やりすぎツネモト/みなしごツネモト(井川耕一郎)

昨年の三月、アテネフランセ文化センターで常本琢招の『みつかるまで』が上映されたことがあるのですが、以下の文章はそのときに無料配布されたパンフレット用に書いたものです。(井川)


やりすぎツネモト/みなしごツネモト(井川耕一郎)

 常本琢招の特徴は、一言で言ってしまうと、「やりすぎツネモト」になるだろうか。
 『人妻玲子 調教の軌跡』(95)のときのことだ。ロケバスが数寄屋橋で止まったのには驚いた。聞けば、主人公の若妻が謎の男の命令でコートの前を開く――すると、中は黒い下着姿であったというシーンをこれから撮るというのである。「いやいや、常本さん、シナリオには公園って書いたはずだけど」「だから、そこで撮るんです」。そう言って指さしたのは、大通りのすぐわきにある小さな公園だった。私はもうちょっと大きな戸山公園あたりを考えていて、若妻がひとに見られるかもしれないという不安を感じれば、それでOKと思っていた。ところが、常本琢招は本当に不特定多数のひとに見られてしまわないといけないというのである。「シナリオの行間をよーく読むとですね、雑踏の横で撮れって書いてあります」。そして、昼飯時の数寄屋橋でそのシーンを撮ってしまったのである。
 『黒い下着の女教師』(96)のときもそうだ。シナリオの直しをしてくれと言うので会うと、常本琢招は少女がつきあっていた少年を捨ててレズに走るというシーンを指さして、「場所を地下のボイラー室じゃなくて、プールにして下さい」と言うのである。「いやいや、常本さん、予算の関係でプールはダメって言われたんだよ」「でも、シナリオの行間をよーく読むとですね、プールで撮れって書いてあります」。結局、私は常本琢招に負けてシナリオを書き直した。すると、常本はクランクイン前だというのに役者を集めた。そして、『黒い下着の女教師』に参加予定のスタッフが撮影していた別の作品の現場に乗りこみ、そこにあったプールで書き直したシーンを本当に撮ってしまったのである。
 『人妻玲子 調教の軌跡』も『黒い下着の女教師』もいわゆるエッチVシネというやつで、売る側も見る側も大したことは期待していないのである。だが、常本琢招は本質的にやりすぎツネモトなので、誰に求められているわけでもないのに、やりすぎてしまうのだ。
 それにしても、常本の作品を見ていて気になるのは、作品のあちこちからにじみ出る悲哀感だ。『人妻玲子 調教の軌跡』で若妻が数寄屋橋で恥ずかしい姿をさらす場面はとても扇情的だ。けれども、人々は遠巻きに黙って彼女を見つめるばかりで、公園にぽつんと突っ立つ若妻の姿はどこかうら悲しい。『黒い下着の女教師』のプールのシーンもそうで、ゆらめく水の中でキスをする少女たちの姿はとても鮮烈だ。しかし、それと同じくらい強く印象に残るのは、「ウソだろ……」と呟いて後ずさりする少年の泣きだしそうな顔つきなのである。つまり、常本琢招の第二の特徴は、「みなしごツネモト」とでも呼ぶべき悲哀感、この世界に居場所がない悲しみだと言えるだろう。
 さて、そこで『みつかるまで』だが、これは常本のみなしごツネモト的な側面が最も表に出た作品だ。主人公の板谷由夏は毎回、東京モノレールで盗みを働き、ビルの谷間の空き地に財布を捨てる。ここまで犯行の手口がワンパターンだと、「早くわたしを捕まえて!」と言っているようなものだ。けれども、彼女を本気でみつけだそうとする者は、水橋研二の登場以前には誰もいなかったようである。もっとも、その水橋研二にしても、誰かに追われて逃げ回っているらしく、へらへらとした笑顔の中に、時折、臆病さがのぞいてしまう。要するに、『みつかるまで』は『人妻玲子 調教の軌跡』の孤独な若妻と『黒い下着の女教師』の気弱な少年が出会ってしまったような作品――この世界に居場所がないと感じている二人の男女のドラマなのだ。と言っても、エッチVシネのときとは違って、二人の関係は恋愛やセックスとは無縁の場所で展開する。そこが私には興味深かった。たとえば、映画の後半、モノレールに板谷・水橋の二人が乗るシーンがあるが、そこで途方に暮れた水橋研二は思わず板谷由夏の肩に頭を預けてもたれかかる。その仕草は何とも少女ぽいものだ。しかし、二人の間に性的な要素がないために、ごく自然な仕草に見えてしまう。そして、この世界の中に居場所をみつけらない者たちが、つかの間、幻の居場所を見出したかのような歓びとも悲しみともつかない複雑な感情をにじませるのである。
 エッチVシネの枠内にいたために見えづらかったが、常本琢招の根っこにあるのは、誰かと関わり合いたいという無垢な欲望なのだろう。その欲望が作品の上では「やりすぎツネモト」となり、「みなしごツネモト」となる。……だがそれにしても、『みつかるまで』では作品の完成度を追求するあまり、「やりすぎツネモト」度が低くなってはないか。そこがちょっと残念だと思っていたら、何とこのパンフレットは25ページにもなるのだという。46分の中篇に25ページのパンフ! やはり、常本琢招はやりすぎツネモトである。