「ディア・ドクター」見たよ


街まで車で2時間もかかる僻村にやって来た、医大を出たばかりの相馬(瑛太)。研修医として赴任してきた彼を待っていたのは、看護師と一緒に診療所を切り回している、物腰の柔らかそうな中年医師、伊野(笑福亭鶴瓶)。数年前、長く無医村だったこの地にふらりとやってきたこの医者は、高血圧から心臓蘇生、地方老人の話し相手まで、様々な病を一手に受け、村人から絶大な信頼を寄せられていた。そんなある日、伊野の元にかづ子という独り暮らしの未亡人が診察にやってくる。ずっと診療所を避けていた彼女だったが、次第に伊野に心を開き始める。そして、彼女の診療を通じ、伊野が隠していた意外な素顔が浮かび上がってくる――。笑福亭鶴瓶が映画初主演を果たした、『ゆれる』の西川美和監督の最新作。

『ディア・ドクター』作品情報 | cinemacafe.net

[注意] 作品の内容に触れる箇所がたくさんあるので、未見の方はご注意ください。


TOHOシネマズ宇都宮にて。西川美和監督最新作。
結構前に鑑賞していたのですが、どうもうまく飲み込めなくてしばらく感想がまとまりませんでした。というか今もまとまっていません。


本作は無医村で無資格のまま医師として働いていたひとりの男性を描いた作品なのですが、何ていうか終始居たたまれないなんですよ。すごく。
伊野は医師資格もなにもなくて過去にMRとして働いていたというだけの人間なのですが、そんな彼でも平時は具合の悪くなった人に適当に聴診器を当てて薬を出すだけで事足りるし、ちょっとまずそうだと思ったら隣町の大きな病院に回してしまうだけで大きな問題もなく済んでしまいます。そして、そんな対応をしているだけでも周囲の人は自分を現人神のようにうやまってくれ、年収2000万円という法外とも言えるほどの収入を得ていたわけです。
そんな状況を伊野はおいしいと思っていただけなのかと言うとたぶんそんなことはなくて、後ろめたさや誰かを死なせてしまうかも知れないという緊張感と向き合いながら日々を過ごしていたのです。そしてそんな彼の居心地の悪さがすごくわかるから観ているだけでわたしもモジモジしてしまいます。村人の助けになっている一面もあるのだろうけれど、でも実のところ全然何もしていないことは彼自身もよくわかっていて、日々本当にこんなことをしていいのだろうかという背徳心に苛まれているのが分かるから観ているだけでいたたまれなくなってくる。本当はこんなことはよくないということを彼は十分分かっているのだけどでもいまさら辞められないもどかしさ。
もうため息しか出てこないのです。


社会通念にそって考えれば、資格もないのに医師のふりをすること自体が間違っていることはもはや明白なのですが、でも事実だけを直視すると果たして本当に悪いことだったのかどうかなんとも言えないのです。本編でも少し触れていましたが、普通の医師であれば救えた命があったかも知れないしそれを考えると医師ではないひとが医師を演じることがよいことだなんて言えないけれど、でも無医村であり続けるよりはたとえでっち上げであっても医者と信じ続けられるひとがいる方がまだ幸せなんじゃないかとも思うわけです。


さらに、このようないい加減なことがまかりとおってしまった要因のひとつとしては、村の人々の「過剰に延命するよりは自然死を尊ぶ死生観」があったからであり、そのような価値観を土台とした村の人たちのニーズに伊野の診療方針が見事にマッチしてしまったという側面があります。
逆に言えば、権利者意識が強い人たちが増えてしまった多くの都市においてはこのようなごまかしは出来まないであろうというところにこの作品に対するもやもやを感じてしまうのです。田舎の人をだましたというただそれだけではないんですよね。


というわけでさっぱりまとまらないのですが、とりあえず思ったことを全部書いてみました。
「ゆれる」もそうでしたが、西川さんはこういうのどにひっかかった小骨みたいな話が好きですよね。ラストの余韻の残し方なんかもすごくうまいなあと感心しました。


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