広い砂漠をラクダに乗って旅することにあこがれていた私

広い砂漠をラクダに乗って旅することに憧れていた私、そして満天の星を数えながら砂漠の砂の上で眠ることを夢をみていた私・・・とうとうその夢が実現した。しかしラクダで旅するのは本当に楽ではなかった。ここはインドの大砂漠・・・・・・・・・


2009年8月7日
これは日本テレビ24時間テレビで、タレントに紙漉きを伝授する番組を依頼されて、3週間もインドのラージャスタン砂漠(タール砂漠)にやってきたのだが、私はその合間をぬって、ラクダ・サファリへ独りでかけたのだった。
昨夜は、インドの広大なタール砂漠で睡眠した。しかし眠る時には、広い砂漠なのに、旅行者5−6人が、肩を寄せ合って隣の睡眠を気にしなが睡眠したのは、いかにも文明国での人間のスペースの取り方と同じで苦笑せざるを得なかった。しかも夜半を過ぎて、雨が降りそうになってきたし、風に混じって砂が飛んでくる天気には実は参った。頭が砂だらけになってしまった。



砂漠でのラクダの旅は、満月や星などを数えながらのロマンティックな旅だと思ったがそうではなかった。日本人にとって砂漠のイメージは、房総半島にある御宿の海岸の砂浜で詩人が夢見た「月の砂漠」の歌からこそ生まれた純国産であって、現実の砂漠は、とにかく、駱駝に乗るだけ大変な苦労―――つまり楽で(ラクデ)はなかったのだ(笑)総勢は5人の旅行者たちだった。現地のガイドが3人。


駱駝の鞍に、またがって長い脚で歩き出すと、初めは遊園地のようにおもしろがっていたが、広い砂漠を一日中歩いていると、股がだんだん痛くなり、2−3時間も激しく揺られると、もう苦痛で苦痛で大変である。月の砂漠のお姫様も、おそらく王子様が隣にいたから長時間ラクダに揺られるのも苦痛ではなかったのだろう。耐えられたのだ。私だって、隣にお姫様がいれば、苦痛に耐えられたのではないか(笑)

シルクロードを旅するのは、ロマンのように見えて、実は大変だったんだね。この広いインドのタール砂漠で昔の旅人も苦しんだに違いない。一日に数回これを鞍にまたがっていると、駱駝で旅するのが嫌になってくる。でも私は、ときどき思い切って駱駝を走らせてみることもあった。走れ、走れ!痛みに耐えながらーーーアラビアのロレンスのようにラクダは砂漠を走った。遠くに地平線が見えても、あっと言う間にラクダは走破した。やはり脚が長いのは早い早い・・・・

     
それにしても動物の手綱をもつということはおもしろい。交互に手綱を思い切り鞭打ちながら、特に砂地ではないところを走ると、なんともおもしろい。アラビアのローレンスが現代に蘇ったような気持ちになる。しかし激しく揺れて、なんどもお尻を打ち付けるときには、これは相当に痛い。特に駱駝が地べたに膝を折って座るときには、立ったままの姿勢からいきなりどしゃんと地面に座るので、(なんの了解もなしに)なんども痛みが襲ってくる。


私が選んだ駱駝は一番大きくて美しい、4−5回も競争で賞を得たのだとガイドが言っていた。よく眺めるとそのラクダはなにかしら妙に落ち着いており、頭が良かったので本当に助かった。私の頭の悪い分を十二分に補佐してくれるのだ。一緒に旅したフランス娘が、「あなたの駱駝は、きれいな首飾りをしていて羨ましい」と言ったので、「あなたも駱駝に買ってやりなさいよ」と冗談を言ったが、この首飾りは買うものではないらしい。ガイドが言うのには、走り競争で栄冠を得た印なのだという。他の駱駝は、ときどき勝手に草を食べたり、茨の木に突っ込んだりしてあわてふためいていたので、イギリス人の中学生教師もフランス人のギャルたちもラクダの手綱を引きしめながら苦戦していたが、私の駱駝だけは全く問題なかった。


