基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

円城塔×中上紀トークイベント 『私が作家になった理由』創作を志す東大生へのメッセージに行って来た。

 円城塔氏と中上紀氏、そしてコーディネーターとして如月かずさ氏を加えた三名が創作を志す東大生へあれこれ言うという内容で、夢や希望に溢れた話になっているかというとまったくそんなことはなく、小説家の絶望と苦境がのべられつづけるという創作志望者にはなかなかつらかったかもしれないトークショーでした。一番メッセージとして伝わってきたのは「創作を志すんだったら安定した職をゲットしてから志すべし」というもので、その理由も数多くあげられていて、どれも納得できるものでありました。

 たとえば、30歳で作家になったとして、年2冊本を出したとする。というかそれぐらい出さないと、生活していけない。そうした場合70歳で一応仕事をやめるとして、専業作家で生きていくためには80冊もの本を出さねばならない。司馬遼太郎だったら出来るが、普通の人は80冊分も書くことが、果たしてあるのか? 「書きたいんです!!」と熱意を持っていっている人たちは、80冊分も書きたいことがあるのか? 当然書く過程で吸収する分もあるわけで、自転車のようにぐるぐるとペダルを漕ぎ続けることによっては可能だろうけれど、確かに考えてみれば一生作家で食おうと思ったら、それぐらい本を出さないとやっていけないのだ。まあそう語る円城塔氏はだいたい年に1冊ペースでしか出していない上に、2009年に出た本といえばTwitter小説集しかないので、このペースで行けば円城塔氏は70歳までに25冊ぐらい書けば生きていけるのではないかという気はする。それって、多いのか少ないのかわからないけれど…。

 円城塔氏の小説家に対するシステマティックな考え方は「小説を書くのは金を儲ける手段」とシビアに考えているところからきているのでしょう。たとえば仕事を貰える時でも、自分の書く速度が1日にどう頑張っても10枚しか書けないとなったら、1週間で100枚書いてこいなんていう仕事は受けられないと、そういう計算をしろということなんですね。仮に専業作家として生きていくとして、一体どれぐらいの生活レベルを保ちたいのか? 専業作家になれれば年収200万でもいいのか? 年収500万はないとちょっと…という人はいったい年に何冊書けばその年収に到達できるかちゃんと考えているのか? とかいうあたりは結構創作志望者にはぐさぐさと突き刺さるのではないかと思います。実際夢や希望、根性努力さえあれば大丈夫だ!! と思っているような創作志望者は多いような気がしますので、一度将来設計について考えるのは必要ですよね。

 そういえば、最後の方で話題に出た「どの賞に送るべきか」というので、SFの賞に応募するのはだいたい200人、純文学は2000人、ラノベは2万人、といっていたのが印象的で、SFの不遇っぷりとラノベの大繁盛ぶりが好対照ですね。普通に考えれば2万分の1を狙うよりかは200分の1を狙った方がいいわけですけれども、SFの賞を取ったとしても食っていくのは正直厳しいでしょうね。絶対的に読者数が少ないので売り上げも頭が見えちゃってますし。メディアミックスもほとんど望めないという小説界の孤島みたいになってますから…。

 ラノベだから食えるっていう話でもなくて、いやむしろ専業ラノベ作家なんてとんでもない! という話もしていました。ラノベなんて棚が少ない、あるけど、スペースが少ない、その少ないスペースを毎月出る大量の新刊が占拠していくわけで、古い作品が残らない。だからラノベ作家はもう死に物狂いで毎月書かないといけない、そうしないと本屋に並ばないから。そして書けなくなったら死ぬ、そんなシビアな世界が今のラノベ業界であると。最近のラノベの出版点数は異常なものがありますからね。よくあれで回っているもんだなあとか、ていうかあれ利益出てるんだろうか、とか色々心配してしまいますけれども。ラノベだけで専業なんていうことになると、「はたして70歳まで書くとして、それまでラノベ業界なんてものはあるのだろうか?」なんてところまで心配しなくてはやっていけないかもしれません。いやそれ以前に、「プロの作家なんてものが10年後まであるのか?」という方が切実かもしれませんが…。そんな、シビアなおはなし。