想像力はベッドルームと路上から このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-07-14

「アキハバラ解放デモ」への批判に関する雑感。 「アキハバラ解放デモ」への批判に関する雑感。を含むブックマーク

革命的非モテ同盟跡地

そもそも批判者と主催者側で「デモ」の概念設定が完全にずれていて、(主催側含め)誰もその溝を埋めようとしていないところに問題があると思う。批判者側は「デモ」を旧来(代表的なタームで説明するならば「シアトル以前」ということになるだろうか)の「デモ」として認知したまま、その論理設定や運営方法を批判しているように見える。

一方で、今回の「デモ」(というより、ここ何年かの間に若者主体で行われているデモの大半)は、まず旧来型の組織的な「デモ」に対する否定から想起されたものだということを理解する必要がある。

一応、この辺の文脈に関する参照文献として、毛利嘉孝氏の『文化=政治』とポール・キングノース氏の『ひとつのNo!たくさんのYES!』を挙げておく。別にここに書かれていることを肯定する必要はないけれど、今回の「デモ」の意義を問うのであれば、まずこの概念を共有しておかないと話にならないんじゃないか。少なくとも、相互にすれ違いが起こるだけで、建設的な話にはなっていかないと思う。

ちなみに、id:dozreさんのコメント欄に「リクレイム・ザ・ストリート」に関するWikipediaの解説を貼ったんだけど、どうやら誤解されてしまったらしい。確かにありゃ不十分だった。よって下記を参照して頂きたい。

シアトルでの闘争に象徴される新しい社会運動のなかで、このACT UPと共に重要な役割を果たしたのが、リクレイム・ザ・ストリート(Reclaim The Streets)です。RTSはロンドンの反道路運動から始まりましたが、その後ニューヨークやサンフランシスコなど世界規模で拡大しました。シアトルの闘争後に、イギリスの「ガーディアン」紙は、「わが国の自動車産業が瀕死の状態の時に、国際市場でいまだに強力な存在感を示している英国の集団がいる。それは、ストリートの抵抗である」と皮肉たっぷりに紹介したそうです。

[中略]

RTSが結成されたのは1991年で、高速道路拡張計画に反対して直接行動を行うなかから、自動車によって占拠されている都市のストリートを自分たちのもとにゲリラ的に取り戻すストリート・パーティへと運動が発展していきました。RTSのような運動のあり方はDiY(Do it Yourself)文化とも呼ばれています。このDiY文化は、既存の左翼運動に対する批判でもあったようです。

毛利氏はニューヨークでRTSを組織したステファン・ダンコムによる旧来の左翼運動への批判を次のように紹介しています。

「ダンコムによれば、RTSの主要な参加者となったのは、旧来の左翼運動のもつヒエラルキー構造にあきあきしていた人びとだった。

旧来の左翼運動は、中心的な指導者が存在し、指導者がデモや集会を組織し、指導者が話をし、参加者がその話を聞くという形式が主流だった。

しかし、その指導者の話とやらも、たいがいは、すでにどこかで語られたことばかりだった。

それは、何か積極的に作り出すというよりは、常に何かに対して『反対』をするばかりで、否定的で、悲観的で、消極的なものでしかなかったのである。

そこには、何かを新しく作り出していくような、わくわくする魅力を決定的に欠いていたのだ。

若い世代はそうした古い左翼文化にうんざりしていた。

RTSのDiY文化は、そうしたこれまでの左翼のスタイルを批判したのだった。

カーニバルという手法も、指導者と指導される大衆という固定的なヒエラルキーを反転させ、享楽と解放を同時にもたらすために導入されたのだった。

no title

このリクレイム・ザ・ストリート(Reclaim The Streets)という運動は、「街路」という公共空間を自分たちの管理化に置くという目的だけではなく、「デモ」を含めた「政治」そのものを自分たちの手に奪還するという試みであるということを理解してもらえればと思う。

ちなみに、僕の「デモ」に関する基本的な概念設定は以下の通り。

「デモ」とは、別に大衆にメッセージを伝える為の「メディア」ではない。「デモ」とは合意形成の過程であり、その為の場である。「何の為のデモなのか」と問われれば、「合法的に騒ぐ為」という回答も、「それが分からないから見つける為にデモを行う」という回答も許される。別に特定のイデオロギーに統一されている必要もないし、目的を持っている必要すらない。「街路」という公共空間に人が集まるということそのものが既に政治性を帯びているからだ。だから、あえてそこに特定のイデオロギーを加える必要は無い。

