■「装弾支援パートナー」と書かれたメールが来て、『ガクエン退屈男』で早乙女門土のバズーカに弾をこめるマシラのヒョーロクの姿が浮かんだのです、という話をして誰が分かるかは知らない。漂着教室に来れば読める。
■「濃淡」ということをよく考える。ひとりの子供に関わる人がたくさんいるといいな、と思うのは、その中で濃淡ができるからだ。濃く関わる人うすく関わる人、いろいろいる。全員が濃く関わったら深刻すぎて逃げ場がない。全員が淡かったら頼れない。
■上は空間的濃淡。ほかに時間的な濃淡もある。時の経過につれ、同じ人でも対応が変わる。いつまでも濃く関わる人はいないし、その逆もない。少なくとも関係が続いていれば。
■そういう濃淡がモザイクのように、または墨絵のようにたゆたっている世界で、子供は自分の息のしやすいところを見つけて移動する。そういうイメージが浮かんで、まだ言葉にはできてない。いつもいつも思考は映像先行だ。
■率行式はなんともう明後日。今年は土曜だ。間違えるな、気をつけろ。