市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

I have a Dream

 一昨日(23日/土曜日)の報道になるけれども、東裕子県議と金城裕市議の薬事法違反について、県警が動くとのこと。両議員の名前などを検索して当ブログを訪れる方も増えている。
 今、確認する報道の表現キャッシュ )では問題を感じないが、初期の報道では。なんとなく両議員の関与していた薬事法違反が同一の商材か、同一の企業体の物であったかのようにも捉えられる表現があった。
 金城市議と東県議の薬事法違反は、まったく関連性はない上に、その違法行為としても性質を異とする。今日たまたま古くからの知己を得ている医薬品関係の老舗関係者の方と会話を交わす機会があったが、その方も正確にこの両者の性質の違いを把握されていた。

 金城市議の薬事法違反は、自身が販売しようとした磁気製品(ネックレス)のパンフレットに「肩こり」などの効能をうたってしまったもので、これはちゃんと承認を得れば記載可能であった効能であったかもしれない。また、一般にこうした磁気製品の副作用というのは考えにくく、そういう意味では重篤な違法行為とは言えないだろう。
 更に、金城市議の場合、商品の回収、告知等もされ、今に至るも違法行為にあたったサイトを維持して「お詫び」を表示し続けている。非常に常識的な対応であろうと思われる。

 翻って、東県議の場合は、まず初期の薬事法違反であったシアバターの場合アトピーであるとか火傷という比較的クリティカルな事例に未承認のシアバターを使うというような暗示的な表記がなされていた。このような場合、感作を誘発するなどの事例もあるのではないかと憂慮される。
 更に問題は、実際に回収、告知がどの程度されたかが疑問でもある。
 更に更に、その問題を把握せずにマスコミに責任を被せるような発言であるとか、消費者に責任を被せるような発言を繰り返している。

 挙句の果てに、異なる薬事法違反事例を起こすという破廉恥な行為にいたっては、言葉を失う。
 上に、それがなんだか、私たちの責任であるかのように語られるとは。完全に常軌を逸していると言わざるを得ない。
 実は、この2度目の薬事法違反事例は、事例自体は軽度なのかも知れないが、その先に関連して悪質な違法行為が透けて見える。県警の捜査を待ちたい。

 もう一言申し述べておくが。

 地元、中日新聞はこの2件目の薬事法違反について、今まで一行も報じていない。この県警の動きは1回目の事例に対するものであるという情報もあるが、捜査の進展によってはこの2回目の事例の悪質さ、根の深さが摘出される可能性もある。その際、敏感な中日新聞読者は、2回目の薬事法違反事例について報じられていない事に違和感を感じる事だろう。

 この東県議のマスコットキャラクターが「チェレウサ」とか言うものらしく。
 そこには

「人生何度でも
チャレンジ!
失敗したってまた
挑戦すればいい!
人生は再挑戦の連続!
チャレウサは
今日もまた
チャレンジ!」

 というような文章が載っている。
 以前にも書いたように、こうやって失敗しても再チャレンジするのは結構な事だろうと思われるが。その際に他人に迷惑をかけたのであれば謝罪をしなければならないでしょうし、責任を負うべき事柄については逃げずに負うべきでしょう。反省も責任もない再チャレンジならば、どうせ同じような過ちを繰り返して周囲に迷惑をかけるばかりではないかと思われます。
 反省無く失敗を繰り返す者を昔から「バカ」と言いますので、彼女はバカということなんでしょう。愛知県(千種区)はバカを県議に推挙したということです。
 実は彼女と同じようなメンタリティを減税日本周辺者一般に感じる。それが先日チラリと書いた「河村市長の周辺者が『夢』というキーワードを利用する事に気が付いた」というメモである。

 左にズラリと並べたものは、上から近藤市議、安藤県議、佐藤代議士のそれぞれの広報紙のタイトル部分である。近藤市議が「夢と共に進化を!」安藤県議が「夢・きりひらけ」佐藤代議士が「夢・つかみ取れ!」とくるわけですね。
 これらは勿論、河村市長の「夢・まけるものか!」にならったキャッチフレーズになっているわけでしょう。

 大衆の中には「なんでもいいけれど、何かに一生懸命な人をとりあえず応援する」という心理があるようです。そういった心理を刺激するキャッチフレーズとしては、こういった言葉は有効でしょう。

 しかし、もう還暦も過ぎて、功なり名を遂げた筈の人が「夢・まけるものか!」と語る姿は、「若い」とも言えますが、一抹の違和感も感じます。この違和感には理由があります。

 「夢」というキーワード+政治というと。連想されるのはマーティン・ルーサー・キングの“I have a Dream”という演説でしょう。(邦訳動画優れた対訳)思わず見入ってしまった。

 この名演説で語られたキング牧師の「夢」と河村たかしやその周辺者の語る「夢」同じ「夢」であることは否定しません。しかしね、残念な事に、この歴史的名演説で語られた「夢」と、河村たかしの「夢」の間には雲泥の差があるのです。

 この演説はしばしば短縮されて “I have a dream” 以降の平等を訴える言葉からが引用されますが、“Dream” というタームが現れるのはその直前になります。


“so even though we face the difficulties of today and tomorrow,I still have a dream.
It is a dream deeply rooted in the American dream. ”

「われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。
それは、アメリカン・ドリームに深く根ざした夢である」


 キング牧師の「夢」は深くアメリカ建国の精神に根ざした根拠を持ち、更にそれが普遍化されています。ですので公民権運動、黒人の参政権獲得運動を超えて、私たち日本人にも訴えてくるのでしょうし、永遠に色あせない人類全てに語りかける言葉となっています。

 さて、河村たかしの「夢」とは何でしょうか?