「デモ」に関して、「その意義は?」とか問う奴には「手前で考えろ!!」とだけ言い放って笑ってやろう。 - 想像力はベッドルームと路上から

なので、上記の「デモ」の定義の通り、『主張のあるデモ』と『祭り』は離反する存在(概念)ではないので、それを対立する存在としている批判軸自体が無効化されている気がするのだけれどどうだろう。

また、主催者による「アキハバラ解放」や「表現規制」といったスローガンは余計だ、という意見には一理あると思うが、主催者により「自由に言いたいことを言う」ということが推奨されているわけで、そんなもん「学園祭のメインテーマ」くらいに考えておけばいいんじゃないか。逆に言うと、「デモの趣旨が〜」などという言説は、「この学園祭の運営はテーマと離反しているのではないか」とか言ってるのと同じなので、皮肉でも何でもなくそれ以上先に進みようがないからやめたほうがいいと思うよ。別に肩肘張って考えるだけが「政治」じゃないんだから。

で、一方で主催者側がこうしたことを言葉を砕いて説明していたかというとそうでもなくて(僕はずっと煽っていたわけだが)、結局のところ集知の通り言論弾圧云々とかの話しになってしまっているわけで、その辺は徹底的にやった方が良かった(面白かった)と思うんだけどね。公開討論会でもやればよかったのに。

あと、「新左翼コスプレ」に関しては、はっきりと「何が問題なの?」と言えばいいと思う。街路で何かを主張(行動)すること自体既に「政治」なのだから、そこに特定のイデオロギーが存在すること自体全く問題じゃない(それが支配的になるなら別だけど)。逆に「路上でコスプレするだけ」でそれが立派な「政治的主張」として扱われるなんて僕なんかは痛快極まりないんだけど。んでもって、そういった人の存在を利用する何も、「統一した主張」や「獲得目標」すら存在しないのだから利用しようがないだろうと思うんだけどどうだろう。それとも、誰かオルグられたりした奴でもいるの?

そもそも、「ヘルメット軍団」より「ハルヒ軍団」の方が人数はもとより集団としての存在感(シュプレヒコール含む)を発揮してたわけで、それを見てあのデモ隊を「ハルヒが好きな集団」として見る人がいるだろうか。「何か雑多な集団」以上でも以下でもないと思うんだが。僕なんかは、あのデモに「新左翼の格好した奴がいる」ってこと自体、真面目な「左翼活動家」からすれば侮辱以外の何者でもないと思うんだけど。

あと、「中核派云々」に関しては、これ本当に心配なんで誰か真相を教えてくれませんかね。比較的主催者に近い場所にはいるんだけど、「中核派と仲が良い人間がいる」のは知ってるけど、「中核派が組織的に関わっている」って事実は知らないから。もし後者なら俺も考えるよ。(あー、ちなみに中核派=非合法団体として捉えるなら、「デモに中核派が関わっているから反対する」人は多いのに「祭りには暴力団が関わっているから反対する」って人がいないのはなんでだろうね?俺は中核派は嫌いだけど、暴力団も嫌いだぞ。)


あと、最後に「このデモをやって何か変わりましたか?」とか言って批判する人には、逆に「1回のデモで社会を劇的に変える方法」を是非聞きたいね。僕がそれをやるから。

もしその代案がないなら、単に「自分は歴史を知らない馬鹿だ」って表明しているだけだからやめた方がいいと思うよ。「アフロ・アメリカン」がどれだけの年月と方法論を積み重ねて現在の社会的地位を手に入れたか、ちょっと考えれば分かることだからさ。

S田S田 2007/07/14 23:57 単純に羨ましいんじゃないでしょうか?
「あの葡萄は酸っぱい」的な。
根が理屈っぽいので「ツン」するのも理屈臭いという。
なにせ宮崎事件やらからオウムはさんでFLCLぐらいまでの10年ちょいですっかりいじけてしまったんじゃないでしょうか?

いきなり無礼な書き込みしてすみません。

megaanemegaane 2007/07/16 00:03 横からすいません。どうもこのサウンドデモ関係にしろ、秋葉原のデモにしろ、批判的な人ってどうもS田さんの言うところの「酸っぱい葡萄反応」っていうんじゃないと思うんですよね。もちろんそういう人も中にはいるのかもしれないですし、いないかもしれないんですけど、そういう言い方って結局憎悪の連鎖しか生み出さないですし。個人的にはあんまり好きじゃないです。
で、じゃあ何故なんだろうっていうのを自分なりに考えてみたんですけど、例えばこの記事のブクマなんかを見ても「公共の空間借りて毎年コミケやってるじゃない」ってコメントがついたりしてますけど、結構これが最大公約数的な意見だと思ってるんですよ。秋葉原の事に関して言えば、多分オタクの人っていうのは、いわゆる「世間様」に後ろ指を刺されないように、自分達<だけ>で盛り上がれる「場」をちゃんと用意して、そこである意味つつましく(お行儀良く)、時に少しハメを外して盛り上がれればいいわけで、同じ「楽しい」だったらわざわざ「世間様」の見ているところでやる必要もないじゃん、っていう事だと思うんです。「デモの趣旨が〜」とかそういうのって、言い訳じゃないですけど、だからこそ、それを論破したところで変わるようなものでもない気がします…。

