拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

宮城小旅行(名取、石巻、女川&仙台)

急に思い立って、金曜日から先ほどまで、名取市閖上石巻市、女川町を見てきた。
閖上地区につしては昨日写真をアップしたので、ここでは書かない。
書いておこうと思うのは、金曜日、名取市閖上で時間を過ごしてから、名取ICから仙台東部道路(これがいわば「防波堤」になった)に入って、そのまま少し北上して、仙台東ICで降りて、近くの定宿シーラックホテルにチェックインした。
仙台に行くときには、私は自動車で行くことが多いのだが、インター至近のこのホテルは安くて駐車場も広くて便利なのでずっとここに泊まっているが、何せ駅前や東北大学からは遠く、不便であった。ところが気がついてみると地下鉄東西線というのが完成していて、ホテル至近の荒井駅から乗ってみると、これが大へん便利で、仙台駅や川内駅(これは東北大のキャンパスに直結してて、大変うらやましい)にすぐ行ける。
この荒井駅なのだが、仙台東部道路の仙台東IC近くの、ぶっちゃけいうと畑の中に新たに作ったという感じの駅舎である。

今後、この付近を新たに造成するのだろうな・・・と思っていたら、それが震災復興と関係があることを知った。この駅舎には保育園と「せんだい3.11メモリアル交流館」が併設されていて、後者は開館記念展「分かち持つ記憶」というのをやっており、ホテルに帰る前に見てきた。
このページで内容が少しわかる。
常設展も見てきたが、とにかく感じたのは、この荒井駅というか、仙台東IC付近という場所が、まさに仙台東部道路の「こちら側」であったため、津波の浸水を免れた地域なのだということである。実際は東部道路を乗り越えてやられた地域もあるのだが、もらったパンフを見たら荒井駅の辺りはマジでギリギリセーフだったようだ。
この荒井駅周辺は、これから「向こう側」からの移転先としても整備されていくようだ。これも「復興」ということなのだろう。

石巻の大川小学校(跡)や作田島神社(この神社については磯前順一『被災地信仰論』の第3章末をぜひお読みいただきたい)については、また別の機会に書くかもしれない(書かないかもしれない)。