安藤裕子「それから」
アルバム「勘違い」からお気に入りの曲。もう5年以上前に発売されているのだけれど、今、年を重ねてあらためて聴いて名曲なのかなと思う。シングルカットされていない曲なので、当初はアルバムを全体の通しで聴いていたが、それほど存在を意識していなかった。けれども何度も聞いているうちに、いつの間にかこの曲が私の一番好きな曲になっていた。
滲み消えるほど
手のひらに握り隠した
君への言葉は紙に書いて
誰も知らぬように
曲の冒頭から、そこにある情景と想いが、安藤裕子の唄により鮮明なイメージとして浮かび上がる。アンニュイであるけれど、途切れない相手への想いを持った女性のふとした一場面が想像される。
風が薫り頬を巡る
昔に見た景色を思い出して
強く目をつぶる
光って 光って ああ眠れないよ
曲調の一番盛り上がるサビは、風の匂いによって想起される当時の輝かしい記憶にとめどない感情が溢れ出す。
どの季節なのだろうか。なんとなく、私のなかでは、5月のようやくあたたかくなってきた春の空を想像して聴いている。
この唄は、切なさの感情から始まるも、前向きな想いをもっておわりをむかえる。
君に会えたなら
伝え忘れたことを
やたら大きな声で
届けられるように
笑って贈るよ
美しい記憶と途切れない想いを、哀しみのなかに明るく前向きな言葉で締めくくる。ひとつの曲の中で女性のひとつの物語が前進する。美しいメロディーと季節の薫りが感じられるような描写によって、心のなかのある部分がひたひたと満たされるような優しさにあふれた曲である。
未聴の方は、ぜひ何度かリピートして聴いてみてほしい曲である。メジャーな曲ではないけれど、きっと他にもこの曲が好きな方がたくさんいるはずだ。
- アーティスト: 安藤裕子
- 出版社/メーカー: cutting edge
- 発売日: 2012/03/28
- メディア: CD
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お久しぶりです、こんにちは。
前回の更新から、早くも6年以上が経過。
このブログスペースは、普段の日常からはただただ遠いものとなっていた。
気がつけば、世の中のインターネット上の進化は加速度的で
はてなダイアリーのような個人ブログが旬の時期は、とうに過ぎ去ってしまっているのかな。
自分が文章を書くことに遠ざかっていることは常に自覚しているけれど
なかなか再開ができずにいました。
ゆっくりと文章を考え、内にあるものをアウトプットするという行為は
結構にエネルギーがいる行為。
スマートフォンを持つようになって、以前よりも簡単に発信する環境は整っているはずだけれどもそれができないのはどうしてか。
ひとつには、消化しきれないほどの情報量がスマートフォンを通して大雨のように
ザーザーと降りかかるからだろう。メール・ニュース・SNS、インスタントでスピーディーな
情報がゆっくりと咀嚼して情報を噛み砕く間もなく消費されていく。
よく言えば、双方向コミュニケーションが離れていても問題なくできる世の中になったのだけれども、裏を返すと距離や時間を置いて考える時間はどんどん少なくなっている。
便利なデバイスによって世の中のつながりは、グンと近く、簡単になった反面
その魔力に依存して失った大事なもの。
そういったものを取り戻すために、少しこのブログに戻って来たいと思う。
[ひとりごと]
今日の静岡は春並みの暖かさで最高気温は20度を超えたようだ。上着を羽織らないでいても大丈夫だったし、日中は動いていると汗ばんでいたから本当に暖かかったのだと思う。
暖かくなるとなぜか行動が活発になる。外へ出て行こうという気に自然となってしまう。こういう感覚はある程度みな似通っているようで、今日は普段よりも人と出会う機会が多かった。音信不通だった友人からも突然の電話があった。きっとこれは偶然ではなくてこの暖かさと関係があるのだとおもう。
人は自分の意志で行動する部分と、無意識によって動かされている部分があるのだと思う。その無意識とは今日のように気候などの自然要因や周りの環境によってもたらされるのだと思う。
最近は、精神的にがんじがらめになって身動きができなかったので、なんだか今日は自然に助けられた。
■
[ひとりごと]
ずいぶんとひさしぶりです。
独りよがりですが、なぜか更新してしまいたくなってしまいこうして書いています。多分、春らしくなって今日が暖かい一日だからなんだとおもう。
自分は今いるところは静岡県です。
このブログを始めた頃は京都、そして北海道と里帰りし、今度はなんでか静岡。いままでにゆかりがあった土地でもないんですが、なぜかここにいます。
新生活は、仕事も暮らしもほぼ一人でしています。
あまり人と接していないと感じることは、あらためて言葉が大切であるということ。数少ないコミュニケーションのなかでは、相手の言葉や自分の発する言葉による影響は大きい。
これはいい機会だと思っています。
発する言葉、受け取る言葉、いろいろなものに感性を研ぎ澄ませていくことができればよいと思う。
■
[ひとりごと]
仕事について三年目、会社にも目新しく感じることが少なくなっている。
固定化した人間関係とコミュニケーション、
初々しかった自分も随分と安定してしまったような気がする。
いわゆるマンネリ化というものだろう。
会社の女からは草食系といわれる始末。
何の危険性もないイメージがついてしまったのかもしれない。
なんてこった。
男としてはほんと情けないよなぁと思う。
新しい目標が必要だ。
目の前に見える世界を一新したい。
そのためにすこしずつ今の自分をかえていきたい。
■
「ひとりごと」文も書かなきゃ堅くなる
お久しぶりです。どこかの誰か、こんばんは。
この場で文章を書くことからここ数年めっきり遠ざかっていました。
はてなアンテナを通して、アンテナを張っているところのブログの更新はきっちりチェックさせていただいたけれど
自分はというと、すっかりおざなりになっていました。
身を置く環境の変化から、日々文章を書くという行為が占める存在がすっかり小さくなっていたんだろうと思う。
直接的なコミュニケーション、人と面と向かったやりとりがもつ刺激にやられていた模様。
会話、自分にとって一番掛けていたものがたくさん得られたこの二年あまりでした。
相手の顔の表情を読む、気を遣って声を掛ける、相手の言葉の意味を考える、
自分の発した物が鏡のように返ってくるこの世の中、だんだんと興味が湧いてきた。
以前よりも人に対しての物の伝え方が直接的に変わってきた自分にもここ最近気がつくようになった。
そしてそうした生活の中では、なかなか改まった文章や言葉で相手に何かを伝える機会がなかった。
自分でも必要性を感じていなかったのだと思う。
今日ここで久しぶりに文章を書いている。
ひどく難しい。
気持ち、伝えることをまず整理すること、その順序立て、
どれをとってもうまくいかない。
使う脳がどうにも眠っているようだ。
今日はリハビリの日とすることにしよう。
すこしずつ堅さが取れたときに今感じていることを書ければいいと思っています。