この書でソロスは現代金融理論そのものに疑問を投げかける。
*「金融市場のさまざまな変数は均衡値に向かって収斂する傾向がある」という経済学上のパラダイムは偽りでしかないと、
 ソロス自身の哲学を築き上げるが、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』に影響されたとしている。
 ポパーは"開かれた社会"を「人間は究極の真理には到達し得ず、異なった考え方や利害を抱えた成員同士の
              平和共存を可能にする制度が必要であると認めているような社会」であると定義している。
*これからソロスは彼独自の哲学を育てた。 彼のキーワードは、「再帰性」と「可謬性」。
 ・「再帰性」とは 【人は世界の一部であるために、世界を完全に理解し得ない。 世界に対し操作を加えたとき、
  観測される世界はさっきまであった世界とは異なっているからである。 さらに、究極の真理あるいは確実な情報は
  人間の手の届かぬところにあるという前提を踏まえたうえで、「誤解」がいかにして歴史を動かすのかを探求する理論。】
 ・「可謬性」とは、【人は常に間違っている可能性がある。確実なものなど存在しない。 】
  これを行動経済学の観点から解釈し応用していった。 彼は、誤謬の可能性ではなく、人間は間違うもの!と断定している。
*現在の経済は1929年の大恐慌以来最悪の状態になりつつあり、ドルを国債基軸通貨とした信用膨張時代が
 終焉を迎えている。(中略)  ソロスの分析では、この超バブルには他のすべてのバブルと同じく、
 人々が誤った投資行動を続ける原因になった「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」が存在した、という。
 「支配的なトレンド」とは信用膨張、つまり信用マネーの肥大化であり、
 「支配的な誤謬」とは、十九世紀には自由放任と呼ばれた、市場には一切規制を加えるべきではないという市場原理主義である。
*ソロスは、サブプライムはトリガー(状態変化の引きがね、となる信号)に過ぎず、「信用マネー」と「市場原理主義」という、
 信仰といっても良いほどの巨大な"誤り"が、そのメッキを剥がされつつあり、臨界点に達したとき、四半世紀以上にわたって
 成長してきた超バブルがはじける、と警告している。
  
ーP-53 の以下の部分が再帰性について、解りやすく説明してあるー
●ー人間の誤解は社会に大きな影響を与えるー
再帰性」は、参加者の見方と、事象そのもののありようとの間に成り立つ、一種の循環性、両者の間の双方向的なフィードバックが
生み出す円環だと見ることが可能である。 人は、直面する状況そのものをもとに決断を下すわけではなく、その状況の認識あるいは
解釈にもとついて決断をくだす。 彼らの決断は状況に影響を与え(操作機能)、状況の変化は参加者の認識も変える(認知機能)。
二つの機能には前後関係はなく、同時に作用する。フィードバックに前後性があれば、事実から認識へ、新しい事実から
新しい認識へという、一定の事象の連なりが生み出されるだろう。 だが、認知機能と操作機能は同時に発生する。
その結果、参加者の認識も、実際の状況の展開も不確定的になるのだ。 後に見るように、「再帰性」の概念は、
金融市場の動きを理解するうえで特に重要だ。その性質を循環性と呼ぽうと、フィードバック.メカニズムと呼ぼうと大した違いはない。 
だが、双方向的な作用は本物である。 循環性は解釈の違いなどではない。 循環性の否定こそが間違っているのであり、
再帰性」の理論は、その誤りを正そうとするものなのである。 社会の参加者は社会的現実に影響を与えることが出来る未来は、
彼らの決断によって形づくられていくが、彼らは確たる知識にもとついて決断を下すことは出来ない。 
現実社会の参加者たちは社会について何らかの見方を打ち出さなくてはならない。だが、その見方が現実と一対一で対応することは
ありえないのだ。現実社会の参加者がそのことをきちんと把握しているか否かはともかく、彼らが現実に根ざしていない信念、
いわば"思い込み"によって行動しなくてはならないことは、はっきりしている。
現実の誤った解釈をはじめとする誤解は、社会的現実がどのように動くかを決めるうえで、通常理解されているよりも、
はるかに重要な役割を果たしている。 「再帰性」の理論の本質はまさにここにある。 
現在の金融危機は、その説得力に富んだ実例として使えるはずだ。
 ーーー
 解) 世界は『豊満な誤謬』で成り立っているのです。 次回は、その豊満な誤謬について書いてみる。