でも個人的にはinumashさんの言説に大賛成で、「世間様」が見てるからこそ、その中から自分達の考えとか価値観に同調してくれる人が出てくるかもしれないじゃんっていう点でとっても刺激的で面白いと思うんですけど、どんなにinumashさんが頑張ってそれ(もしぼくの捕らえ方が間違っていたらごめんなさい)の面白さっていうのを伝えようとしても、「いや、俺たち自分らでつつましく楽しめてればそれでいいし」って言われて失効しちゃってる気がするんですよね。これもまたオタクっていうものに照らして考えてみると、結局「どうやら世間ではオタクっていうのは気持ち悪い存在として扱われているらしい」っていう大前提があって、「だからこそ俺たちは世間様に迷惑をかけないようにやってるんだぜ!わざわざ世間様とぶつかってキモいとかって言われるのも嫌じゃん?」っていう主張に行き着くんだと思います。

そういった人達にどうやって「面白いことっていうのは純粋に面白いものであって、その面白さを人に伝えてそれで繋がれた瞬間ってすごい快感だよ!」っていうのを伝えるのか?って考えるとぼくは思いつかないんですけど、それは結局「デモの趣旨が〜」とかっていうお題目もしっかりせざるを得ないぐらいヘビーな状況になるのを待つしかないのかもしれないですね。それはそれで「いや、デモという形態事態が〜」とかって今度は批判されそうですけどwwww

また長文になってしまった上に言いたいこともよくわからなくなってきたので、とりあえずまとめると「面白いこと」を「面白いこと」だと思っていない(断絶している)人に対して(しかも理論武装してる人ばっかりですけど)、煽りとか論破とかナシでどうやってそう思わせるかっていうところに行き着くのではないでしょうか?っていうことなんです。それをしたいかしたくないかっていうのはまた別の問題だと思うんですけど、結局それで現に「このスノッブがまた上から目線だぜ」とか言ってちゃんと読みもしないでブーブー言われるのがほんとにムカつくんです。だからまぁ、ある意味inumashさんの煽りっていうのは痛快なんですけども(笑)

inumashinumash 2007/07/16 02:13 >S田さん

うーん、どうでしょう。「そういう人」が結構いることはなんとなく事実なような気がしますが、きちんと正当性をもって批判してる人もいますよ。

そうした人たちにはきちんと対応する必要があると思います。

>megaaneさん

大体そんな感じですw
お察し頂き誠にありがとうございます。

本当は僕も「デモの趣旨」なんてものにわざわざ言及したくはないんですけどね。「面白いもの」をただ「面白いもの」として伝えることができれば最高なんですけど、僕にはそれを行う術がないんです。だから、可能な限り他者の「参加可能性」を高めるしかない。

んで、「デモに対する批判」はあって然るべきだと思いますけれど、荒しは別にして論理的な批判をしようとしている人たちに対しては(それが納得できる批判だからこそ)、個々反論を返すべきだと思ってるんですよ。なぜなら、彼らの主張はある視点から見ると正しく、説得力がありますよね。で、上に書いた「まだ体験していない人」の「参加可能性」を減退させてしまう。だから、そこに「別の視点」を介在させることで、その可能性をできるだけフラットな状態にしたい、というのが僕の考えです。

別に「どちらか一方」が正しくある必要もないし、相手を論破する必要もない。どっちかって言うと、今回のデモに興味を持った人が、両方の意見を参照して自分で判断して欲しいってこと以外に、僕には言うことがないんですよね。

ま、僕個人の影響力なんてたかが知れてますが、折角面白いことが始まったのだから安易にそれを潰したくなないですからね。

あ、どうやら次はデモ以外のことをやるみたいですよ。

S田S田 2007/07/17 08:38 >megaaneさん
>inumashさん

とてもよくわかりました
ありがとうございました。
現場を知らないのに印象で言うのは良くないですよね。申し訳ないです。

私、ド地方の経済植民地住まいなもんで、個人的に羨ましいという気持ちだったのです。ニュースだけは速いんですけど。
ここ数年は決断主義とブーム実力主義にすっかり怯えてしまい。Radioheadや碇シンジから、戦前ブルースや戦前クラシック。明治大正の主人公達に逃避しており、浦島太郎でした。

inumashinumash 2007/07/18 19:20 >S田さん

>Radioheadや碇シンジから、戦前ブルースや戦前クラシック。
明治大正の主人公達に逃避しており

ある意味正しい系譜ですね、それw

明治大正の主人公ってどんな人達なんでしょう?

