細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

デイケアの料理プログラムについて

土曜日は実は頭が大混乱してへとへとだった。しかし昨日ゆっくり休んだから今日はデイケアへ行けた。料理であった。
料理プログラムは昔は苦手だった。僕はイラチな上に、家で料理を作るので、他の人がいろいろ手間取っているとついイライラしていた。しかし最近は参加している。なぜか。それは昼飯代が浮くという実利的な理由もあるが、もうひとつ一人で飯を家で食うより、人と一緒に食べた方が楽しいからだ。
そしてもうひとつ、自分が昔イライラしていたのも、自分のある了見の狭さだったのである。ほかのひとと協調するというのは、他の人に負けないように頑張って早くするだけじゃなく、他の人のゆっくりさから学ぶこともあるからだ。
自分は焦燥感が強いので、すぐイライラする。それが人を追い詰めることも、人を助けることもある。単一の価値観で「俺はダメだ」とか「お前はダメだ」という不毛なやり取りをしないのも大事なことなのだ。

自分が問題を理解する、他者が問題を理解する、つまり相互がある情報を共有するには、それぞれの過程がある。もちろんやってはいけないことは、理屈がドウであろうとダメなのだということもある。ただ、それぞれのもつ個別性がうまくリンクしない限りは料理だってうまくつくれないし、味は別として「おいしく」食べられない。

それにはとにかく知恵を出し合い、相互のやり取りを行なう。わからないことは聞いてみる。よく状況を知るということだ。

発見

こういうサイトがある。
ネタ元としても、システムの客観評価という意味でも使えるのかもしれない。まだちょっとしか見ていないけど。
MRIC by 医療ガバナンス学会

それからこれを入手した。

知らずに他人を傷つける人たち (ベスト新書)

知らずに他人を傷つける人たち (ベスト新書)

たぶん微妙な、欠点と良い点がある本なのだろうとは予感している。アマゾンのレヴューにおいてもそれは顕著に出ている。

近年香山先生はほとんどワイドショーコメンテーターの感しかしなかったので、ご著書も拝読していなかった。しかし立ち読みして部分的には使えそうなので買った。
本当はイルゴイエンヌの

モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない

を読むのが一番だと思うが、しかし自己愛性人格障害を加害者の主な属性とするイルゴイエンヌに対して、日本のケースでは、コミュニケーションを学習できなかった、あるいは偏ったコミュニケーションを学んだ人たちが起こす加害という面もあるのではないかという仮説を立てている点が気になって買った。

香山先生の論説が妥当性を持つかどうかも読んでみないとわからない。ただ「知らずに」という言葉がどういう意味を持つか。意図的な加害ではないと言うことなのか。それも読んでみないとわかんない。

それはどんな旅でもいいので
あんまり悔しいときもあるだろう
旅は悔しいものなのですり傷の口が甘いので

もともとそうなので
出会うことってなんなのかわからないので
あなたはだれなので
へえ
そうですか
あなたはだれなので

三日月はあまり好きでなく
歌う人もいない
飲むものは非常に熱いお茶しかない

ほしいものは何なので
そう
へえそう

何なので

前景

吸い込まれていかなくて
ざんねんながら
あやふやに溶け合えない

溶け合えない
何かにはさまれる感じでそこに
そこにいるような気はすごくするんだけど

空みたいに

すごくそこにいるように思い
残念です
そこにいるように思い
感じ
そこにいることは、だから別れです。

遠いとか近いとか
わからない
わたしの気持ちだけ残る
でもそれが残っていることも
まぼろしです

犬のうしろに小屋があり
その小屋の向こうにたくさんの木々がみえる