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2007年10月24日(水)
2395, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー3

             *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
   戸塚の幼児・少年期の教育論は、自分の経験を省みると一つ一つが、よく解る。
   そのプロセスを飛ばした部分は青年期になってから、その数倍も跳ね返ってきた。
   反面、彼のいう躾や見えない指導は両親からシッカリと仕込まれてきた。
   片親の場合や、父親が軟弱の場合に指導チェックが行われない可能性が大きい。
   やはり理想をいえば小学校時代までは、両親の深い愛情と、躾が必要である。
   両親から5〜6歳の時、こっ酷く殴られたことが何回あった。 但しそれ以降は一切なかった。 
   さすがと思ったのは、大學に入ると同時に一人前として、人格の尊重をするようになった。 
   多くの子供を育てて経験からの知識であろう。神谷 美恵子の本にあった人生の諸段階にそって導いていたことになる。
   道理にそれほど差がある訳がない。 子供がまともに育てるには、それなりのステップが必要ということになる。
  「出来ちゃった婚」など、生まれ出る子供からしたら「ふざけるな!」である。その時点で・・、これ以上書かない方が良いか?
 ー彼の幼児期の教育論の部分を抜粋してみる。 
  ーーー
 *体罰は三歳から小学生いっぱい*

  では、子供たちのどの時期に何をすればいいのか。 それが善でも、もちろん施すにはそれぞれ時期がある。
  年齢に応じたやり方があり、それを超えると虐待になつてしまう。
・三歳までは、完全に保護された状態で肉体と精神が成長していくのが望ましい。
 それこそ包むように育てる。母親が愛情を目一杯注いで、百パーセント保護してやる。
 そうやって体と脳をしっかり作れるようにしなければいけない。
・三歳を過ぎたら、体罰を与え始める。第一次反抗期を迎えてからだ。
 三歳までは成長だが、それ以降は、成長に、進歩という要素が加わってくる。
 成長は目的をもっていないが、進歩には目的がある。だからそこからは接し方を変えなくてはならない。
・三歳から五歳ごろまでに体罰をきちんとあたえておけば、その後、必要はなくなる。
 親子の上下関係がはっきりすると、子供は親が自分より圧倒的に強いものだと理解し、
 それゆえ親は自分を守ってくれるとわかるからだ。こういう子供は安定している。
 親のもとにいれば、安心できることを知っている。だから恥をかくことも恐れない。
 したがって進歩もする。進歩する力を身につけさせれば、その後も自律的に進歩を 続けていくようになる。
・こうした親子の関係は、少なくとも小学校のうちに身につけさせなければならない。
 直していかなければならない。 中学になってからではもう遅い。 問題行動が始まる中学生になってから直すには、
 ヨットスクールでやっているような厳しい罰が必要となるし、完全には直らない。それは彼らが既得権を持ってしまうからだ。
 それまで殴られたことがなければ、殴られないのが当然と思ってしまう。ちょっと殴られても、そんないわれはないと
 抵抗するようになるのだ。進歩の力をつけるのは、小学生のうちしかないのだ。

