法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

リスクについての判断では、人間自身のふるまいも考える必要がある

たとえば飲料水に尿が混ざったとしても充分に希釈すれば、有害な成分はほとんど残らないだろう。
ここにオッサンの小便があります。

これが飲めるか飲めないか、それだけ教えてくれ。

俺は飲めない。

それでも飲まないという判断の理由は、心理的な抵抗感もあるだろうが、それだけとは限らない。


マクドナルドの高温のコーヒーをこぼしたことで火傷して後遺症も残り、裁判で560万ドルの賠償金を得たという逸話がある。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/120305.html

1992年の暮れベックさん(79歳・米)は甥の車でハンバンーガー・チェーン店を訪れた。車内でコーヒーを飲もうとしたところ、こぼして大やけどを負う。このチェーン店では同様の事故が700件もあったにも関わらず、謝罪の姿勢を示さない態度に怒った親族がチェーン店を訴えた。

リサの息子コリン(16歳)は医療ミスから介護が必要となった。裁判で陪審員は560万ドルの賠償を病院側に命じたが、実際に支払われたのは100万ドル。

実際には100万ドルまで減額されたが、それでも個人に対する補償としては高額に見えるかもしれない。しかし判決の内実を見ると、すでに約700件の火傷事件が発生していたのに対処していなかったことや、マクドナルド社の事後補償におけるさまざまな行動への、懲罰的な意味あいもあった。
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陪審員は、被告の品質保証担当者の証言から、火傷に対して被告マ○ド○ルドが重大な無視をしていると思った。別の陪審員は、マ○ド○ルドが提供している何百万のコーヒーからすれば700件のクレームが微々たるものだという証言に衝撃を受け、統計の下にある人間の痛みを感じていないと疑問を抱いた。 懲罰賠償がマ○ド○ルドの注意喚起のために正当で、「彼らの[安全性]無視は驚きだ」と述べる陪審員も居た。 

何らかの問題が起きた時、事後補償が少額ですむならば、問題が発生する原因を解決しないことが加害者にとって「合理的」になる場合がある。そしてひとつの企業がそのような判断をとった時、他の企業も追随するかもしれない。


そして現実に飲料水へ尿が混入した事件ではどうだったろうか。
米国で貯水池に男が放尿、1.4億リットルの水が無駄に

オレゴン州ポートランドの水資源局は、19歳の男が貯水施設の水に放尿したため、飲料水1億4300万リットルを廃棄したことを明らかにした。
ポートランド市内にある貯水施設では16日午前1時ごろ、10代の3人が目撃されていた。水資源局のスポークスマンによると、このうちの1人が鉄製フェンス越しに水の中に放尿し、その場面を監視カメラが捉えていた。ほかの1人はフェンスを乗り越えて保管区域に侵入したが、中で何をしていたかは不明だという。

この事件でも、ひとりの尿だけなら全体に希釈された時に健康被害が起きることはないだろう。そもそも密閉されていない貯水池ならば、意図的な放尿がなくとも色々な異物が混入しているはずだ。しかし報道にあるとおり、おこなわれたのが放尿だけなのかは不明だった。
昨年にも日本で貯水槽で少年たちが遊んでいたという出来事があった。殺菌されていて問題ないという計測結果が出たが、当局は内部を洗浄して別の貯水槽を給水に使ったという。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140601/waf14060118000001-n1.htm

兵庫県宝塚市平井山荘の水道施設「月見ガ丘配水池」で昨年5月末、貯水槽にゴムボートが浮かんでいるのが見つかった事件で、兵庫県警は今年5月、水道汚染と建造物侵入の疑いで同県伊丹市宝塚市などの16〜17歳の少年4人を逮捕したと発表した。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140601/waf14060118000001-n2.htm

市はゴムボートの発見後、すぐに貯水槽の水質検査を実施。残留塩素の濃度に問題はなく、殺菌されたとみられるが、内部を洗浄し、もう1つの貯水槽から給水を続けた。市は「幸いにして影響がなかった」とみている。

ここで罰則が軽ければ、今後に似たような事件が起こされ、実際に健康被害が起きるような事態に発展するかもしれない。また、そのような疑いを市民に与えてしまうかもしれない。
そうしたことまで考慮して、ようやく廃棄や逮捕という判断が妥当かどうか考えることができる。人間のふるまいとして思考や過失をくみこまないだけの想定は、理性的でも科学的でもない。しかし「科学的」という枕詞がつくと、しばしば人間のふるまいが忘れられてしまう。


むろん、人間の思考や過失をくみこんだ上で、あえてそれらを排除することもある。
毒性をもった黒い雨が降る日に、傘もささずに踊る自由が人間にはある。
その行動が不当につりあげられた傘の値段を抑えることがある。
非合理的な選択は、まれに選択肢の独占を防ぐ力をもつ。

*1:引用時、下線強調を太字強調へ変更。なお、このページを書いている平野晋中央大学教授は、フォード・ピント事件などを援用して「合理的なcalculation of risksという基準を大衆が受け入れない証左になる」と評している。フォード・ピント事件について平野教授が書いたページはこちら。http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html