 ・・・・何なんですかね?

 「総理を目指す」ですか?
 で、何するんですか?「消費税1%減税」(※1)ですか?

 それでどうするんですか?

 佐藤代議士、夢を掴み取るんですか?それは誰の夢ですか?安藤県議、あなたの夢はなんですか?近藤市議、その夢とどこへ向かうのですか?

 それらの「夢」は単なるご自身の「欲望」とどう違うのですか?(※2)

 その「欲望」と共に進化してみたり、きりひらいてみたり、掴み取ってみたり、諦めずにいたりしても、「欲望」なんてものは塩水みたいなもので、飲めば飲むほど喉の渇きを酷くして、より一層水を求めさせるものなんですよ。

 一部の宗教やらマルチ商法などでは、末端参加者がやってくると、真っ先にやるのがこの「欲望の開放」ですね。欲望を肯定させてそれを求めるように方向付けます。そして、その欲望を満たすためには、その宗教へ帰依するか、その商品を買うなり再販売するなりコントロールするわけです。
 陳腐も極まる構図です。けれども弱い人間には非常に有効ですね。

 実は、自分の「欲望」を生み出すその表層のもっと下に、他の人々とも連携できるナニカがあるのだろうと思いますが。その深い層にまで自分自身を見つめれば、自分だけではなく他の人々とも連携する「夢」があることが分かってくるのではないでしょうか。
 けれども、自分自身の「欲望」に振り回されているようでは、この人間本来の「夢」には至ることはできないのでしょう。

 と、ここまで来て。
 私は、「欲望」の段階の「夢」を一概に否定する気にはなりません。
 宗教なり、商売なり、それぞれ個人的な領域で追及される分には、各個人の幸福の追求な訳で、私のようなものがゴチャゴチャと口を挟む類の話ではありません。

 ただ、政治には持ち込んではなりません。政治は公共の場です。

 公園を個人的な利用で占有してはならないように、公共の場において、このような個人的欲望の追求、幸福の追求は一定の節度が必要です。

 河村たかしやその周辺者には、この節度がわかっていないようです。





※1
余りにも本論とずれるので、欄外に書きますが。「減税論」などで、河村たかしは総理になったら「消費税1%減税」と言ってますね。つまり、消費税を5%から4%に下げると言っているんですよね(まさか、5%の消費税を4.95%に下げると言う公約じゃないですよね)
 ならば、なぜ、市民税は0.6%減税じゃなくて10%減税なんですかね?
 6%を5.4%に下げるのは、0.6%減税じゃないんですか?

 この土日で色々な方とお話しする機会があったのですが、凄いですね。
 一般市民の中には減税が実施されたことすら気が付かれていない人も居ますよ。

 「議会も意地悪しないで、河村さんの減税を一回やらせてやればいいじゃない」
 「すでに22年に減税は実施されているんですよ」
 「え?そうなの?気が付かなかった」

 こんな感じです。
 「10%(一割)」という言葉のイメージだけが先行して、さも凄いものであるかのように喧伝されていたので、リコール署名などのあのバカ騒ぎになったのでしょうが、これが「0.6%減税」という表現であれば、もう少し冷静で現実的な会話になったんでしょうね。これもポピュリストとマスコミが騒ぎを大きくしたいがために(現実を)歪めた政治の姿と言えるでしょう。
 マスコミ的には「冷静な会話」とは即ち「盛り上がりに欠ける会話」なんでしょうから。

※2
 推敲のために文章を読み直していて、自分に教えられた。河村周辺者から「あなたは何が目的なのだ」とよく言われる。目的も何も、ここに書いたように疑問があるのでそれをそのまま提示しているだけなんだけど、何か目的がなければおかしいのだろうか?
 などと、思っていた。

 つまり、彼等には常に公共の場における「たしなみ」と言う概念が理解できないのだろう。公園でゴミが落ちていたら拾うように、政治の場で事実と異なる言説があれば指摘する。政策的判断で不利益を蒙る者は声を挙げるというのは、公共の場における「たしなみ」であって、別になんら思惑など要らない。

 常に「目的」(つまり、自己の要求の実現)を考慮に入れているから、もっとはっきり言えば、私利私欲に突き動かされているから、私の行動も何等かの私利私欲から来ているのだろうと思ってしまうわけか。やっとわかった。

 「亀は己の甲羅に似せて穴を掘る」と言うけれど、悲しいものだ。