 体罰とともに次のようなトレーニングも重要だ。まずひとつは、不快を与えよ。
厳密に言えば、子供に不快感を発生させるということ。そしてその不快感から「なにくそ!」「やってやろうじゃないか!」
という怒りの感情を起こさせる。 それは進歩につながる。叱る、恥をかかせる、あるいはいじめも同じことだ。
不快感は、恐怖、驚愕、怒りの三つしかない。それらを理性を作り上げるために、進歩をさせるために使っていくのだ。
 次に、危険な遊びをさせること。これも生きようとする力を解発していくものだ。
いまは怪我をさせないように細心の注意を払って教育が行われでいるが、怪我をしないで安全がわかるはずがない。 
セーフティー・トイなどと言って遊具が危なくないものばかりになったら、よけいにおかしくなる。
怪我はしなくてはいけない。 死にかけるから安全がわかる。 刃物を使う、木に登る、欄干を渡る。
何が危ないかトレーニングをして覚えていくのだ。
 そしてもうひどつ重要なのは、異年齢集団を体験させること、だ。上下関係のある中で支配され、支配する関係を学んでいく。
子供は小学生くらいの間は、健全な形でいじめられ、かつ、いじめる経験をしておくべきなのだ。
それぞれの立場に身をおくには、異年齢集団に入るのが一番いい。初めはその集団で足手まといになったり、
役に立たなかったりして面倒を見てもらっていても、年を経るにしたがい、年下の面倒を見るようになる。
ここで支配、被支配の関係を学ぶ。それを知っていれば、いじめでも適切にいじめてやることができる。
ーーー
携帯電話が子供に与える影響はプラス・マイナスがある。小中学生に、どのように導いてやるか大問題であろう。
 また、なるべくしてなったのが引きこもりである」 でも、どこかが欠けているのが人間でもある。
                    バイヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年10月24日(火)
 2030, カラスの話
        (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
20年間にわたり散歩の途上、色いろの鳥を観察してきたが、特にカラスが面白い。
低空で飛んできて糞を落とされることがあったが、あれは狙ったのではないか?と、今でも思っている。 
時々からからかったりしていたからだ。また私の散歩の時は黒ずくめのためカラスは敵と見るらしく、近くを通るとき威嚇される。
雀、セキレイ、百舌鳥などを襲っているのを何回か見かけたことがある。日本のカラスは生きた成鳥は襲わないと言われているが、
時には襲うようだ。ある日、思いもつかない不思議な場面に出会うことがあった。
小雨の中、近くの高校のグランドの地べたに数百羽のカラスが舞い降りて、ただならぬ雰囲気で情報交換しているような場景があった。
また電線に千羽以上もとまっていることもあった。あれは何かの集会ではないだろうか?

カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、動物学者の研究観察から認められている。
その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
 ・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
 ・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、
 ・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
 ・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて始めた“遊び”といわれる。
  そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
  「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽(もうきん)類に襲われた場合に備えての
  チームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びにすることが、高度な知的行為である。
 遊びのほかにも、面白いが観察がされている。取ってきた木の実を土に埋めて隠しても、その場所を正確に記憶している。
 驚くべきことは「百箇所以上に埋めた場所と、それぞれの賞味期限も知っていて丁度良い時期に掘り出して食べていた」
 という観察もある。 その瞬時に記憶する能力は人間以上とさえいわれている。
  イギリスの動物学者のエメリーの研究によると、一度隠した木の実を、別の場所に移し替えたので観察をしていたところ、
  過去に自分が隠した木の実を盗られたカラスに見られたときだった、というから人間並みの知能といえよう。
  ハイエナが自分の巣穴を覚られそうになった時、子を違う巣穴に移すのに似ている。
 他にも、銭箱から小銭を盗ってきて、鳩の餌を売っている自動販売機にその盗んだコインをくちばしで投入、餌を得たり、
 また胡桃を空高くから落として割る行為もよく知られている。街中で生きる内に知恵がついたのだろうが・・・
  「羽の生えた類人猿」とは、言いえて妙である。逆のカラスの立場から見れば、人間は「羽の無いカラス」といえる。
   弱っている動物をみると、それだけで攻撃する習性など、そっくりである。  
   自然世界には、面白く不思議なことが満ちている。 ただ、見てないだけである。いや、見ても観えてないのだろう!             
                     \(^▽^*)バイ!
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2005年10月24日(月)
1665, 中越地震から一年!
昨日の「バードウォッチング」をまず、コピーしてみる。

ー10月23日ー
 去年の丁度今頃に地震がおこった。早夕食が終わった直後であったが、あまり恐怖心はなかった。
秘境旅行を続けてきたのが一番の理由であろう。一回の旅行で、圧縮されたトラブルがほとんどでる。
創業を何回もしてきたこともあるし、仕事の関係で常に現場では何かが起こっている。
真っ暗の中、一つずついま出来る手順をふめばよい。 身の危険が無かったこともあるが、
「この程度でなんで騒ぐの?」が、実感であった。それぞれの建物事情もあるのだろうが。
刺激の濃い日々だったのか。現在も同じ? 丁度花火が打ち上げられている。  黙祷!!
 ーー
以上であるが、実際は凄かった?喉元過ぎればか。
近くの高校と小学校が避難所になっていて、一週間は近所のほとんどの家は(避難をしていて)真っ暗であった。
その瞬間からは、毎日ライブでこの随想日記に書いてある。危機になればなるほど面白がる、楽しむ悪癖がある。 
良くいえば余裕がある? 悪くいえば性格が歪んでいることになる。 やはり場数を踏んでいることか。
ただ、山古志などの全壊した村で避難所に住んでいる人が一万人近くいるのも厳然たる事実である。
車で10分もしない所に、避難所で生活している人がいる。時々近くを通るが、彼らが普段の生活に戻ることを祈る。
そういえば、自宅内の貸家に被災者が住んでいる。彼らが自宅の裏の貸家を見にきた時の姿が目に焼きついている。
その一年前に、水害にあってやっと落ち着き始めたところ再度、地震にあったという。
一家して、疲れきった肩を落とした姿が印象的だった。

