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hiroyukikojimaの日記

2013-12-20

論文投稿の道は茨の道

16:01

先日、2年ぶりに、共著論文が査読付き英文ジャーナルに採択された。Theory and Decisionという経済学のジャーナルで、このランクのジャーナルにはとても無理な出来映えだと思っていたから、意外だったし、嬉しかった。この論文は、ぼくの博士論文に収録されている4つの論文の冒頭のものを発展させたもので、その冒頭の論文はそのあとの3本の梶井さん(京都大学)、宇井さん(現・一橋大学)との共著論文の大本となる論文だった。梶井さん、宇井さんとの3本の論文は、すでに査読付き英文ジャーナル(とproceedings)に掲載されているので、これで博士論文の4本の論文すべてが査読付きに採択されたことになる。2005年頃からやっていた研究だったので、長い道だった。

今回の論文のテーマは、最近出した新著『数学的決断の技術〜やさしい確率で「たった一つ」の正解を導く方法』朝日新書のテーマと同じ、意思決定理論(Decision Theory)の分野に属するものである。とりわけ、第8章で解説したデンプスターとシェーファーの信念度関数(Belief function)に関する論文なので、採択と刊行が重なったのはぼくにとっては良縁を感じさせる。

この新書については、既に、前回(新著『数学的決断の技術』が刊行されました! - hiroyukikojimaの日記)と前々回(新著『数学的決断の技術』がもうすぐ発売です! - hiroyukikojimaの日記)に解説したので、今回はあまり強引な売り込み(笑い)はしないつもりだが、それでも一つだけ。

この本は、意思決定理論で代表的な4つのメソッドを紹介したものである。メソッドと言えば、高級に聞こえるが、「単なる推論の癖」と言っても遜色ない。4つとは、「マックスミン基準」「期待値基準」「サベージ基準」「マックスマックス基準」である。皆さんがどの癖を持っているか(どの基準を使いがちか)をあぶり出すためのアンケートを、本書に二つ導入している。そのうちの一つを前々回にエントリーしたが、今回も再録しよう。以下である。

次のyes・noアンケートに答えてください。

 

a. 福袋はお買い得だと思う。

  (yesの人は質問bへ、noの人は質問dへ)。

 

b. 雑誌のプレゼントコーナーでは、一番高い景品に応募する。

(yesの人は性格1です。noの人は質問cへ)

 

c. 飲食店では、お勧めのセットは選ばず、自分で1品ずつ注文する。

  (yesの人は性格2です、noの人は性格5です)

 

d. 洋服を買いに行って店員に「このデザインは最後の一着です」と言われると、その場で買ってしまう。

  (yesの人は性格3です、noの人は質問eへ)

 

e. 家電製品を買う際、有料で2年間の修理保証がつく場合、たいていつける)。

  (yesの人は性格4です、noの人は性格6です)

前述の4つのメソッド(=癖)は、上の性格1〜6のどれかにあてはまる、としているのだが、それは本書で見て欲しい(はい、売り込みでございます)。

先日、大学の統計学の講義でこの本を紹介したら、学生の一人が、「先生、4つの基準は、麻雀の打ち方で言うと、こういう感じですよね」と、実に面白い分類を考えてくれた。それは以下である。

*マックスミン基準→最悪のことを怖がって行動する→振り込みを避ける打ち方

*期待値基準→確率的平均値(=期待値)が高くなるような行動をする→確率を考えた役作りで打ちまわす打ち方

サベージ基準→後悔を避けるように行動をする→高め狙いをせず、とにかく上がれるときは上がる打ち方

*マックスマックス基準→常に最大の利益が訪れることを想定して行動する→常に役満狙いで打つ打ち方

福本さんの麻雀マンガ『アカギ』も、28巻でアカギとワシズの対戦のクライマックスを迎えているが、このマンガでの登場人物の推論の方法を分析してみるのも一興だろう。

最近は、麻雀ができる大学生が少ないので、こういうことを考えてくれる学生がいると楽しい。ゼミの合宿では、ぼくが麻雀をしたくても、麻雀ができる学生が3人以上いることが珍しいので、寂しい思いをすることも多い。(今年の合宿では、麻雀をやることができた。負けたけど。笑)

さて、論文の話に戻ろう。

今回の共著論文の元となったオリジナル論文は、慶応の尾崎先生と元日銀副総裁の西村先生の共著論文学会での討論者を引き受けたことがきっかけとなってできた論文である。このような著名な学者の論文の討論をするのだから、何か、画期的なことをぶちかましたい、と考えた。それで、1ヶ月ほど何度も再読して、論文の間違いを見つけようとした。論文の結果自体が崩壊するのが、最も華々しい討論だと思ったからである(笑)。思えば、あまりに意地悪い方針だと思う。もちろん、間違いなどなかった。読めば読むほど、惚れ惚れするような内容だった。(実際、その後、その論文はとても良いジャーナルに掲載されることになった)。でも、そのような徹底的に意地悪い読み方をしたせいで、内容をとても深く理解できた。それは怪我の功名ならぬ、意地悪の功名だった。おかげで、ふと、その論文よりももうちょっと巧い構築(公理化)の方法があることを思いついた。学会の討論では、それを提示することにした。報告者の尾崎先生にも喜んでいただいた。

