新生命医学会 13日追稿

新生命医学会というサイトの記事がるいネットに紹介されて、その中の革新の生命医学情報のNo.21に
生命・細胞・血球の起源⑶があり、その
    /第1編 細胞と生物学、の中にある
    /【6】細胞には精神があるか(合目的性、合終局性)までたどり着いた。

同じページには
【7】細胞生物学の提唱
   ⑶ 細胞分裂説を過大評価している現代科学
【8】初期細胞新生説時代・・・などが続くが、

高校卒業間近に、担任のお宅へ友人と顔を出した時、職業適性検査なるものをやらされ、生物化学だか生物科学方面が適性との結果が出て、自分の進路と比較し予想外だった記憶がある。

ただ、いまにして思えば、こうした記事に興味が惹かれるのも、コンピューターの話しも健康の話しや聖書(宗教全般)にしろ、この世を支配する何ものか達にしろ、それらと自分の頭の疑問に対する問いかけが生命(生物=電磁波を発するもの)との関わりで連続していたことに気づく。

例えば、コンピューター・サイエンスにしても聖書や宗教の神の話にしても、その質問(検索)に答えを返すプロセスを解読して行くと、行き着くところは「細胞には精神がある」かという問い掛けにも一致する。自身の体を構成する個々の細胞同士がなんらかの反応をし合うのでなければ、何が心とか精神にたどりつくのか見えて来ない。

宇宙の世界とインターネットの世界と人体の世界とは、どれも同じ設計図で創造されていると捉えたほうが、自分にとっては合理的な気がしている。
13日追稿
それらのヒントは、聖書で言う三位一体のひとつ「聖霊」と言う言葉が、約2000年後の現代用語では「電磁波」という言葉に置換えれるという話を聴いてからである。細胞同士も電磁波でやりとりし、コンピューターも人間(生きもの)も、スマホや家電製品も「電磁波」でコミュニケーションしている。

これなら生物学も心理学も物理学も、あるいは宗教学も一連のルールで理解することも可能では。世の中を牽引している悪は、細分化して訳わからなくすることに価値があるようなので。