みなさいということでしょう。どんどん先に進んでゆくイエスの背中を見て、イエスの後についてゆく。それが、キリスト教徒の生き方なのです。

 大きな苦しみにあうとき、わたしたちは過去のことをくよくよと振り返ってしまうことがあります。例えば、仕事で取り返しのつかないミスを犯してしまったときなど、「あのときああしていれば、こうしていれば」と、つい考えてしまうのです。ですが、くよくよ振り返っても仕方がありません。どんなに振り返っても、過ぎた時間をもとに戻すことはできないからです。一度犯してしまったミスを、なかったことにすることはできないのです。そんなことを考えて立ち止まり、いまできることさえしなければ、事態はますます悪くなるでしょう。過去を振り返るより、生活を立て直すために、いま何ができるかを考えた方がいいのです。

 あるいは例えば、定年退職などでかつての地位や名誉を失ってしまったとき。いつまでも、「あの頃はよかった。わたしは昔、偉かったんだ」と過去の栄光にしがみついても仕方がありません。どんなに振り返ったところで過去の栄光は戻ってこないのです。若いころをどんなに懐かしんだところで、あの日に戻ることはできません。そんなことを考えてしょぼくれた顔をしていれば、輝きはますます失われてゆくでしょう。過去の栄光を振り返るより、いま自分を輝かせるために何ができるかを考えた方がいいのです。

 一度、進んでしまった人生の時計は、二度と元に戻すことができません。わたしたちにできるのは、ただ前を見て進んでゆくことだけなのです。前を進んでゆくイエスの背中だけを見て、その後についてゆくしかないのです。起こってしまった失敗はもう仕方がありません。大切なのは、同じ間違いを犯さないために、イエスのあとをしっかりついてゆくことです。過去の栄光にしがみついても仕方がありません。大切なのは、いま自分に与えられている使命を果たすことで、いまを輝かせることなのです。

 エリシャはエリアについてゆくとき、元の生活に心を惹かれることがないように、牛を殺し、装具を燃やして自ら退路を断ってしまいました。わたしたちにも、そのくらいの覚悟が求められています。わたしたちは、イエスと出会い、「神の国」を目指して旅を始めるとき、古い自分はすべて焼き払ってしまったのです。もう昔と同じ生活に戻ることはできません。

 どんなときでも、イエスはわたしたちの前を進み、行く道を示してくれます。疲れて歩けないときには、わたしたちの横に立って慰めてくれます。振り返ることなく、イエスと共にこの人生の旅を続けてゆきましょう。

2016-06-25

フォト・ライブラリー(482)教会の庭の初夏の花たち2

教会の庭の初夏の花たち2

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 本格的な梅雨に入り、ますます元気に咲いているアジサイ。これはダンスパーティーという品種ですが、確かに花たちが踊っているように見えます。

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 見事に色づいたアジサイたち。昨年、植えた株ですが、よく根付きました。

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 可愛らしい花を咲かせたフェンネル。ハーブとしても知られる花です。

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 ニラの花に似た紫色の花。ツルバキアというネギ科の植物で、葉っぱをちぎると独特の臭いがします。

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 散歩の途中で出会ったキキョウ。とても上品な紫色です。

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 マリア様の花壇で、オリエンタル・リリーが花を咲かせました。とても鮮やかな黄色です。

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 芝生に咲いたニワゼキショウ。小さいですが、「庭石菖」の名の通りアヤメの仲間です。

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 散歩の途中で出会ったヤブカンゾウ。夏の野辺を鮮やかに彩る花です。

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 教会の芝生に咲いたネジバナ。まるでねじり飴のような姿です。

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 グリーンカーテンとして植えたゴーヤが、可愛らしい花を咲かせました。やがて実ができるでしょう。

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 久しぶりの晴れ間に大喜びのヒマワリ。早く梅雨が明けるといいのですが。

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 夕方、軒先の朝顔に蕾を見つけました。子どもの頃にした、朝顔の観察を思い出します。

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 翌朝、雨の中で、今年の最初の朝顔が花を咲かせました。とてもやさしいピンク色です。

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 すごいスピードで蔓を伸ばしていく朝顔。これから夏のあいだ、朝ごとにわたしたちの目を楽しませてくれることでしょう。夏の恵みに感謝。

2016-06-19

バイブル・エッセイ(551)「キリストを着、自分の十字架を背負う」

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キリストを着、自分の十字架を背負う

 イエスは弟子たちを戒め、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。」(ルカ9:21-24)

 パウロは「キリストを着る」と言い、イエスは「自分の十字架を背負う」と言っています。互いに深く響き合う言葉です。自分を守るために着込んだ鎧を脱ぎ捨てて、キリストを着る。自分で勝手に背負い込んだ重荷を捨てて、神から与えられた自分の十字架だけを背負う。それこそがキリスト教徒になるということであり、わたしたちの幸せはそこから生まれてくるのです。

