ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

パスポート更新の話

おはようございます。
今日はこれから、主人の「特定疾患医療受給者証」と私の「十年パスポート」の更新に出かけますので、ごめんなさい。また講義内容には触れられそうにありません。

パスポート更新のことは、去年の備忘録に「来年更新」と書き、今年に入ってからは、5月の欄に赤字で「すぐに更新」と書いておいたのですが、早くも六ヶ月を切ってしまいました。昨日、役場(役所じゃないのです)に書類を取りに行き、鉛筆で下書きしてから、ペンでなぞって清書し、コピーを一部とっておきました。

「緊急時の日本国内の連絡先」の欄を見ていて、従来は当然のごとく、主人か自分の実家を記していたのですが、突然、「十年か…親はもうどうなるかわからないなぁ」と思い、時の流れの早さをしみじみ実感。弟は、大学の在外研究で、今年からアメリカのイリノイ(その昔、畏れ多くもギル・シャハムさんのご両親がいらした所)に滞在中なので、将来も当てにならず、結局、名古屋に定住している妹にお願いすることに決めました。電話をかけると、あっさり「どうぞ」の承諾。昨晩は妹も、何やら機嫌がよかったようでした。甥っ子のかわいい声も…おーい、早く関西に遊びにおいでよぉ!!ともかく、こういう時には、きょうだいを産んでくれた親に感謝したくなります。

パスポート更新でやや敏感になっているのは、過去にマラヤ大学で仕事をしていた頃、同僚のマレーシア華人のL先生が話してくれたエピソードが記憶に残っているからです。

中上層のマレーシア人なら、当時でもそれほど珍しくなかったのですが、たまの休みに、家族揃って、シンガポールインドネシアかオーストラリアかどこだったか、近隣諸国へ旅行しようということになったそうです。一週間だか十日だったか、とにかく荷物を詰めて、空港まで一家でやって来ました。ところが、出国手続きになって突然、三人の子どものうち、一番下の娘さん(小学校高学年か中学低学年)のパスポート有効期限が切れていることに気づいたのだそうです。あれやこれや押したり引いたり交渉してみたものの、当然うまくいくはずもなく、結局のところ、娘さんは一人で家に戻ることになったのでした。「かわいそうだったけどね、家で留守番してなさいって言ったの。こっちはもうホテルも予約済みだったからね。娘はものすごく泣いてたけどね。私もこのところ忙しくて、子どものパスポートのチェックまでは気が回らなかった」とL先生。(普通、そういう時って、母親ぐらいはその子と一緒に残るものじゃないですか?のうのうと遊びに行くなんて…)とちょっとカルチャーショックでしたけれど、その件を聞いたおかげで、私は手帳にパスポート更新日を書き留める癖がついたのです。昨日は、主人の分も書類をもらってきましたけれど、調べてみたら、まだ二年間残っていたので、大丈夫でした。

主人にこの話をすると、やや緊張気味に耳を傾け「その子、何歳?下手したら、アメリカだと虐待の範疇に入るよ」と言いました。私はL先生をよく知っていますし、教育熱心なお母さんだと思っているので、「虐待」なんてイメージは、当初から全くなかったのですけれど、同時に、いかにもマレーシアらしい話だなあ、とも思います。

あ、もうそろそろ出かけないと…。では、行ってきます。