・・・・・・

2004年10月24日(日)
1300, まさか、地元で大地震

10分ほど前に、電気が復旧する。長岡の市民の4分の1が、学校などの施設に避難しているとラジオで言っていた。
電気とガスが切断されていれば仕方ないのだろうが。仕方がないので17時前に郊外にファミリーレストラン
探しに行くが、一軒だけ和風の地元のファミレスの電気がついていた。そこで食事後、家に帰ってきて18時半に就寝。 
直ぐ熟睡。 電気が今日中に復帰とラジオで言っていたので、電気のスイッチをいれていた。
それが23時半に復旧。何がともあれ飛び起きて、この随想日記を書いている。
地震がおきた時は、丁度早夕食を終えようとしていた時であった。
普段、土曜日は家内と居酒屋か、近くのサエゼリアなどで食事をすることになっている。
たまたま、長岡近郊の小千谷市のスーパー・センターにドライブをかねて買い物に行き、
惣菜を買ったために、家で珍しく食事をしていた。殆ど、前ぶりもなく激しい地震がおきた。
サイドボードに、コーヒーカップや、茶碗や、皿が多く詰め込まれている。
その半分ほどが、揺れで外に飛び出して割れてしまった。大きな地震が4回、他に小さな地震が10回前後も揺れ続いた。
一時間ほどかと、時計を見ると2時間半も経っていたのには驚いた。
一度なら、それほど驚かないが4度も大きな地震には恐ろしいより、笑ってしまった。 
と同時に、そこが私の面白いところ!「これは県内で、二桁の前半の死者の数が出るだろう」と、
地震の最中に家内に言っていた。 現在起きていることに対しても、解説的な自分が可笑しい。                              ーつづく
ああ〜、0時一分前、このソフト今日中でなくては翌日の日付になってしまう。
  ギリギリ間に合った! それにしても余震が絶え間なく起こっている!                             
・・・・・・・・・

2003年10月24日(金)
933, 強みに焦点をあわせよ(集中せよ) ー2

ドラッカーの過去の書物の中から「強み」について、抜粋していた本の項目から書き写してみた。
この中で印象的な言葉として、「無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも遙かに多くのエネルギーと
努力を必要とする」である。これは人に対しても、自分の中の能力に対してもいえることだ。
自分の不得手を直すより、得意分野に努力を集中すべきということだ。不得手を直すのは、むしろ害になることもある。
そこに気持ちの集中がいってしまうからだ。「得手に帆を揚げ」という言葉が日本にもある。プラス思考にもつながってくる。
 大組織のサラリーマンに嫁いだ姉たちを見ていると、マイナス思考になってしまっているのが分かる。
まずはマイナスをお互い指摘しあう世界であるからだ。それがまず必要なこともわかるが、
マイナスのカバーに神経を研ぎ減らしている。
 ー抜粋ー
・自分の強みはわかりにくい
 ー誰もが、自分の強みをよくわかっていると思う。
 しかし、たいていは間違っている。 わかっているのは、せいぜい弱みである。
・不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。
 ー自分の強みに集中すべきだ。 無能を並みの水準にするには、
 一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。
・いまさら自分を変えられない
 ー今さら自分を変えようとしてはならない。うまくいくわけがない。
 自分の得意とする仕事のやり方を向上させることに、力を入れるべきである。

   ー以下は、字数の関係でカット(2007年10月24日)
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559, ある逸話-外地のガイド

  • 2002年10月24日(木)

