ニカラグアのグラナダへ向かいました。

サン・ホセ・デル・スール5時30分発の船に乗るために、早朝4時40分に、ホテルを出発しました。雨が降っていま
した。とても暗かったのですが、100円ショップで買ってきていたボールペン型の懐中電灯が威力を発揮しました。



これほど早い時間にもかかわらず、既に、大勢の人が集まっていました。中学生か高校生なのか、制服の姿もあり
ました。オメテペ島の学校は、朝7時から12時までと、12時から17時までの2部制のようです。この船に乗れば、対
岸の学校にも通えることになります。



船の料金は、30コルドバ(180円)でした。サン・ホルヘの港には、6時50分に着きました。目の前に、マナグア
きのバスが止まっていました。マナグアまでは、50コルドバ(300円)です。ここから直接グラナダへは行けませ
んが、グアナカで乗換になります。一目でバス停と分かるものもありますが、人が数人待っている所が、バス停の
こともありました。グアナカからグラナダの終点までは、ラッシュアワー並みの混雑でした。
料金は6コルドバ(36円)でした。



Nさんと、カテドラル(大聖堂)で、10時頃ということで待ち合わせていましたが、まだ時間がありましたので、
周辺を歩きました。



Nさんは、ニカラグア国立職業訓練校(INTAE)のU校長に連絡を取ってくれていました。お陰で、車で
グラナダ市内を案内してもらえました。ニカラグア国立職業訓練校(INTAE)にも寄らせてもらったところ、
JICAが、コンピューターを寄贈されたことが、教室のプレートに記されていました。



カテドラル(大聖堂)の外観は、異様に思えるほど、際立っていましたが、中は、とてもシンプルでした。
最初に、コルドバ像を回って、観光公園へ行きました。ニカラグア湖畔には、コッテージもありました。
見える範囲にも小さな島がたくさんあり、船で渡って、のんびり過せるそうです。



以前は、病院だったホスピタル アンティグアと呼ばれている建物の前を通りました。1972年の大地震だったの
でしょうか、破壊されたままの姿です。また、弾薬庫だった所は、現在は、アトリエとして利用されているよう
ですが、高台から周囲を見渡せます。それから、グラナダ出身のチャモロ大統領が眠っている墓地にも連れて
行ってもらいました。



サン・フランシスコ修道院の隣に、修道院博物館があります。入場料は、38コルドバ(228円)でした。
ジャガーの頭部などが印象的な石像が並んでいました。



コロニア時代を色濃く残すグラナダの通りは、石畳といい、一つ一つの建物といい、とても風情がありました。
観光客が寛げる一角のように思えました。



遅めの昼食は、ピザにしました。



マナグア行きのバスに向かっていたところ、良いタイミングでバスがやってきました。乗客を集めるための地名の
連呼は、こんな時、役に立ちます。まだ、かなり距離があったのですが、手を挙げて待ってもらいました。
小奇麗なバスは、日本が、ニカラグアに寄贈した内の1台でした。



首都マナグアまでのパンアメリカン ハイウエイを快適に飛ばしていました。










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