9-船の上の友達

フェリーの中はさならが韓国のようだった。
匂いに敏感な私が一歩船内に踏み入れると
キムチなどの辛い物を食べた後に
おならをしたような匂いが、むっと襲ってきた。

韓国は2度目だが、初めて私が韓国の空港に
降り立った時もこの匂いがした。
とても臭いのだが、どこか懐かしい匂いだ。

周りを見渡してみると韓国人ばかりである。
髪を何故かくるくるパーマにしたおばさんが大量にいる。
ある一定の年齢に達したおばさんは、
全員くるくるパーマにしなければならないという
韓国の法律でもあるのかと思うほどだ。

私は船内のどこからとなく聞こえてくる
マシンガンのような勢いの韓国語と、
このくるくるパーマ集団に、ただただ圧倒されていた。

フェリー内はというと、迷路のようになっていた。
派手な色の部屋が一列に並んでいるのだが、
歩いているうちに道は曲がりくねり、しまいには
自分がどこを歩いているか分からなくなるのだ。

やっとのことで見つけた私の部屋は4人部屋だった。
こじんまりとした室内にがっしりしと固定された
2段ベッドが二つ向かいあっており、そこが私の今日の寝床だ。
荷物を置いたら眠る場所はなくなってしまうくらい
狭いのだが、十分清潔なので何の不満もない。

4人部屋だが、部屋には私の他に一人しかいないようだ。
ベッドには目隠しのカーテンが備え付けられており、
中の様子は伺いしれないが、カーテンの外に男物の
靴が置いてあるのでどうやら男であるらしい。

私は暇なのでフェリーの表に出てみることにした。
表には、何人かの人が外の風をあびに出てきていた。

少し温かい風が強く疲れた私の体にふきつける。
それがとても気持ちいい。

やがて私の乗る船は明石海峡大橋の下まできた。
まさか、いつも自分が電車の車窓から見ていた橋を
こんな風に下からくぐる日が来るなんて
今まで考えてもいなかった。
私は故郷にしばらくのさよならをした。

私が共同部屋に戻ると、
一人の少し細く小柄な50歳くらいのおじさんがいた。
おじさんは私に韓国語でなんやら話しかけてきた。
私は日本人ですよというと、おじさんは
少したどたどしい日本語で話し始めた。

おじさんは金さんといい、
日本人の女性と結婚し日本で暮らしているという。
そしてこうして時々船で故郷の釜山に帰るのだそうだ。
私は暇なこともあって、おじさんのベッドに腰掛け話し込んだ。
日本の政治のこと、韓国のこと、たわいもない話を延々した。

私とおじさんは狭い部屋を出てロビーに出ることにした。
おじさんはロビーの近くのコンビニで韓国の酒を買った。
キミも飲む?と言われたが、私は断った。
私はアイスクリームを買った。

私達はフェリーの外に出た。

おじさんは「このあたりが、チュシマ(対馬)よ!」と
対岸を指差し韓国人特有の発音で言った。
私にとって対馬はあまり意識したことないただの島だが、
釜山に住んでいたおじさんにとって、
おそらく対馬は最も身近な外国だったのだろう。

おじさんは私が釜山に着いたら、
お酒が飲める所に連れて行ってあげるといった。
全く知らない国籍も年齢も全く違うおじさんと
出かけるのも案外おもしろいかもしれない。
私は、是非おねがいしますね、といった。

そして酔いのまわったおじさんは
おもむろにポケットから携帯をとりだし
日本の友人に電話をかけはじめた。
船の上は意外と電波があるようだ。

しばらくして日本人の友人が出たようで、
金さんは楽しそうに話しはじめた。
そして少し話したところで金さんはこう言った。

「あのね、僕は船の上で日本人の若い友達ができたんだ。
今日はとても楽しいよ。ちょっと待って、変わるから」

素面の私は強引に電話を渡され、知らない日本人の
おじさんと話すはめになった。

こんにちは、タワポンです。
はい、金さんの若い友達です・・。



ははははは!



おじさんは笑った。
電話の主も笑った。
おじさんの友達である私も笑った。

船の上からは、遥か遠くに対馬の光が見えた。
私達の笑い声はフェリーに吹き付ける暖かい風に乗って
遠くまで飛んでいった。


それは、それは愉快な夜だった。