 わたしたちは、自分を守るために分厚い鎧を着こんでいることが多いようです。地位や名誉、権力などを身にまとい、自分を強く見せようとしてしまうのです。弱い自分を守るために、そうしてしまうと言ってもいいかもしれません。ですが、そんな鎧を着こんでいては、決して幸せになることができません。人間は、飾らないありのまま自分を誰かから受け入れてもらうことで、初めて幸せになれるからです。ありのままの自分が愛されることこそ、わたしたちの幸せなのです。自分を守るために着込んだ鎧は、自分と人とを隔てる壁となり、わたしたちを愛から遠ざけ、幸せから遠ざけてしまいます

 幸せになりたいなら、自分を守るために着込んだ鎧を脱いで、キリストを着る必要があります。キリストを着るとは、キリストの謙遜さ、キリストの素直さ、キリストのやさしさを着るということです。ありのままの自分を、相手に差し出すということです。わたしたちは「神の子」として神から愛され、守られているのですから、もう自分を実際以上によく見せたり、守ろうとしたりする必要はありません。お互いが鎧を脱いで出会うなら、そのとき、わたしたちの間に神の子としての絆が生まれるでしょう。「キリスト・イエスにおいて一つ」になることができるのです。

 「自分の十字架を背負う」ということも、これと似ているところがあります。神様から与えられた十字架をしっかり背負うためには、まず自分がいま勝手に背負い込んでいる荷物を下ろす必要があるのです。金持ちになりたい、偉くなりたい、人から高く評価されたいというような自分の思いを実現するために、わたしたちは「あれもしなければ、これもしなければ」とたくさんの荷物を背負い込んでゆきます。その一つでも落とさないよう必死になっているうちに、わたしたちは疲れ果ててゆきます。

 幸せになりたいなら、まず、自分で背負い込んだ荷物を下ろさなければなりません。すべきことはただ一つ、神様から与えられた「自分の十字架」を背負うことだけです。神様は、わたしたち一人ひとりに、大切な使命を与えられました。その使命こそが十字架です。すべての使命の根幹にあるのは、互いに愛しあい、この地上に「神の国」を実現してゆくことだと言っていいでしょう。そのために、ある人には父としての、ある人には母、ある人には教員、ある人には医師や看護師、ある人には大工、ある人には神父としての、それぞれの十字架が与えられるのです。幸せになるためには、その十字架を全力で背負えばいいのです。他のものまで背負い込む必要はないのです。

 キリストを着、自分の十字架を背負うことで、この地上に兄弟姉妹の交わり、神の国の喜びを実現していくことができるよう祈りましょう。

2016-06-18

フォト・ライブラリー(481)教会の庭の初夏の花たち

教会の庭の初夏の花たち

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 教会の庭やご近所の道端で、初夏の花たちが次々と咲いています。まずは、教会の庭のアジサイから。とてもやさしいピンク色に癒されます。

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 散歩の途中で見かけたアジサイ。白い縁取りがおしゃれです。

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 並んで咲いたウズアジサイ。同じ株でも、花の色は房ごとに違います。

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 街角で見かけた珍しいアジサイ。「ダンスパーティー」という名前の通り、花たちが美しいドレスをまとって踊っているように見えます。

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 一雨ごとに色づいてゆくアジサイ。このくらいの色づき加減もきれいです。

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 教会の花壇に咲いたヒルザキツキミソウ。ふんわりとしたピンク色です。

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 神様からの祝福のしるしとして、旧約聖書にも登場するミルトス。結婚式で飾られることから「祝いの木」とも呼ばれています。

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 教会の庭の片隅に咲いた、今年、最初のヒマワリ。冬のあいだに鳥の餌として蒔いた種が、残って育ったものです。

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 春先からずっと咲き続けているヒャクニチソウ。名前の通り、100日、花を咲かせ続けます。

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 司祭館の軒先で、今年もランタナが花を咲かせました。上から見ると、まるで万華鏡を覗いたようです。

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 教会の花壇で、オリエンタルリリーが花を咲かせました。とても鮮やかな黄色です。

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 教会の庭に咲いたカラシダネ。種は、シャープペンの芯の先くらいの大きさですが、屋根まで届くほどの大きさに育ちます。季節ごとの花で教会を飾り、わたしたちを出迎えてくださる神様に感謝。

2016-06-16

【マザー・テレサ列聖式巡礼団参加者募集】

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マザー・テレサ列聖式巡礼団参加者募集

 9月4日にバチカンで行われるマザー・テレサの列聖式に、阪急交通社が募集する「マザー・テレサ列聖式巡礼団」の同行司祭として、思いがけず参加できることになりました。巡礼団の詳細が今週号のカトリック新聞で発表されましたので、ブログでもお知らせしたいと思います。「いつくしみの特別聖年」の一つの頂点ともいうべきこの式典に、皆さんと一緒に参加できることはこの上ない喜びです。どうぞよろしくお願いいたします。

★巡礼団の問い合わせ先

阪急交通社 成田発着 03-6745-7377 / 関空発着 06-4795-5939

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※詳細な旅行パンフレットは、こちらからPDFでダウンロードできます⇒

表面列聖式ツアー (1).pdf 直 裏面列聖式ツアー (2).pdf 直