海外の現地の日本人ガイドにはあまりプライバシーを詳しく聞くなといわれている。
日本で訳ありの経緯できている人が多いという。
イスラエル南アフリカなど日本人の殆ど行かない所では、寂しいのだろう、自分で全てを話してくれた。
南アフリカでの話は今でもハッキリと憶えている。50歳ぐらいの女性であった。
日本の商社に勤めていて、英国人と恋愛結婚して初めは英国本土に行ったが、平凡な生き方に嫌気をさした
旦那の意向で南アフリカに十数年前にきたという。
ケープタウンに日本人は二十人前後しかいないと言っていた。日本人同士の付き合いは殆どないとか。
日本人の墓は女性名で一つしかなく、その墓を見てきたが冷えつく思いだったという。
子供ができた時に子供の名前を日本名にするか、英国名にするか大モメだったという。
女性の場合、自分が死んだときに生きてきた自分の証明が残るのは日本名の
子供の名前だけになる。自分という存在が完全消滅してしまうような不安にかられるという。
外人と結婚して外地暮らしは若いうちは良いが、歳をとった時に辛いと言われているが、自分はそれを知らなかった!
と言っていた。聞いていても身に沁みる話であった。人生いろいろあるものだ。
10年近く前、ニュージーランドに行った時も70歳近い女の老添乗員が悲鳴をあげていっていた。
「40数年前に豊かさを求めてこの地に来たが、この地より日本が遙かに豊かになってしまった。大誤算だった!」
現在は日本も事情が変わり、そうでもないだろうが??! 全ての事は±ゼロである。

・・・・・・・

[196] 本格的チェーン店の出現
  2001/10/24

日本にもやっと国内資本系のチェーン店で本物が出始めてきた。 ユニクロ、家具のニトリしまむら
イタリヤ料理のサエゼリア、100円ショップ、無印良品、全国居酒屋チェーンの一部、 そしてーーーー
上記の店は今の日本において本格的なチェーンといっていい。ホット商品を廉価で提供しているからである。
チェーン理論のコンサルタント渥美俊一が三十年以上前から、口酸っぱく言っていた。
「普段の生活を豊かに!日本の物価は高すぎる。それはチェーンの形態しかできない。」業態というカタチしか、
出来てなかったそれが最近になってやっと出来てきたようだ。 デフレとグローバル化の追い風に乗って。
皮革張りのイタリヤ家具で、皮はイタリア製で木工と製造が韓国製の応接セットがある。
韓国は昔から木工の家具の得意なところ、イタリヤから皮革を輸入して、木工と人件費の安さと合わせた
韓国製イタリヤ家具が完成する。実をいうと自宅の家具がそうなのだが、ブランド家具の150万相当の家具が30万で買えた。
五分の一である。グローバルとはそういうことが可能となる。100円ショップの原価は27円? ほぼ中国・東南アジア製。
100円ショップの凄いところは300円〜1000円なら要らないが、100円なら買うというところに目をつけてところ。
チェーン店はそれがより可能になる。サエゼリアでもワインなど船一隻丸ごと?
運ぶことが可能となる。イタリヤ料理の材料を直接運ぶことが可能だ。
近くの地方スパーの原信の惣菜より安く、もちろんずっと美味く提供が可能になる。
客として不思議にさえ感じる。。知らない客にとって見えないマジックそのものだ。
マクドナルドはそれを65円ハンバーグで、実現してみせた。
今の海外ツアーと国内ツアーみたいなものだ。 3倍〜5倍の価値の商品が同額だからだ。

つれづれに

イメージ 1

毎朝、ウォーキングをしていると色いろな犬を連れた散歩の人と出会う。
最近は歩けなくなった犬を乳母車に乗せている人がいる。
犬だけでなく、他にウサギや猫をつれている人もいる。 
二年ほど前から、小桜インコを小さなカゴに入れて散歩をしている人がいる。
私も過去に5代にわたって小桜インコを飼っていたので、鳴き声が懐かしい。
今朝、私のほうから「何代目ですか?」と声をかけてみた。
二代目で7歳という。散歩で、こうして外に出ると喜ぶのが分かるという。
先日、散歩の途中にカゴを落としてしまい、逃げられたが、5分ほど飛び回って戻ってきたという。
私はだいたい3年で逃げられるか、寒さで死ぬかである。
それでも15年にわたって飼っていたことになる。ただ、時に思い切って噛まれる。
それさえなければ良いが。 また飼いたくなったが、止めておこう?

株が、13時現在、ついに8000円を割って7900円になった。
後は、5年半前の7600円を何時割るかになってきた。
FRBの理事長のグリンスパンが、100年に一度の金融危機と下院で証言していたようだが。
恐ろしく暗い日々が、これから数年続くだろう。倒産がつづき、失業者が溢れ、生活が日々、
切迫するのが常態になるのだろう。 他人事ではないが、やれることを、やるしかない。今さら焦っても
仕方がない。