影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか

社会的証明に関する記述は背筋が寒くなる。社会的証明とは自分の行動が適切かどうかを自分に似た人物の行動を観察して判断すること。この行為そのものはほとんどの場合は問題はない。しかし場合によっては大きな悲劇を生み出すことにもなりうる。たとえば公衆の面前で苦しんでいるような人を助けるべきかどうかという場面だ。一人しかいない場合はかなり高い確率で助けるのだが、周りにいる人が多ければ多いほど助ける確率は少なくなってしまう。というのも見ている人は苦しんでいる本人が本当に助けを必要としているかどうか不完全な知識しか有していないため、自分の判断が正しいのかどうかを周りの人の行動で確認しようとするためだ。しかし周りの人がみな同じような行動を取ってしまった場合は誰も助けないという結果になってしまう。このような現象を集合的無知というらしい。もし自分がこのような場合に陥ってしまった場合は、単に助けを求めるのではなく、具体的に人を指名して助けを求めるべきだと指摘している。
このような社会的証明は、ガイアナで起こった人民寺院集団自殺にも当てはまるという。
一番恐ろしかったのが、集団ではなく個人の自殺に与える社会的証明の影響である。アメリカの話であり、日本では同様な研究がなされているのかどうかは分からないが、自殺者の報道が流れると、その後は同じような人の自殺者が増加するという。他人が自殺という解決策を取ったことを社会的証明と受け取ってしまうからだ。自殺が増加するだけではなく、事故も増加するという。これは事故と見せかけた自殺ではないかとある研究者は分析している。自殺だと遺族に与える影響も大きいため、わざと事故を起こすような運転を行うのではないかと分析している。事故は自分一人だけを巻き込むのではなく他人も巻き込む可能性も大きいので、自殺者の報道がなされた後には飛行機で旅行するリスクはかなり高まることを認識しなくてはいけないのだそうだ。