拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

『ブラック・アトランティック』の難しさ

睡眠薬が切れて早朝覚醒してしまったので、カキコ。
2月17日。土曜日。
日本英文学会関東支部主催、第7回翻訳ワークショップに参加。
私などは『ブラック・アトランティック―近代性と二重意識』はとにかく面白く、例えば第一章、ヘーゲルさんの近代性と奴隷制度との関連についての、PC的にはアウトな言及を、いわば黒人の立場からヘーゲルさんを奪用していく契機と読みかえていくあたりからして興奮もの。「ブラック・アトランティック」という魅力的な場を見いだしただけでも勝ち、ですな。
しかしイングランドの黒人音楽の系譜やパンクロックなどの系譜を頭ではわかっても体で理解していない私としては(パンクの仮想的、ツェッペリンヲタだったり、似非パンクと叩かれるポリスのスチュワート・コープランドさんが好きだったりする人なもんですから)、全体の議論がどうも腹の底からわかったという気がしないのだった。それは訳者の毛利さんや鈴木さんも自覚していらっしゃるようで、たとえばパンクにせよUK Blakなどの音楽ネタは、これは実際に聴いている人でないと決定的にわからないわけで、しかもそのような人がヘーゲルさんやトニ・モリスンさんを熱い涙を流しながら読んでいるかというとそうでない場合も多く、両方わかっている人ってようするにギルロイさん(だけ)なんじゃないかというような話もあったり。
飲み会はちょっと用事があったので失礼してしまった。