学者には、ぞれぞれ、得意な「考える方針」というのがあるのだ、と思う。ぼくの場合、それは、「他人の研究をいじわるな読み方をする」ということだと気付いた。意地悪をするときに、自分は最も集中力と発想力を発揮できるみたいなのだ。(性格が悪い、ということであろうか)。

翌年、ぼくは、その思いついた構築(公理化)の方法を論文にして、学会で発表した。討論者は宇井さんにお願いした。とても奇遇なことに、当時、宇井さんは梶井さんと同じ方向性の意思決定理論の研究を進めておられた。宇井さんは、討論で、欧米の研究者たちが似たような手法論文を書いていることを教示してくださった。そればかりではなく、宇井さんと梶井さんの研究とぼくの方法論とを合わせると、結果を大きく拡張できることを教えていただき、共同研究で進めてみないか、というお誘いをいただいた。梶井さんも宇井さんも、ミクロ経済学の分野では夜空に輝く星座のような遠い人たちだったので、ぼくには光栄この上ない話だった。ただ、お二人とは、あまりに実力差があり、必死で勉強しなければ、彼らの考えていることを理解することが難しかった。生まれて初めて、がむしゃらに勉強し、不眠まで経験した。

梶井さんと宇井さんとの研究で、3本の論文を生み出すことができ、前述したように3つの査読付き英文ジャーナル(とproceedings)に掲載されることとなった。それら3本の論文に、最初のぼくの論文を加えて、博士論文を書き、どうにか博士号を取ることができた。

ただ、無念だったのは、ぼくの最初のオリジナル論文が、研究の過程で、既に欧米の著者の論文(Eichberger and Kelsey 1999)と酷似していることが判明したことだった。違いはわずかしかなかった。一つは、公理が1個少なく済むこと、もう一つは彼らのは有限集合上(finite state space)の理論だけど、ぼくのは無限集合が可能なことだった。でも、たったこれだけの違いでは、論文を公刊することは不可能だと思い、この論文のことは諦めることにした。

梶井さん、宇井さんとの研究が終わって、ぼくは研究の道筋というか、意欲というか、そういうものを失っていた。その頃に、ひょんなことから、岡山大学の浅野さんと共同研究を始めることとなった。阪大小野善康先生を訪ねて行ったときに、たまたま浅野さんも小野さんとの議論に加わってくださったのだ。浅野さんは、頭が下がるほどに、自分が恥ずかしくなるほどに、研究熱心な人で、「とにかく、どんなアイデアでも諦めずに論文化してみる」ということをぼくに説いてくださった。浅野さんとの共同研究の過程で、ぼくはいくぶんスキルアップしたらしく、元のオリジナル論文を、大きく一般化させることが可能であることに気がついた。それで浅野さんと議論を進めて、今回の共著論文を構築したわけなのである。浅野さんの励ましがなければ、元の論文はお蔵入りになったままだったと思う。

梶井さんと宇井さんと共同研究したときも思ったし、また、浅野さんと共同研究していても常々思うのだけど、論文を投稿する道というのは茨の道のりである。英文の論文を緻密に書き上げるだけで大変なのに、その後に、査読者の冷徹なコメントに対して、胃の痛くなるような改訂作業をしなければならない。それどころか、何回も何回も査読者のつれないコメントでリジェクト(不採択)されることにも耐えなければならない。こんな辛いことを、どうして学者の皆さんは続けることができるのだろう、と思ってしまう。論文を書くこと自体にうはうはアドレナリンが出る人もいるんだろうけど、それはごく少数に違いない。逆に、パーマネントのポジションが得られると投稿をやめてしまって、教育に邁進する人の気持ちがよくわかる。

ぼく自身は、「辛いからやめちゃいたい側」に属する心性を抱えていると思う。実際、浅野さんが共同研究者でなければ、きっととうの昔にやめてしまったに違いない。学者になって気がついたのは、第一に、ぼくには斬新なことを思いつく才能が乏しい、第二に、ぼくは自分で思いつくことが面白いとは思えず、先人のすばらしい業績を理解するほうがずっと効用が大きい、第三に、ぼくは致命的に英語ができない、などである。これじゃ、明らかに論文を投稿することに向いてない。(先人の業績を紹介するような)書籍を書くことには大きな効用があるので、そっちに偏ってしまったに違いなかろうと思う。ある担当編集者さんからは、「小島先生は、根っからの啓蒙家ですね」と(たぶん、褒め言葉として)言われたことがあるけど、全くその通りだと思う。ぼくにとって最も楽しいことは「昨日までわからなかったすばらしい学問が、今日、わかるようになり、その理解を一般の人に紹介すること」だから。

でも、浅野さんのおかげで、とにかく論文を書くことを継続することができている。だんだん、査読者の示唆・暗示することが感受できるようになってきて、焦点が定まってきた感じもする。辛くても、ストレスフルでも、リジェクトに落胆しても、論文の投稿を続けたいと思う。ぼくは、しがない塾の先生をしていた頃、この道に恋い焦がれてのだから。単に教育をするだけなら、大学だって塾だってたいした違いはない。でも、塾の先生のままだったら、この論文投稿という茨の道の、入り口にも立てなかったと思う。そういう意味では、いろいろな幸運がぼくをここに連れてきてくれたのだから、その幸運に報いるためにも、もう少し、がんばってみようと思うのだ。

(そういや、昔、「ピンクフロイドの道は、プログレッシブの道」ってタイトルのアルバムがあったな)。