torontorontorontoron 2007/07/19 11:37 >「アフロ・アメリカン」がどれだけの年月と方法論を積み重ねて現在の社会的地位を手に入れたか
アフロ・アメリカンには明確で切実な主張と目標があったわけですが、
>別に特定のイデオロギーに統一されている必要もないし、目的を持っている必要すらない。
そんなデモの先にあるものと比較するのはおかしな話です。
なんでもいい、やることに意味があるのだといいながら、「歴史を知らない馬鹿だ」と歴史なんか持ち出してまさに過去のデモの権威と意義に乗っかって揶揄する態度は最悪です。
「このデモをやって何か変わりましたか?」と聞かれたら正直に「すっきりした」とか「気持ちよかった」とか「楽しかった」と胸をはって言えばいいのです。そこで胸がはれないようなら遠からず自然消滅ですよ。

neodadaneodada 2007/07/19 15:46 まいどー。
こちらにコメントでお邪魔するのは初めてっスね。ボンクラ日記のやまざきですー。torontoronさんのコメントがスゲーわかりやすくて膝を打ちました笑点なら座布団2枚っス。簡単なことでも眉間にシワ寄せながら難しく語っちゃうのがオタクの悪いクセでして。ボンクラ的には毎度知恵熱で脳が煮えるような感じでした。もーちょっとだけバカ向けにしてくれるとホント有難いっス。

inumashinumash 2007/07/19 19:33 > torontoronさん

どもです。「楽しかった」っての前提ですよ。僕はずっと「デモ」の感想は基本的に「面白かった」しか書いてないです。

んでもって、僕がわざわざ「デモの論理」なんて書いている理由は、上でmegaaneさんに回答している通りの目的です。アフロ・アメリカンの運動に関しては完全に検証したわけではないですけど、初期段階の動機の部分は今回のデモとそう大差ないだろうと考えています。もちろん、「アフロ・アメリカン」の置かれていた(いる)社会状況と「オタク」の置かれている社会状況を同じものとして見ているのではなくて、単に「デモなんて別にその場のノリや勢いで始まって、正当性は後からついてくるものでしょ?」ってのを言いたかっただけです。確かに、揶揄する部分に関してはちょっと大人気なかったですね。それは自重します。

ただ、ちょっと認識が違うのは、今回のデモが過去繰り返されてきた運動やデモと切断されているわけではない、という部分です。アビー・ホフマンにしろ、あるいはパリ68年の蜂起にしろ、元々デモや運動はとても自由な場だったわけですが、いつの間にかそれが固定化・定型化してしまった。なので、それを一旦差し戻そう、という目的もあると(個人的には)考えています。

多分、僕がやっているのは蛇足です。その自覚はありますけれど、こんな屁理屈に納得してデモの印象を変えて参加してくれる人もいるんじゃないかという、甘い期待は持っているわけですよ(笑)それ以外に僕は言葉を持ちませんから。

inumashinumash 2007/07/19 19:36 >neodadaさん

いらっしゃいませ。ま、そういう「小難しい事」が納得できないとデモひとつ見過ごせない人も世の中にはいるみたいですよ。僕はめんどくさいので嫌ですけど、そういう人に対して僕は書いてるつもりです。

だからリアルでうんこ投げ合う方がよっぽど楽だし楽しいからいいと思ってるんですけどね。テキストだと、「粗を出したくない」から、結局こうなるんですよ。粗が隠し切れているかは別にして。

S田S田 2007/07/19 22:25 >inumashさん

公とは何かについて心中に萌芽はあれど、リヴァイアサンな「私」=「おおやけ」にビビってウジッてる人々です。
(法〇カルトの理論は正にその「おおやけ」ですが。宇宙規模なのが凄いですね。)
舶来物の理屈で武装すれど自分の腰から下はすっかり「おおやけ」に浸かっているという…
北村透谷や辻潤。
60年代なら英シドバレット、米ジムモリソンなのでしょうか?
日本は10年おきに戦争→敗戦がデカすぎて一度底流になってると思えます。

妄想になってたらすいません。

aikoaiko 2007/08/19 18:03 まあ、内部事情としてこんな記事をあげておられる方もいます
ttp://obiekt.seesaa.net/

inumashinumash 2007/08/20 12:42 存じ上げております。事実関係確認中。