8月8日
早朝、フランス人の薬学専攻の女子学生が、体調を崩し、ホテルに帰りたいといった。ガイド3人の中の一人が付き添って帰って行ったが、原因は、昨夜、ガイドが焼いた分厚いチャパティだと言ったが、私も調子がよくなかったので、同じチャパティが原因であろうか。


8月9日
午前5時半頃にジョードプールに帰ってくる。そしてパークプラザホテルへオートリキシャで到着。さすがこのホテルは、砂嵐も熱風もない一流ホテルだ。それにしても砂漠で鼾(いびき)をかくとみんなが迷惑したようだ。私は疲れたとき、時々大きな鼾をかくことがあるが、昨夜は胃の調子もおかしかったのと昼間の駱駝によるサファリで相疲れていたこともあったので格別大きな鼾をかいたのだった。しかしみんな4人の旅行客が、隣の寝息が気になるぐらいに小汚い布団をくっつけあって寝たので、実に窮屈で自由なスペースは全くなかった。


イギリスの中学教師をしている男が「昨夜は全く眠れなかった」としきりにみんなの前で、ぼやくので私は非常に気になった。鼾が大きな音だったのかと思ったら、彼が言うのには、それだけでなく、真夜中に音をたてて雨が降ってきたり、糞ころがしの昆虫が、奇妙な音をたてるので、それも気になったらしい。しかも夜が更けくると砂塵が猛烈に吹いてきたこともあって眠れない原因だったと言った。だれもかれも頭髪には細かい砂が交っていたが、しかし私だけは高いびきをかいて熟睡していたのである。


しかし、ここは広大な砂漠。もし誰かが私の鼾が迷惑だったら、少し移動すれば問題は簡単に解決するのではなかったか?私自身、イギリス人の中学校教師から夜中に注意されて初めて、大鼾をかいていたことを知ったが、彼自身が10メートルでも100メートルでも離れて寝ることは十二分に可能な大砂漠なのだ。それをしないところが、いかにも都会からきた現代人というものであったのだろう。あるいは砂漠で寝るときには、だれかに襲われる危険性もあったので、このような窮屈な体制で集中して眠ることがあったのかもしれない・・しかし今回のガイドは、もともと砂漠のサファリに生きてきた人々ではないというから、よく砂漠の実情を知らなかったのではないか?これまで彼らは長い間、石切り場で働いていたというから、あまりこうした砂漠での知恵はもっていなかったのかもしれない。それにしては、ラクダに乗って旅するとき、彼らはよく歌を歌っていた。これは楽しかった。



とにかく砂漠でのサファリの想いでは、大鼾(いびき)とそして駱駝サファリがもたらすお尻の痛さが印象に残った。それにしてもフランス娘たちが何度もしゃべっていたこと、「フランス人は、みんなラージャスタン砂漠は大好きよ。私もとても気にいったけど、でもチャパティとダルとあの辛いインドカレーはもう飽きた。もう食べたくない。フランスの美味しいワインを死にそうなほど飲みたい。」と言っていたのがなんともおかしかった。私も言ったやった。「もし日本に来ることがあれば、死にそうなほど美味しい日本のお鮨をたらふくご馳走しますからね。とびきり美味しいお鮨を」と招待したが、フランス娘たちはなにも答えなかった。
ここは熱風の吹くタール大砂漠だ。
熱い砂漠では、豪華な海の幸へ招待しても、鮨の味の想像はつかない。酷暑の大地ではやはり飛び切り辛いカレーこそが一番なのだから・・・・


8月9日
午前5時半頃にジョードプールに帰ってくる。そしてパークプラザホテルへオートリキシャで到着。さすがこのホテルは、砂嵐も熱風も吹いていない一流ホテル。まずぐっすり眠ることにした。たかいびきをかいて(笑)